← (2/2) →見るだけ見に来てみる? いう沙絵の申し出に一もニもなく「おお」言うて着いたそこは、見た目ちょお細長くて狭そうやけど、そこそこ築浅らしい小奇麗なオートロックマンションやった。
会社までの便もええし、駅からも余裕で徒歩圏内。通勤で通るやろうプチ商店街にはコンビニに食料品スーパー、薬局、クリーニング屋と店も最低限は揃うとる。何より変に暗い道を通らんでええのも安心や。
――しゃーけど。
「え、さぶっ!」
「せやから言うたやん。寒い、狭い、暗いの三重苦やて」
「しゃーけどオマエ、外より寒いて……え、どっち向きなん? ここ」
「カーテン開けたら分かるで」
パンプス脱ぎながら振り返った沙絵がごっつい苦笑いで言うたそれは、殆ど答えみたいなもんやった。マジか思いながらのっそり俺もその後に続く。
しゃーけど、玄関上がってすぐのキッチン抜けて6帖の洋室に入った瞬間、俺はカーテンの向こうを確かめんのも忘れて、えっ? なってもうた。ちょお待てや思て、もっぺんキッチンら辺の狭い空間を眺め回すも、普通そこにあるやろっちゅー扉がやっぱし無い。完全に無い。
「……なぁ、そこの半透明の扉て」
「お風呂ですー」
「え、ほなそん隣のは」
「トイレですー」
「えっ、ちょお待て、何や分からん。何で部屋ん中に風呂とトイレの扉が並んどるんや?」
「……ビックリハウスやろ?」
いや、やろ? とかやのうて……。
何や頭痛なってきたで思いつつ、俺は一応いう感じでベッドのある窓際まで寄ってカーテンをシャッて開けったった。ほんなら案の定、向かいのマンションと思っきしコンニチハーしてまうやんか。
え、北向きの寒い暗い狭い1K、しかも洗濯機置き場もベランダで?
洋室の片側ん壁にトイレと風呂の扉がある、て、しゃーから何でや。
どういうこっちゃ思いながら放心しとったら、未だ段ボールだらけの部屋ん中、ハンガーにスノボウェアなんちゅうもんが掛かっとることに気ぃ付いた。そん下のベッドには、厚手のジャージとモコモコのレッグサポーターが畳まれとる。
「ほ、ほらあれやん、私エアコン点けたまま寝るとすーぐ風邪引いてしまうやんか。せやから昨日もがっつり着込んでベッド入ったんやけど、流石に真子にまでそないな思いさせられへんし……」
コイツ、ひょっとして昨日
――「……オマエ、それであないメール寄越してきよったんか」
「ん、メールて……あー! や、あれはその、はよ明日にならへんかなー思うただけやて。た、たまにはええやろーあんなんも」
「アホ、何でそこで素直んなれへんねん。こないな部屋おったら心細なってもおかしないわ」
ほんまに潮時かも分かれへん、思うた。
突発的にあっちゃこっちゃ行かされる俺らは、大抵が会社が借りた部屋に割安で入ることんなる。それも、こないに着いてみいひんことにはどないな部屋かも分からんことのが多いねんけど。
仮に空きがあれへんかった場合でも、一旦はマンスリーいう形んなることかてないわけやない。せやのに何でコイツがここやねん。それやったらよっぽど……いや、それはちゃうな。
そこまでを考えて、俺は沙絵がここに来てまで微妙に焦っとる様子やった理由がやっと分かった。麻痺しとるんやのうて、待遇なんか二の次三の次で叶えたかったこと、ちゅーわけか。
「まー言うても平日は殆ど会社におるんやし、夜と休日さえ凌いでしまえば数ヶ月で春やんな。あ、それに私な、布団乾燥機買お思てんねん。アレ使うたことないねんけどめちゃめちゃ温かいらしいんやてなー」
「沙絵ー」
「……はい」
「アホ! ったく、誰も実家に帰れなんか言わへんわ」
決して仲が悪いわけやないのに何でか顔を合わすと衝突してまう親子の情景を、「何でこうなってしまうんやろ」て帰省の度に電話越しで泣きよる沙絵から、昔はよう耳にしたもんやった。
せやっても「諦めてええことと諦めたらアカンことがあるやんな」言うてた沙絵の大阪転属への拘りは、それが届くかどうかは別やったとしても、自分なりの精一杯の気持ちなんやと思う。
不安気な瞳が揺れて、ほんまに? いうよにしげしげ俺を見つめてきよる。難儀なやっちゃなー思いながら懐に引き込んだれば、ものの数分で吃驚するほど冷たなってた体にうっかり泣きそうんなってもうた。
「……引越しやな」
「えっ」
「俺も転属希望出すわ。俺んとこの母ァちゃんかて喜ぶやろしな。それ通すまではひとりやけど、まぁここよりはマシやろ?」
「えっと、一緒に住むいうこと……?」
「アホ、他に何があんねん」
それ聞いて一気にぎゅー寄った沙絵の眉。せやかていつまた飛ばされるかも分からんやん、て顔に書いてあるてこないな顔なんやろなっちゅー顔すぎて、ちょっと笑けてまう。
「せやなぁ、いっそのこと買うてまうか」
「は!?」
「オマエな、うちの会社に唯っ一ええとこあんの、忘れてへんか?」
「え、なに? ええとこて、あっ……ええ!?」
「まー言うても不文律やけどな」
同期が皆なおらんようなって『根性の関西組』なんか言われててんけど、どっちか言うたらコイツも俺も、単純に商談が楽しゅうなってもうたクチで。
気ぃ付いたらがっつし組織の渦にハマっとって、何やかんや辞めるタイミング逃したよなもんやった。
やった分だけ結果がついて来るちゅー意味でやりがいはあんねやけど、上も下もいう立場なって視野が変わった分、それなりに思うことも増えた。
――せやってもコイツがおったから大体笑うて乗り越えられてきてん。
「ここまで来たら使えるモンはきっちり使うたろやないかい。しゃーから結婚して下さい」
「あ、はい。……って、えー! プロポーズが6帖1Kのビックリハウスとか生活感ありすぎちゃうー? まるで昭和やー私のドキドキ返したってー」
「オマっ、渾身のプロポーズにダメ出しすなアホ! 大体ビックリハウス言うからショボイ感じなってまうんやろが!」
「渾身て。転勤免除の為に籍入れとこかーいう話やん……」
ぼちぼち地に足の着いた関係を結ぶんもええかもな、て最初に思うたんはいつやったか。思えば貯金かてそこそこあるし、何や知らん間に「ドンと来い」状態なれてた自分がちょっと誇らしい。
そんなん思いながら、俺は今ひとつ腑に落ちてへん顔しとる沙絵の背中を、パシンはたいてハッパかけたった。
「よっしゃ、ほな今夜はひとまずホテルへゴーやな。流石にここまで寒いと暖かくなることしよかーなんちゅーキショい発言も引っ込むっちゅー話やで」
「いや言われたかて死んでも脱げへんわ。てか真子ごめん、お願いがあるんやけど」
「んあ、何や?」
「あの……実はな、私モーレツにトイレ行きたいねやんか。せやから一瞬だけ外出て貰えへんやろか」
「……」
「……」
……ほぉ〜ん、なるほどなぁ。
何や、ここに俺を泊めたない一番はそれやったんか思いながら、すぐそこに見えるトイレのドアを一瞬視界に挟んだ俺はしらこい顔で沙絵に視線を戻したった。
「は? 何でや。普通にちゃっと行ったらええやん」
「は? やない! 真子 今チラ見したやん! それっぽい間あったやん! 分かっとるくせに言わせようとか変態か!」
「アホやなーそんなん今更気にするよなことかいなー」
「今更もへちまもあらへんのー! お願いやからそこのプライバシーにだけは抵触せんといてー!」
珍しく必死の形相で俺ん背中を玄関の方へと押しやりよる沙絵にへーへー言いつつ、暗がりのキッチンで反転してそん細腕を掴まえる。吃驚しよった沙絵の瞼が降りたとこで、俺は絡ませた指の金属の感触を確かめながら自分ちに残っとるはずのオーダー表の在り処を頭で探った。
−END−
2011.12.2