← (3/3) →――私たちは合っていない、この世界に。
100回誕生日が来ても何ひとつ見た目の変わらない私たちは、何処まで行ってもイレギュラー。どんなに時代が巡って流行が一巡しても、纏う私はずっと推定20才から30才の容姿のまま。循環はしない。
けれど戸惑いながらも人間のルールや文化を覚え、時間の感覚を合わせて時代を追い、地に根を張った暮らしこそ出来ないが、それでも生きてはいける。
「……そら、こっちで生きてかなしゃあなかったからやんけ」
何を今更とばかりに零しながら、手持ち無沙汰になったのか、真子はお椀にささっているスプーンを手に取り、底から返すようにネッチャネッチャと混ぜ合わせ始めた。
それを眺めながら、この100年は長かったのか短かったのか、とぼんやり私は考える。昔なら迷いなく『まだ100年』だったはずなんだけど。
「……そうだけど、そうじゃないよ」
「んあ?」
“俺は沙絵を利用したんかも分からん”
引いて押し寄せてを繰り返す感情の波に呑まれぬよう、放っとくと内に向きそうな意識を外へ外へ。頭の中を忙しくして、とにかく止めない。止まらない。
気長に行こやと言った真子が、そんな風に絶えず『今やること』を追っていたと知ったのは現世に至っておよそ30年、一緒に住み出す少し前くらいのこと。どないな経緯にせよ、ここに至った以上は仲間。せやったらまず、この子をもっと知らなアカンな、と思ったという。
飲みの席での取るに足らない会話、隊舎や茶屋でばったり会った時の儀礼的な挨拶。他の誰より人となりが不明な私を、自分が前に進む為の体の良い理由にしたのかもしれない、と。
けれど私にとってそれは、とても光栄なことだった。
生きる場所、己の役割、大切な存在。予告なく沢山のものを失った私たちは、同じくらい何かに縋らずには自分の存在意義すら見失いそうだった。
真子とてそれは同じで、けれど唯一あの柔和な笑みの下の狂気に勘付いていただけあって、人一倍それを隠すのは上手く
――だけどきっと、そうすることで持ち堪えられる何かもあるのだろうと思えるくらいには、私たちは彼を信じている。
利用だろうが何でもいい。
どんな形であれ、痛みも、悔しさも、後悔も。互いが互いの何もかもを引き受けて行けば、目的のその日まで、私たちはここで生きていける。その姿勢を先んじて示すことが、真子にとってのスタートでもあった。
「仕方ない、だけじゃ足りなかった。理由が必要だったよ、皆な」
掻き混ぜていた手をピタと止めた真子は、一瞬だけじっと私を見据えると、ひとつ息を落として鉄板に油引きを滑らせ始めた。つられるようにその所作を眺めていると、半面ほどコーティングされたところで正面からぼそりと低い声が紡がれる。
「……俺はそれをオマエに言うたことを、後悔しとる」
「え?」
「所詮はきっかけに過ぎひん。しゃーけどあん時の俺には『仲間』のオマエとこないなることにも、理由は必要やった」
「それは……私だって同じだよ……」
皆なで、ふたりで、忙しなく流れて行く現世の景色を見つめながら、いつからか一緒に過ごす時が増え、いつからか同じ屋根の下で寄り添い眠るようになった。
けれど一見はごくありふれたこの関係には、自分たちが向かう先で互いを失うかもしれないという恐れが、いつだってすぐ隣に横たわっている。
元はと言えば、垣根の外から見るだけだった存在。或いは私は、彼が向けてくれている『必要』の意味を錯覚しているに過ぎないのかもしれない。そう、思った時期もなくはなかった。
――それでも信じているものの方が、ずっと多くあって。
「もっと普通に、オマエが好きやーとか、一緒おりたいねん、とか。そんなん言えたら良かってんけどなぁ」
言い終わるか終わらないかの間際で、どろり。薄黄色が鉄板に落とされる。その瞬間、真子と重ねてきた沢山のものがゆるやかに溶け出し、私の中をゆっくりと逆流し始めた。息を呑み、きゅっと喉を締めれば、手際よく整えられたお好み焼きの丸が歪んで映る。少し火が強いかもしれない。煙が、もうもうと立ち昇っている。
「ま、オマエにはあのアホぶった斬った後も俺ん彼女でおって貰うけどな」
「…………勝手、だなぁ」
震える瞼に力を込め、やっとの思いで絞り出した声は、自分でも驚くほど情けないものだった。煙越しにも分かる白が、初めてクリームソーダを前にしたあの時と同じに、ニカリと艶やかに覗く。
「あんなぁ沙絵、考えてもみ? そない宇宙人の血ぃみたぁな色したクリームソーダに、のけぞるほどすっぱいまっかっかのすもも漬け。オマエ、自分のどぎついモン好きがどんだけのレベルか分かってへんやろ」
「……食べ物だけじゃん」
「いーや、オマエ俺と別れたら間違いっなく大阪のオバチャンみたぁなことなる思うで。2年後には完全菩薩パーマや。アカンアカン、元カノがそんなんとか俺ぜったい耐えられへん」
「……残念。おばちゃ、にはなれませんー」
鳩尾から突き上げてくる嗚咽を飲み込むと、瞳からはいよいよまあるい粒が零れ落ちる。100年の付き合いだというのに、この義骸はちっとも私の言うことをきいてくれない。
止め処なく湧き出るそれをどうすることも出来ず、俯き目を伏せる。と、それを見て取ったのか、おいおい、と頭上から呆れ返った声が降って来る。
「オマエがアホみたく拍手しよる姿ひとり占めしたろ思てここ来てんねんで? オマエが見いひんかったら意味ないやんけ」
……そっか、そうなのか。ならば私は見なきゃいけない。どんなひどい状態だろうと顔を上げて、この目で。
「俺ん言わせりゃクリームソーダもすもも漬けもクソ喰らえじゃボケ」
けれど真摯な気持ちでみっともない顔を上げた私が目にしたのは、ケッと言わんばかりの苦々しげな真子の顔。一体この方は何と戦っているんだ。思わず笑ってしまい、目尻からまた、ぽろぽろと雫が落ちる。
「世界を救うんは俺の作るお好み焼きに決まっとりますー」
伸びてきた指は優しくそれを拭うのに、その口は呆れるほど憎たらしい声音を放つ。そんな矛盾だらけの姿に、私はやっぱり笑ってしまう。全部、ぜんぶ真子が見せてくれたものに変わりはないのに。
いつか全てから自由になったその時、私たちはきっと、どこへでも行けるし何だって出来る。
けれどそうなったところで、何だかんだ結局いつも通り皆なでワイワイやって、私たちふたりも露骨に愛を囁き合うようなことは、やっぱり出来なくて。
「……まぁ、私も毎晩のように寝笑いする人が元カレとか耐えられないけど」
「オマエなぁ、そない俄か煎じが通用するかっちゅー……って、えぇっ!?」
「いやーほんっと便利な世の中になりました。
――よく撮れてるでしょ?」
それをカモフラージュする、ちょっぴりふざけた理由が必要だったりするのかもしれない。
−END−
2011.5.13