← (2/3) →全員の内在闘争が終わった後、私はここに来てまで迷惑をかけたくない一心で虚化保持訓練に明け暮れた。
“沙絵は巻き込まれただけやろ”
皆なの気遣いが、ただただ痛かった。何より自分を赦せなかった。
明るく振舞いながらも垣根を崩さぬよう、私は誰に何と言われようと白以外を呼び捨てにはしなかった。ひよ里ちゃん、リサちゃん、真子さん、ローズさん、羅武さん、八玄さん、拳西さん。
真子は、背中いっぱいに光を宿していた髪を肩まで切った。
身近で接するようになり、素面でものらりくらりとしている姿は正直意外だったが、それでもやはり彼は『平子隊長』たらしめる鋭さと強さを備えた人だった。
音楽、娯楽、流行の身なりや化粧に通じた雑誌。現世にある様々なものを見せては私の気を紛らせようとしてくれていたのは、明らかで
――“沙絵ー! なぁ、俺ここのパーラー行ってみたいんやけど、オマエ付き合うてくれへん?”
ある日、給料日の浮かれたテンションで雑誌片手に現れた真子に誘われたものの、そこは今でいう高級オシャレカフェ。その手にサッパリ疎い私に、当然そこへ行くに相応しい服などありはしない。
“おし! 俺が変身さしたる!”
それを理由に白に頼んだ方が、という私の進言を遮るが早いか、ぐっと腰を掴んできた真子に体重を預けさせられ、え? と思った時にはアジトの上空にいた。
そこからは訳も分からぬまま店をはしごして着せ替え人形にされ、今から見ればレトロな、当時にしてはモダンな雰囲気の半袖ワンピースで目的のパーラーヘ。
椅子の下のスースーする感覚に足をすり合わせつつ、よく分からない音楽の流れる不思議な空間にぐるぐると落ち着きなく視線を彷徨わせた私。当時から難なく洋服を着こなしていた向かいの真子はといえば、まだ普及し始めたばかりのコーヒーを慣れた手つきで口に運んでいた。
カチャリ、とソーサーに置かれたカップをメニュー越しに覗き込み、香り立つ深いこげ茶色に映った真子の顎のラインを見て、綺麗だな、と思ったことを今でもよく覚えている。
“どれも魅力的で迷うてまうんやと。スマンけどゆっくり選ばせたってや”
どれが何やら分からず、長々決めかねていた私。注文を聞きに来た店員さんにも、真子は余裕たっぷりの対応をして見せた。
せっかく気を遣って連れ出してくれたというのに余計なフォローばかりさせてしまっている。あまりの申し訳なさに心がひしゃげそうになった、その時だった。
近くの親子連れの元へ運ばれたクリームソーダ。それを認めるや否や、私は見たこともないその液体に一瞬で目を奪われた。
――あのきらきらした飲み物は、何?
“真子さん、あれ……私、あれが飲んでみたいです……!”
そうして目の前に運ばれてきた鮮やかな緑色。しゅわしゅわと音を立てて細かに舞い上がる泡粒。ぽっかりと浮かんでいる乳白色。
何とも不思議な気持ちで見惚れていると、視界の隅に覗いた艶やかな白。目線を上げた私にニヤリとした顔が、ちょおそれ中に押し込んでみ? とひと言。
言われるままにやってみれば、ぶくぶくーと音がして見る間にもくもく泡が膨らんで行く。吃驚しすぎて固まりかけたところ「すすれすすれ!」と正面から声。
ハッと我に返り慌ててグラスに口をつけ、溢れんばかりに縁を覆った泡をずずーっとすすった。ひんやりとした甘い味が、たちまち舌の上に広がった。
――何これ、美味しい……!
“やーっと普通に笑いよったか。しっかし、まさか沙絵の鍵がクリームソーダやったとはなぁ”
ハァ〜と脱力気味に息を零し、でも愉快そうに笑う真子は、やっぱりとても強い人なのだと改めて思わされた。
私の嘘くさい笑顔など、この人の前では通用しない。自分の抱える悔しさ、無念さをおくびにも出さず、元の仲間のみならず間抜けな経緯で今に至った私のことまで思い遣り「気長に行こや」と優しく笑う。
この人は、その奥底に押し込めた黒い渦を、どうしているんだろう。
沙絵も意外と子供っぽいとこあんねやなぁ、と笑いながら差し出されたおしぼり。私はグラスを這ったソーダ水でベタベタになった手や口周りを拭いながら、ただただ不思議な思いで色の薄い瞳を見ていた。
ほんまいつ来てもここは美味いな、ほんとだねーなどとありふれた会話をしながら、ぱくぱくお好み焼きを頬ばって。
次のネタが運ばれてきたところで、ちょお小休止な、と真子が煙草を咥える。ならばと伸ばした私の手は、けれど目的のお椀に届くことなく空を切った。
少しの抗議を込めて視線を上げるも、素知らぬ顔でライターをこすっている真子。けれどその左手には、しっかりと明太チーズ天のお椀がホールドされている。
一体なんだって誕生日までお好み奉行に徹したがるのか。彼には及ばないまでも、私だってもう人並には焼けるのに。
「しゃーけど、時代は巡るもんやなぁ」
「え?」
「ほれ。それなんかも俺はまぁだ持っとったんか思うたもんやけど、今は今で可愛いく見えるから不思議やわ」
そう言って最初のひと口をフーと吐き出すと、真子の目が座敷の下へ向く。
平日の昼下がり、こじんまりとした店内に揃えられた真子のスニーカーと、年季の入ったTストラップの私のサンダル。
「可愛く見える、じゃなくて可愛いんですー」
「へーへ、そらようござんしたやな〜」
何もかも移り変わりの激しい現世。今でこそ自分でも選べるようになったものの、私には未だ流行の洋服や音楽の類がよく分からない。着物なら、迷わず買えるのだけど。
現世に至ってしばらく、とにかく私は真子が似合うと言ってくれたものを纏うだけだった。私にとってはそれが『可愛い』のべース。故に何十年経とうが私の『可愛い』は可愛いままだ。
進化に伴って淘汰される電化製品などは分かる。時間が経つことで可愛くなくなる、ダサくなる。それって、どういうことなんだろう。
「……やっぱり合ってないんだろうな、私たち」
思考の終わりにポロッと口から出た言葉。何かがプチ爆発を起こしたように真子の口から、ぼふん! と煙が飛び出した。次いでゴホゴホと咳き込んだ姿にハッとなり、すいませーん! お水くださーい! と慌てて声を張る。しまった、だいぶ誤解を招く発言をしてしまった。
おばちゃんから受け取ったグラスのひとつを差し出せば、ふんだくるように取って口をつけた真子。ごくごくと傾けながらも、怪訝そうなその瞳は「こいつ何を言い出しとんねん」とばかりにジロジロとこちらを凝視していた。