← (2/15) →――何や、楽勝やん。
ボクより少し年上で、そこそこ夜歴の長い、品があってプライド高そな切れ長の別嬪さん。得意タイプど真ん中。
“果たして君の手に負えるか見ものだよ”
客席で笑うてる姿こっそり盗み見とってんけど、何で藍染はんほどん人があの程度の子ずっと持て余したはるんか、ボクにはやっぱし不思議でならんかった。
せやけどその、色素の薄いガラス玉みたいな瞳を間近にして、ああこら確かに手強いかも分かれへん思うてもた。ボクの素性がバレるんなんか時間の問題。それどころか下手したら藍染はんの目論見まであっさり見抜かれてまいそやわ。
……にしても、もうちょい情報集めといた方が良さそうなんは確かやろな。
まさかボーイさんやるはめんなるとは思うとらんかったけど、まま、そうそう経験出来るもんやなし、楽しんどこか。
終礼後、沙希ちゃんと乱菊ちゃんの二人組は、一服しながら更衣室が空くんを待っとるみたいやった。
ほんならそこへ、彼女に何や物申したそな東仙はんを制して、藍染はんがすっと近寄って行きはったやんか。何言わはるんやろ思て、近くのテーブル片付けるふりしながらボクも耳ぃそばだててみる。
「ふふ。君、今日は誕生日だったかな」
「すみません、店長」
「僕は褒めてるんだよ? 沙希くん」
「……ありがとうございます」
「この調子で次の周年イベントもよろしく頼むよ」
……ひや〜えらい嫌味な釘の刺し方しはるもんやなぁ。
せやけど露骨に眉を寄せとる乱菊ちゃんをよそに、沙希ちゃんは短くただ「はい」て返しよって。ほんなら藍染はんも「今日もお疲れさま」とだけ告げて事務所ん方へ向かはった。
上澄みを掬うよな会話と、そこに漂う異様な空気。何や盗み聞きしとったボクまで、背中に氷を滑り落とされたみたいな心地がしてしもた。
時間にしたら僅かやったけど、この日沙希ちゃんはピークに5卓も指名がかぶりよった。散々付け回しに気ぃ揉まされてか、何やえらいゲッソリしてはった東仙はんに、それとなく色々聞いてみてんけど。
沙希ちゃんは顧客数だけで言うたら断トツ。せやけど売り上げ平均はずっと5位から7位らへん。理由は単純、彼女のお客はんの大半が来たい時に勝手に来はる人ばっかしやから。
つまりは彼女自身、来店調整を全くしいひんいうことやんな。
そないな営業スタイルが為か、来店の波はあれど殆どん人が何年も沙希ちゃんから離れへんのやと。それが順繰り順繰りしとる結果、ナンバークラスにはなられへんけど月平均はそこそこをキープ。せやけどイベントなんかで確実に売り上げたい日に終日ヘルプいうことも少なくないらしいわ。
加えて厄介なんが毎月ノルマはクリア。遅刻欠勤やクレームも殆どなし。前借り金もゼロ。他のキャストや男絡みのトラブルもなし。アフター以外のホスト遊びもゼロ。我儘言わん代わりに相談も一切して来いひん。
褒めても叱っても糠に釘。典型的な『打てど響かず触れど届かず』なタイプや。
――せやけど、おらんくなられたら大打撃。
“ほんで管理風紀、と”
“適度にはまらせられたら、君の客として引っ張って金を使わせて欲しい”
……ぼちぼちええ歳やから、もう夜は上がりたい?
あんまし無難過ぎるその嘘ん中に、藍染はんはほんまの理由を見っけられへんかったみたいやけど。
“飽きる、多分”
アカンわぁ、どないしよ。
何もかんも見透かすよで、眼球の裏が空洞なっとるよな絵が浮かんでまう、あの瞳。ボクの予想通りやったら多分、沙希ちゃんはボクと同しビョーキやわ。
店ぇ閉めて藍染はんたちとエレベーター降りたら、びゅんびゅんやった風が幾らか穏やかなっとって、こん時期特有の湿った空気の匂いがそこら一帯に充満しとった。角のコンビニには、先に降りた女の子たちがわらわらおるんが見える。
バタンいう車んドアの閉まる音がして、見たら送りドライバーはんのひとりが振り分け確認に来はるとこやった。そん車の前で沙希ちゃんがひとり、何やビニール傘越しにぼーっと上を仰いどる。
「ギン、君は彼女たちと同じルートだよ」
ひょいてドライバーはんのメモを覗き込めば、ボク、沙希ちゃん、桃ちゃん、一番下にアフターが決まって取り消し線が引かれた乱菊ちゃんの名前。
なるほど、徹底したはるわ。
「可愛い子ばっかしですやん。えらいツイとるなぁ〜ボク」
「市丸、分かってるだろうが……」
「イヤやなぁ〜東仙はん、冗談に決まってますやろぉ? ほなお先です〜」
風紀、つまり店ん黒服と女の子が関係持つんがご法度なんか言うまでもあらへんこと。せやから、ボクは沙希ちゃんに大っぴらに近付くよな真似は出来ひん。
その上で藍染はんがボク用に手配してくれはったんは、住所からして彼女ん家から徒歩圏内のマンスリーマンション。
――つまり、あとは上手いこと転がり込めいうこと。
「……何をそないにずっと見とるん?」
横に立ったボクに見向きもせんと、沙希ちゃんは上ぇ向いたまま淡々と言いよった。
「雨を下から見てるの」
「……おもろいん?」
「ん、ちょっと綺麗。ギンも見てみたら」
ようやっと目線降ろした沙希ちゃんは、黒い傘を持っとったボクに自分のビニール傘を「はい」ちゅー感じで突き出してきよってんけど。
いきなり下ん名前で呼ばれてポカンなってしもたボクに気ぃ付いたんか、彼女はコテンて首を傾げよった。
「乱菊ちゃんからそう聞いたんだけど」
「……ん、あぁ、ギンで合うとるよ」
へらて笑うて見せると、ひとつ頷いた沙希ちゃんはボクの傘ん柄を左手で持って、右手の自分の傘を差し出しよる。流れんまま掴んでしもたボクは、半ば義務的なそん空気に抵抗せんとゆっくり顎を上げてみた。
ほんならボクん真上から、街灯やらネオンやらを纏った雨粒が、きらきら乱反射しながら次々に落ちて来よる。
「……飴玉みたいやなぁ」
「うん」
存外幻想的やったそれに意識持ってかれとったら、ちょっとして小さくクスて笑う声が聞こえた。ん? 思てそん音の発信源を追うたら、そこには僅かに口元の緩んだ沙希ちゃんの顔。
「……ふ、やっぱり口開いちゃうよね」
飴玉みたいな雨粒より、ほんのちょびっと細なった琥珀のガラス玉のが遥かに綺麗やった。