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――ごめん。私、自分サイドからばっかり考えてて、啓吾くんへの配慮まるで足りてなかったかも」
「いっ、いいきなりどーしたんだよ。別に俺そんな風に感じてねーけど!?」
色々といっぱいいっぱいな俺の気も知らねえで、沙希ちゃんってば目までつむって謝ってくるしマジでどうしたの!? てかむしろ配慮して欲しいの今だから!
あのですね、確かに俺はあなたをオンナのヒトとして見てますけど、姉ちゃん的感覚だってまだあるんです。恋愛感情と憧れのヘタレ和え的な状態なんです。でなきゃ二人きりの部屋で平然と一緒に過ごせるわけねーだろって話なんです。
そのあなたが腕掴んで上目遣いで真剣に謝るとか、何か、色々崩れるんだって!
「そうじゃなくて。大事なこと、ちゃんと言ってなかった」
「大事な、こと……?」
だけど全力でたじろいでた俺の思考を一掃したのも、何だかんだ沙希ちゃんで。
さながら今度は審判を待つ囚人状態。この局面で大事なことって何だよ……。
暗雲立ち込める心境の俺に対して、ぱっとそこで俺の腕を離した沙希ちゃん。ほんの少し目を泳がせて「ええと……ひとつだけ前置きさせて」なんて、珍しくちょっと歯切れ悪い。
「はは、らしくねーじゃん。いいよ、バッサリ言ってくれて」
「こら先回りしない。あのね、こっちだって勇気がいることもあるんです」
「えっ」
「でも、今のでちょっともらえたかも」
そう言ってにやっと笑って見せた沙希ちゃんが、ソファで話そっかって立ち上がる。心なしその声も楽しげで、後に続く俺も雲間から陽が射し込んできたみたいに気持ちが浮き足立っちまう。結局こんな風に沙希ちゃんに翻弄されてる今の状態も、嫌いじゃねーのかもなぁ、俺。
「改めて前置くけど、私の痛い自惚れでしたっていうオチの場合は、ドン引かないでとにかく笑い飛ばして。でないと多分、地にめり込む勢いで落ち込む」
「う、うん。それで?」
「私、今は今で待ってないから」
「え、それって……」
“啓吾くんが大人になるのを待ったりなんかしない”
『待ってない』で思い当たる台詞なんてあれしかない。
あの日の沙希ちゃんにとっては「冒険するほどの気持ちはない」が全てで、別に優しさでも何でもねーんだろうけど、それでも俺がすんなり日常に戻れたのも、心置きなく元カノにハマれたのも、沙希ちゃんが茶化したり流したりしないでくれたおかげかもって後になって思った。
普通じゃねえ色々もあったけど、それ含めて俺なりに高校生したなって今も思うし。
けど今はこうやって家に上げてくれたり、がっつりとはいかねーけどデートっぽい感じで出かけたりもしてて……それでも待ってないってどういう意味?
混乱する頭を傾けた俺を沙希ちゃんはやっぱり面白そうに見てるけど、言いっ放しの言葉とは裏腹に眼差しがやわらかくて、何かやたらどきどきする。
「ほんと言うと、端から啓吾くんにそういうこと望んでない。今もあの時も」
「大人になること……?」
「うん、あと私の仕事に対する理解なんかも。むしろ申し訳なく思ってるよ。私の日常だと、聞いてもつまんないだろうなって話がどうしても多くなるし」
「いやつまんなかったら来ねえって。つーかそれ言ったら、俺の話の方が下らないんじゃね?」
「そう? 啓吾くんの友達の話聞くの、私楽しいよ?」
「とっ、友達の話限定!?」
「だって友達の話してる時が一番楽しそう」
「俺が?」
何の躊躇いもなく笑顔でうんうんって頷く沙希ちゃんに、何か堪んねえ気持ちになって慌ててバッと下向いた。やっぱ俺、沙希ちゃんすげえ好き。大好き。
無意識だし、話してる時がどんなとか知らなかったけど、俺ん中で友達のウェイトがでかいのは事実で。そこ感じ取ってくれてたんだって思うと、何かぐっとくる。
うるさい黙れとか言われながら騒いでる時が単純に楽しくて、だけど元カノには全部ポーズだと思われてて。もっと聞く側に回れば良かったって今でこそ思うけど、俺の馬鹿話で笑ってもらうぐらいしか頭回んなかったし。
高3で。受験で。時間とか優先順位とか、あのころ色んなことが俺には難しかった。
「……無理ってわかってても、望まれなくても」
「うん?」
「それでも理解できたらなって思うよ、俺も」
「俺も……?」
「俺が思う沙希ちゃんの大事なもの、家族にモコに仕事にビール? ぐらいしか出てこねーし」
「あはは、でも合ってる」
「どんな友達がいるかも知らねーし。あ、でも高校の時の彼氏はひとり知ってる」
「えー! ちょっと待って、何言い出してんの!?」
「下の公園で喧嘩してた。そのあと仲直りのちゅーしてた。姉ちゃん取られたみたいですっげーモヤモヤしたの覚えてる」
「うーわー! け、啓吾くんそれ、世界史15点消去でチャラにしよう!?」
「ヤダ。つーか無理。俺がどんだけショックだったと思ってんの? 泣いたよね、大泣きだよね」
ソファの上で膝立ちになって大振りであわあわしたり頭抱えたり。沙希ちゃんでもこんな風に動揺したりすんだな。これまた珍しく可愛いかも。
まー言ってもまだ皮の盾レベルのガード率の頃だし? 話題に出来るぐらいのことですよ。そもそも誰に想像できたって話。実際に真剣的なやつ構える日が来るとか、淡い憧れが本物になるとかさ。
「まぁ、だからさ。今更かっこつける気も起きねーぐらい前からお姉さんで、俺が騒ぎ好きのうるさい野郎だってこととかもわかってて、気兼ねもなくて」
「あっ、それだよそれ」
「それ?」
「さっきの話、確かに遊びの誘いとは違うけど、私が望んでることも結構単純なんだよね」
望んでるって、俺に?
そこでちらっと壁の時計を見た沙希ちゃんは、新しいの取ってくるって嬉しそうに冷蔵庫へ向かった。軽やかな足取りを目で追いながら、別に約束したわけでもねえのにそういうとこ変にきっちりしてるよなーなんて思う。
他にも何か物色してるのか、屈んだ沙希ちゃんは開いた扉に隠れてる。案の定「さけるチーズ食べる?」って聞かれて「うん」なんて普通に返したけど、そういやそれもおじさんの好物。しかもまさかの裂かない派。
もらったチーズの包装めくる俺の横で、何かを考えてる顔の沙希ちゃんはゆっくり缶に唇をつけてる。ガーッと喋る俺に対し、沙希ちゃん主導の会話は基本間が多め。
だから特に気にしねーでチーズ裂いてたんだけど、「それお父さんそのままいくんだよね」とか横から聞こえて思わず笑っちまう。知ってるって返したら沙希ちゃんも軽く吹き出した。
「あはは。やっぱいいね、こういうの」
「えっ?」
「お互い性格とかわかってて、身内ネタも通じて、気心知れてて?」
「あー、うん」
「だから勝手かもしれないけど、慰めの言葉とか、理解とか尤もな意見とか。そういうのより」
「……うん?」
「嫌いな自分に出会う時、かっこわるい時でも、偽らずにいられる人といたいなって思って誘いました。でもそういう姿を見たくないなら断っていいからねってこと」
「……っ!」
そう言って俺の顔を覗うように右に傾けられた首。熱持ったみてえに体が熱いし、何か頭もくらくらする。ひと口食っただけの喉がやたら渇いて、ペットボトルのキャップ捻ってがっと流し込んだけど全然足んねえ。
「ごめん。やっぱ俺も、何か飲んでいい?」
「……どうぞ?」
沙希ちゃんの微妙な溜めに気付く余裕もない俺は、促されるまま冷蔵庫へ。
同じように扉の内側に屈んで顔いっぱいに冷気を浴びる。やべーめちゃくちゃ気持ちいいし。どんだけ赤くなってたんだろ、だっせー俺。
クールダウンしてようやく中身に意識が向いた……はいいけど、ちょっと待って何これ。激しく違和感なんですけど。だって甘いの飲まないよな? ビール以外は炭酸系の酒苦手とも言ってたよな?
“……乾杯したいなって”
「……沙希ちゃん、今日俺泊まってもい?」
いつからか用意されてたサワー缶が、痛い自惚れだったらと構えちまってた沙希ちゃんなりの突破口だったなんて、そんなのわかるわけねーじゃん! とか。
今さら言うほど歳は気にしてないけど、それでも浅野一家がチラつく程度の罪悪感はあるんだってば! とか。
「風鈴市も行きたいなぁ。啓吾くんちにもあるリンリンって鳴るのがほしい」
「また渋いとこついてきますねぇ……まーでもいいかもね、この部屋殺風景だし」
「そうかな? そうでもないでしょ」
「あるある。何かちょっと、出そう?」
「怖いこと言わないでよ」
「ならもっとくっついていいぜ?」
「……」
「無視はやめて! 冗談だって、ここは大丈夫」
「え、何そのわかる感じ」
「……俺も怖えーの嫌いだし」
互いに胸の内をすっきりさせた明け方、守りたい人の顔で眠る沙希ちゃんを見つめながら今年初の蝉の声を聞いた。
−END−
2014.07.24