← (6/6) →ほの明るい神社の境内。神聖なその場所から響き渡る芯を震わすような長胴の太鼓の音。そこに重なる平太鼓、小気味良く耳をついて調子を取る鉦の音。
夏の締めくくりに相応しい躍動感あふれる奉納演奏。人だかりの隙間から啓吾くんとふたり、勇壮なその姿をただただ無心で眺める。徐々に合間をつめ速度を増すごと、残像を伴って振るわれるバチが綺麗。
私たち鳴木市民にとって、これを見納めることで事実上その年の夏は終わり。今週の半ばには月も変わり、私は社会人として新たな日常を、啓吾くんは高2の二学期を迎える。
ん……?
ぎゅ、と右手に感触を覚えたのは、肝である締めに差し掛かる直前のこと。壇上に意識を残しつつ隣を見上げるも、少し大人びたその顔は境内に向いたままだ。
そしてそれは、一瞬の静寂を縫って届けられた。
「俺さ、沙希ちゃんのこと好きだよ」
ハッと威勢良く放たれた掛け声。加速する和太鼓。最高潮に達すると同時にパッと鳴り止み、入れ替わりで湧き上がる歓声、拍手。徐々に人がばらけて辺りに喧騒が戻るまで、私はずっと放心したまま啓吾くんの横顔を見つめていた。だって意味が分からない。
――だが、彼は私が思っていたよりも大人だった。
「でも、それもやっぱ夏マジックってヤツなのかな」
私の手を放し、漸くこちらに視線を合わせてきた啓吾くんが、またあの曖昧な笑顔で問うて来る。同時に、姉として? という僅かな可能性も打ち消されたことを思い知る。
「……よく、分かってんじゃん」
「う〜ん、まー身近に達人いるし」
……分かってるなら何でわざわざ言うんだよ。
散歩に行った日に会った小柄な男の子の姿を思い浮かべる一方で、啓吾くんの不可解な言動には混乱させられるばかり。
「何か知んねーけど、久々に会ったら沙希ちゃんすげえ綺麗になってるしよ。俺、バカみてえにひとりでずっとドキドキしっぱなし。こういうの本当にあんだなって思っちゃったよ」
「……てかそれ系の『お姉さん』と私って、なんかキャラ違わない?」
「ちょ、それ系って。俺そんな妄想なんかしてねーって! ……ちょっとしか」
「いやそこバカ正直に言わなくていい」
片手で顔を覆いながらハァと溜め息吐くと、ぼそっと「ごめん」とか言われて頭が痛い思いがしてきた。しかも、自分にも全く心当たりが無いわけじゃないあたり真剣に笑えない。
「でも俺ん中では、いつもみたく『お姉さーん♪』とか言ってるテンションと全然ちげえし、自分の気持ちひとつ分かんないほどガキじゃねーつもりなんだけどなぁ……プロポーズの話だって内心すげえ焦っちゃったし」
「や、感情は否定しないよ? 私だって先生を好きになったことあるし、ユウも高3の時21の大学生と付き合ってたし」
「えっ、ちょっと待って、その先生って今もうちにいたりする!?」
「いないでしょ、教育実習生だもん」
……そう考えると私も大概ベタだよな。
何だかんだ自分は、ありがちな要素に弱いのだろうか。複雑な表情をしている啓吾くんを一瞥し、再びハァと息を吐いてとうにぬるくなったビールをひと口飲み込む。
気付けば人でいっぱいだったこの境内前の広場も、だいぶ閑散としつつあった。露になった砂地が、今一度 夏は終わったのだと私に告げてくる。
夜の空気に胸がざわめき、ビールが美味しくて。あちこち駆けずり回ってる内に8月が来て、蝉たちは大合唱。時折見かける浴衣姿を横目に盆が過ぎ、何かありそうで、なさそうで、気付くと終わってる。今年も、そんな風に夏は終わると思ってた。
なのに弱った時に実家が恋しくなるという、よく耳にする心理が自分にも働いたり、ちょっぴり大人になってた近所の男の子にドキッとさせられたり。
でも、悪くなかったな。
「ごめん! やっぱ私、高校生と恋愛は無理だわ。淫行罪で捕まったりとかしたくないし」
「ええ!? そ、そういう問題!?」
「でも、突き詰めればそういうことなんだよね。仕事のリスク、啓吾くんのご両親に対する負い目、そういうの飛び越えてまで冒険するほどの感情は今の私には無い」
「うわー出たよキッパリ……ま、それっぽいこと言われると思ってましたよー」
「でも、嬉しかった。ありがとう」
素直な気持ちだった。彼自身が言ってくれたように、他の人にとってどうかは知らないけど、少なくとも今の啓吾くんの目に魅力的に映っているならとても光栄なことだし、純粋に嬉しい。
「ちょ、ほらー自分を刺激しない!」
「じゃあさ、これだけ教えてくれよ」
不意に暗くなりかけた視界に、ぎょっとして慌てて目前の胸を押し返す。が、ゆるく回された腕は腰の後ろでしっかりと組まれ、僅かな隙間を残して私はすっぽり包まれてしまった。
「万が一解けなかったら、俺どうしたらいーの?」
「……一緒にビールが飲める歳になってたら会いに来てみる、とか」
「何それ息子の成長待つ親父? つーかフツー高校卒業したらが定説じゃね?」
「約束なんかしないよ、何も。解けるか解けないか、ただそれだけ。だから私も啓吾くんが大人になるのを待ったりなんかしない」
私がそう言うと、そろり、と腕が外されたので、彼の顔の位置まで視線を持ち上げてみる。正直、あからさまに傷ついた顔でもされてたらちょっと困るところだったが、当の本人はへらりと苦笑を浮かべていた。
「あーあ。敵わねえよなぁ、ほんと」
「え、何が」
「待ったりしないってハッキリ言われて。じゃー解けるか解けないかその時まで楽しみにしときゃいっかなって、何かそんな気になった。何だろ、ふられたことには変わりねーんだけど……タイムカプセル埋める感じ?」
「あははっ、タイムカプセルかー」
そうだね、それがいい。
この夏を切り取ってタイムカプセルに入れて。そのまま忘れちゃったらそれまでだし、時々思い出してワクワクする時間があったなら、それはそれで悪くない。
――開けた瞬間に解けたとしても、懐かしいねって、きっと笑える。
「帰ろっか」
「そだね」
帰ろう、それぞれの日常に。
「う゛ーにっがー」
「……あーらーらー」
二十歳のお祝いってことでちょっと良い店に連れてきたというのに、小グラスに注いだ最初の一杯もなかなか減りそうにない。
「いや親父のをちょろっと貰ったことはあんだけど、ぶっちゃけあんまり……つーかまさかビール飲めないならダメー! とかねーよなぁ?」
「てかさ。私、母親経由であれから彼女できたって聞いたけど?」
「や、えーとそれは何つーか……しっかり『高校生』やった証? も、もうとっくに終わっちゃってるっつーの!」
「へええ、ふられたんだー」
片手で頬杖をついてニヤついた視線を送ってみると、どーせ俺はうるさくて頼りがいのない男ですよー、と聞いてもないのに残念な結果を知らせてくれた。
「で、まー気付いちゃったわけよ。やっぱ俺には沙希ちゃんしかいねー! ってさ」
「はいはい、しっかり売れ残ってましたよっと」
バイトしながらの二足の草鞋生活から個人事業一本に戻し、はや一年。何やらめちゃくちゃ緊張した様子で啓吾くんがやってきたのは、やっと無理のないペースで仕事が落ち着いてきた絶妙な頃合だった。
“い、いやあの、試しに来てみたんだけど、さ……何か俺、もっぺんマジックかかっちゃったかも……”
また少し大人の顔つきになった彼に、こっちまで再びドキッとさせられたことは、悔しいからまだ内緒だ。
「あのさ。その、デートとかって沙希ちゃんどういうとこ行きてえのかなーなんて……あっ、車で行ける場所限定な!」
「車? ドライブがしたいの?」
「あーいや……つーか俺、車買ったんだわ。つっても中古だし、そんなイイやつじゃねえけど」
「へー凄い! バイトして貯めたの?」
だけど正直、内緒にしておける自信はあんまりなかったりもする。
「うん、まぁ……や、本当はさ? 卒業してすぐ会いに行っちまおっかなーとも思ったわけ。でもどーせならハタチまでに自分の車でどっか連れてけるようになっとくかなーとか思って、ちょっと頑張っちゃったっつーか」
「う、そ……」
「あ、やっぱり? だよなー俺もびっくり! ははっ」
見覚えのある、ちょっぴり照れたようなその笑顔。リンリン、という涼やかな音色が、どこからか聞こえたような気がした。
−END−
2011.09.15