← (7/7) →「お願いします!」
「ど、どうした!? 沙希」
オロオロしたお父さんの声。ガッシャーンとお母さんがお皿を落とす音。12月の冷たいフローリングに額を付け、私は生まれて初めて両親に土下座というものをした。
「バイトしてもっとお金も貯めます! 学校もちゃんと卒業します! 出来る限り迷惑は掛けないようにします! から……舞台美術をやらせて下さい!」
やっと言ったかーというお姉ちゃんの気の抜けた声に続き、顔を上げなさいとお父さんの優しい声。言われた通りにおずおずと上げると、そこには温厚な人柄ゆえの苦労が滲み出た、でもとても暖かな笑顔。
この不況の最中、食うか食われるかの会社の空気に揉まれても尚、家族と和合ばかりを第一に考える激しく不器用な人。ファザコンの気がある私は以前まで惣ちゃんはお父さんに似てるな、なんて思ってた。
――だけど実際は、まるで違っていた。
「沙希。父さんも母さんも、お前が何かをやりたいって言い出す日を凄く楽しみにしてたんだよ」
「ふふっ、あんたってば小さい時から『何やりたい?』って聞いても『分かんない』ばっかり。習い事をやらせてもひとつとして続かなかったものねぇ」
中学の時だって狙って園芸部の幽霊部員になってたよねーというお姉ちゃんと一緒に、割れた食器を片しながらカラカラと笑うお母さん。
「少しだが定期もある。お前は心配せずに好きなことに打ち込みなさい」
「で、でも……」
「母さん楽しみだわぁ〜あんたが関わったお芝居見に行ける日」
「あたしも役者さんのサイン欲し〜……って、やだ、ちょっとお母さん! この子ってば泣いてるー!」
――お金とか成人してるとか、そういうことじゃなくて。
両親に、家族に、ただ家族としてまだ心を預けて甘えていいんだと思ったら心底ホッとして、嬉しくて。嗚咽交じりの「ありがとう」に笑ってくれる両親のもとに生まれて良かったと、この時ほどそう思ったことはなかった。
「大体なぁ! 三十路過ぎたオッサンが30年そこらかけて知ったことを21の沙希に分からそ思うこと自体が傲慢やと思とったんや、あたしは!」
「そーだよ〜だってうちらまだ若いし〜」
久しぶりに3人揃ったカフェテリア。沙希は見る目が無さ過ぎや! とえらくご立腹なリサと、ゆる〜く同調する白。そして、だってタイプど真ん中だったんだもん、あーどっかに素敵眼鏡いないかなーと零す私。女3人寄れば何とやら。
店の非常階段で大泣きしたあの日、急に具合が悪くなったと変な気を利かせた拳西によって、私はむりくり家に帰らされた。
“週末にそんなこと出来ないってば!”
“そんな顔で立ってられたら客が帰っちまうっつってんだ、バカ!”
学校は躊躇いなくサボっても、バイトだけはちゃんとする人でありたい。そう思ってたのも、結局は働く惣ちゃんに対するせめてもの背伸びだったのかもしれない。
涙と一緒に溜まりに溜まっていた膿を出した私は、店を出ると同時にスッキリした勢い任せに惣ちゃんに電話をかけた。
だけど彼は私からかけたそれには出ず、10分後に「何かあったのかい?」と心配の色を醸した声で折り返してきた。今までの私なら「バイト中に何かあったのかい?」の意味だと信じて疑わなかったに違いない。
まるで内緒で夜遊びしてる旦那さんが奥さんの着信に慌てて外へ出て、あたかも案じた風を装ってかけてきたみたいだな、と少し笑った。
“ごめんね、私やっぱり『惣ちゃんみたいな大人』にはなれないみたい。今までありがとう、バイバイ惣ちゃん”
最後の最後に馬鹿で分からず屋な子供のふりをして、そこに彼には分からない精一杯の嫌味を込めた。
「昼時のカフェテリアにいるなんて珍しいな、中庭まで探しに行っちまったぜ」
そう言って現れたのは、やっぱり片手に携帯を持ってやれやれという顔をしている銀髪男……いや、こっちがやれやれですってば。
「えーいま何月だと思ってんのー? こーんな寒い日に中庭なんかで食べるわけないじゃん、バッカじゃなーい?」
「チィッ!」
「やめとき白、拳西んとっちゃ沙希を探すんが趣味みたいなもんなんや」
「どんな変態だよ俺は!」
なみなみと火に油を注ぐリサ。そーなんだー! と珍獣でも見るような目を拳西に向ける白。
今となっては彼があの雑踏の中のふたりに気付いたのは奇跡な気もするけど、確かに私はあの日の彼に救われた。更に言うと拳西のおかげで舞台衣装を手掛けている方とのパイプをも持てた私は、実のところ全くもって彼に頭が上がらない。
「……ったく、ほらよ」
「ん……? え、凄い! 忠臣蔵!?」
ぺらんと顔の前に出された2枚のチケット。そこに表示された文字を認識するや否や私は目を見張る。一度きちんとした古典芸能も見てみたい。確かにそうは言ったけど、まさかこんな代表的な歌舞伎公演が見られるなんて夢にも思わなかった。
「うわー嬉しい! ありがとう!」
「って、おい何2枚持ってこうとしてんだ、図々しいヤツだな」
「あれ? お母さんと行けってことじゃないの?」
「……俺とのクリスマスじゃ不満かよ」
ん、今なんと……?
ふて腐ったようにそっぽを向く拳西。ついともう一度チケットに目を遣ると、そこにははっきりと12月24日の文字。顔を上げ、むず痒くなるような視線の送信者たちへツツツとずらすと、思った通りのニヤニヤ顔がふたつ。
首を戻し、未だ仏頂面で横を向くマッチョマンを仰いだ私はぽつぽつと口を開いた。
「……イブに、歌舞伎デート?」
「なんだ不満か! 不満なのか!」
ビーム的な何かが出そうなほどカッ! と見開かれた目で言われ、慌ててぶんぶん首を振る。それを見てハァと息を零した彼は「じゃあ詳しいことはまた今度な」とぼそりと言ってその場を立ち去ろうとした。
が、ふーと脱力しかけたところで「それからお前!」と急に彼が振り返ったもんだから、反射的にまた私はビシ! と背筋を伸ばした。
「こないだと同じ匂いさせてきやがったら、ぶっ飛ばすからな!」
はい……?
「ごめん、ちょっと意味が分からない……」
「他の男の為に大泣きした日の香水なんかつけてくんじゃねぇっつってんだよ! 分かったか!」
カフェテリア中の目を集めるほどの大声で言われたそれ。だけどその視線の一切に気付かないくらい呆けた私は、殆ど無意識に呟いていた。
「……やばい」
――不覚にもちょっと、ときめいてしまった。
−END−
2010.10.23