← (5/7) →え、ここ……。
「ここの1階だ、ほら行くぞ」
「あ、1階、なんだ……」
数日後の夜、拳西から私が代返した授業のノートを貸してくれとメールが入ってきた。だけど翌日に私の授業は無い上、うちにはスキャナーがない。
ただ、バイトのシフトはかぶっている。そこで、お互い少し早く行って近くのコンビニでコピーしたらどうかと持ちかけると、夕飯奢ってやるというひと言に時間が添えられて返ってきた。
前より話すようになったとはいえ学校でもバイトでも彼と毎日顔を合わせるわけじゃないし、授業以外のことで連絡を取り合ったりもしない。それゆえ外で会うことに若干の抵抗はあったものの、週末の深夜シフト前の腹ごしらえは重要。思い直した私は素直に了解の返信をした。
そうして目的のコピーを終え、時々食いに行ってる店がある、という彼に連れて来られた、のは。
“おめでとう、沙希”
彼氏の惣ちゃんの行きつけで、私の二十歳の誕生日に初めて連れて来て貰った、一枚板のカウンター席のみの大人の隠れ家的なバー。
――が、上階に入っている建物。
あれから惣ちゃんからの連絡は、約束してた日に会えなくなった、というメール1回きり。ほんの1年前、あの頃はあの頃で彼の出張が多くてやっぱりなかなか会えなかったけど、それでも今とは何もかもが違った。
ぼーっと見上げる私を置いて、その1階奥にあるらしい店へずんずん進んで行く拳西。無意識に首元のネックレスに手を遣りつつ、私は前を行く大きな背に続いた。
「何やまぁた来たんかい拳西、お前も大概ヒマジンやの〜……って、んあ!? 沙希ちゃん!?」
「え、平子先輩!?」
『Drop Cafe』と書かれたガラス張りの扉を開くと、暖色の裸電球がぶら下がる下にミッドセンチュリーテイスト満載な赤や白のソファが並んでいて。
カウンターからオカッパ金髪の見たことある顔がひょいと覗き、私は目を見開いた。
同じ移行生でふたつ上。このレトロな空間にまるで違和感の無い個性的な平子先輩は、拳西とは違った意味で有名人。どちらかと言うと私や白タイプの人だけど、遊び場所が違ったのか、やっぱり直接絡んだことは殆ど無かった。
ただ時々、得意の大遅刻で昼過ぎに登校して来た私たちを見かけると「今日も可愛いなー兄チャンらとも遊んだってや〜!」とか、教室の窓から身を乗り出してからかわれたり。
でも、私たちが大学へ上がる前に早々にドロップアウトし、その後は海外に旅立ったと聞いてたけど……?
「くぉら拳西! お前みたぁな脳筋が何でこない上玉と仲良しなっとんねん!」
「うるせぇなぁ……」
てかそれ以前にこのふたりの繋がりが不思議すぎる。そんなことを思いつつ最奥の一席に向き合って座り、先輩のイチオシだというグリルハーブチキンをふたつ頼んで……さてどうしよう。
「け、拳西と平子先輩って仲良かったんだね」
「おー何やひょんなことから再会してん。のぉ? 拳西」
と、こんな風に話を振って見るも、半端な時間の所為か誰もいない店内、答えはカウンターで調理中の人から飛んで来る。
「そういえば拳西ってメインは何のバイトしてんの?」
「何や拳西、オマエ話してへんのか? アレやでー大道具や大道具、舞台とかのな」
「おい真子! 喋ってる暇あったらとっとと作りやがれ!」
「チッ、ウルサイのう。ちょっとぐらいええやんけ、な〜沙希ちゃん! しゃーけどちょっと見いひん内にえらい大人っぽ
――」
「いいなぁー!」
痺れを切らせた拳西の怒声を平子先輩が鬱陶しそうにあしらい、だけど興奮した私は気付けば思いっきりそれにかぶせて反応。ガクッとなったその姿を見て「あ、すみません」と付け足すも、既に私の関心は完全に目の前の人物のバイト話に向いてしまっていた。
「ね、どんな感じ? 楽しい?」
「……俺は、お前は女優になりたいのかと思ってた」
「はい……?」
「日曜よく来てんだろ、○×劇場」
“お前もどっかの事務所入ってんだろ?”
ああ、ひょっとしてアレはつまりそういうこと、だったのかな?
「や、お芝居そのものはお母さんが好きでね。私は衣装や小道具とか、メイクなんかに興味があって……」
元々は単純にオシャレの延長でリメイク服にはまったのがきっかけ。それからコスプレ好きなリサと出会い、試しに作らせて貰ったら更にはまって。
平行して母とお芝居を見に行く度、あれはどんな仕組みなんだろうとか、何の生地なんだろうと興味を持つようになった。
「やってみりゃいいじゃねぇか。何なら口聞いてやろうか?」
え……!
「い、いや、やってみたいけど……その、うちも色々あって……」
正直こんなにはまると分かってれば、舞台美術コースのある専門学校に行きたいところだった。
だけど現実、決して余裕な経済状態でもないのに高校大学と私立校に行かせて貰った私。加えてボーナスカットや減給など父の勤め先も思わしくない上、今まで家にお金を入れてた姉も結婚が決まり、もうすぐ家を出る。
散々好き勝手してきた分、今度は私がきちんと就職して親孝行する番、そういう意味でも私は『選べない』。
「へぇ……ま、色んな家があっからな」
「ほれ、お待ちどうサン!」
……揺れたなぁ、ぐらっぐらに。
湯気と一緒に香ばしい香りを立ち昇らせている平子先輩お手製のチキン。目の前のそれを見つめながら内心で意志薄弱な自分に苦笑する。
――こんなだからきっと、彼の目には危なっかしくて仕方ないんだろう。