← (4/7) →2限終わりの白が帰った後、丸々ひと授業分の空き時間を持て余していた私は、ひとり中庭に残って携帯で調べ物をしていた。
「ここにいたのか、沙希」
「っ!?」
誰もいなくなったのをいいことに横になって寛ぎまくっていると、急に頭上から低い声で名前を呼ばれまたも露骨にビクついてしまった。
「悪ぃ、臨時のバイト入っちまったから4限の代返頼めねぇか?」
画面に向けてた目を「出席票持ってる後輩が捕まんねんだわ」と続いた方に恐る恐る向ける
――と、案の定そこには、参ったという顔の銀髪マッチョの男。
初めて話してから約1ヶ月。お互いバイト仲間の影響で何となく下の名で呼び合うようになったのはいいけど、学校では呼ばれ慣れない上に、ぶっちゃけ私の中の彼に対する恐怖心も完全には払拭し切れてない。
「いいけど……あの、拳西?」
「あ? なんだ」
「……何でもない」
てか何で番号知ってるのに携帯手に持って探しにくるんすか? や、別にいいけども……。去年、私と同じ授業を落としたのも、素で曜日を間違えてテストをスルーしたと言うんだから驚きだ。
つくづくよく分かんない人だと思いつつ鞄から予備の出席票を取り出し、今書いちゃってくれる? と手渡す。ドカッと私の横に座った拳西は、立てた片膝にクリアケースを置き、それを下敷き代わりに記名を始めた。
「そういや沙希は卒業後どうすんだ、就職すんのか?」
「そりゃーしなきゃだよ」
「だってお前もどっかの事務所入ってんだろ?」
「は!? いや入ってないし。てか、え、ひょっとして白が入ってるのも普通の芸能事務所かなんかと勘違いしてる?」
「なんだ違うのか? 俺はそう聞いたぞ?」
お互い「え?」みたいになって顔を見合わせる。誰からと聞けば、お前と同じ元B組のヤツとのこと。大概レアキャラ過ぎるのか、どうも自分たちの知らないところで芹沢沙希と久南白がひとり歩きしてる模様。
でもそれは、激しくお互いさまというやつなのかもしれない。
芝生に放られた拳西の携帯。不意にそれが地面からくぐもった振動音をヴーヴー伝え、ボールペンを握る彼の手がピタと止まる。
「ったく、タイミングわ
――」
さっき言ってた後輩かなと思いかけたところ、何やら途中で言葉を詰まらせた彼。おや? と思って見ると、暫し不愉快そうな無表情で画面を見つめ、ちょっとしてから液晶をなぞっていた。
「……なんだよ、話ならもう終わったろ」
低く、淡々としているようで、何か苛立ちめいたものを抑え込んでるような声。
何となく込み入った雰囲気を感じ取った私は、微妙な居心地の悪さを自分の携帯をいじり始めることで紛らせる。
「お前がどう言おうが、もう俺はやり直す気はねぇつってんだろ」
ちょ、うわぁ……これ電話終わったら絶対めちゃくちゃ気まずいいいい!
聞かなかったことにして、さくっと出席票だけ貰って立ち去ろう。うんそれがいい。
でも、意外だな。
森林伐採が如く片っ端から女の子をフッていて、体育会系にありがちなホモ説まで囁かれていた拳西。流石にそんなベタな噂は鵜呑みにしないまでも、こんな風に特定の存在がいる
――いや、いた、なのかな? いずれにしろ、こういう類の話を直で聞かされると些か驚きというか何というか。
「あ゛ー! ったく、ウッゼーなー!」
「っ!?」
切るぞ、の短いひと言の後、ぺいっと芝生に携帯を放ったかと思えば結構な勢いでガリガリ頭を掻き毟り始めた彼。横の存在は確実に忘れてるなと思ったら、案の定ひとしきり吠えた後、ああいたのか、みたいな顔をされた。
「……悪ぃ、前の女」
「そ、そうなんだ」
……いや普通に分かるし。てか説明して頂かなくてもよいです。
そう思うと同時に、ふっとさっき見た光景が思い出されて、あ、と小さく声に出てしまい、なんだよと訝しげに覗き込まれた。
「や、ひょっとしてさっきの……かなと」
「なんだ見てたのかよ。いい趣味してんなーお前も」
「ちょ、たまたま通り掛かっただけなんですけど!?」
「冗談だバカ、あと勘違いしてそうだから言うがふられたのは俺の方だ」
えっ
……えええええ!?
目をひんむく勢いで仰天してしまった私を見た拳西は「なんだよモロかよ」とふて腐った顔でぼやいていた。
“アメフトやってる俺が良かったんだと”
「そういうもんかねぇ……」
その日のバイト中、週初めの暇過ぎるカウンターで、ひとり私は昼に聞いた衝撃の事実について思い返していた。
どうやら拳西は高3から他校の子と付き合っていたようで、彼女もまたうちの大学を一般受験。晴れてふたり揃って合格したはいいけど、入って半年くらいで先の台詞を言われたとのこと。それから別の人と付き合った彼女はその相手とも別れ、今は拳西とよりを戻したがっているらしい。
万年帰宅部だった私は放課後の彼を殆ど知らないけど、それでも数える程度にはショルダーを着けた雄姿を見たことがある。実際、アメフトはサッパリな私の目にも、迷いなく相手に突進していく彼はめちゃくちゃかっこよく見えたものだ。
加えて私のタイプじゃーないけど、少なくともメットを脱いだからってアメフトマジックから醒めるような容姿でもない。
「うーん、やっぱあのオラオラな感じが原因か……?」
「沙希ちゃん」
「うっわぁ!? え、い、市丸さん!? いらっしゃいませ……」
不意に呼ばれてハッと顔を上げると、わりと至近距離に惣ちゃんの部下の人の姿があって度肝を抜かされた。受付表に目を落として完全に一点病入ってた私は、自動ドアの開閉にすら気付かなかったらしい。
「久しぶりやね。8人なんやけど入れる?」
「あ……っと、はい大丈夫です」
おーそら良かった、と笑った市丸さんは、続いて下にいるらしき人たちに携帯でその旨を伝えているようだった。この人は何を歌うのかな、なんて思いながら見ていると、スーツの内側に携帯をしまった彼がカウンターに頬杖をついてこう言った。
「ごめんなぁ、沙希ちゃん。藍染部長も誘ったんやけど、まだやらなアカンことが残ったはるみたいやってん」
「え? あー……仕事大変みたいですし、しょうがないですよ」
――市丸さんに謝られてもなぁ。
そう思いつつ当たり障り無く笑って返すと、一瞬だけその眉をピクつかせた市丸さんは、でもすぐにまたにんまりと笑って。
「あんまし賢なったらアカンよ? 沙希ちゃん」
「……?」
そう言って私の頭をぽんぽんとすると、ちょうど上がって来た面々に混ざって話し始めてしまった。