← (14/15) →「俺がいねぇ間にえらい変わりようだな。金盞花のナンバーワンはアゲチンってか」
「自分こそちゃんと満喫したの? 有給」
「あー……信じらんねぇぐらい寝たわ」
藍染店長に出された条件は、ナンバーワンを半年間継続というもの。けれど私は、それを半分に減らして貰うよう食い下がった。その代わり、周年イベントの日に過去最高の売り上げを更新すると宣言。何とか了承して貰えるに至った。
普段からキテキテは御免だが、たまのお願いは頼られ心がくすぐられて嬉しいという人は意外と多い。それに当てはまりそうな人から順に、ここ一番の『お願い営業』をかける。理由にはまどろっこしい嘘など吐かず、店を出す為と正直に言うが絶対。
仲間の女の子たちに協力を仰がねばならない意味でも、私には何としても短期勝負にする必要があった。
栄耀栄華を求めるわけじゃない、けれど現実問題これをクリアしないことには何も始まらない。
「実は折り入ってお願いしたいことがあります、ママ」
――ぬるいことは言ってられない。
ギンが金盞花に戻って数週間。青空を彩る積乱雲の白や、けたたましい蝉の鳴き声にも慣れ、私は連日の暑さと戦いながら慌しい毎日を送っていた。
続けていた設定だったOLを辞めたと告げ、同伴に必要な私服を増やし、週の半分以上はアフターへ。上昇の一途を辿る気温に比例するかのように、私の売り上げもうなぎ上りに伸びていた。
「ちょっと沙希、聞いた!? ギンが飛んだらしいわよ!」
そんなある日、更衣室に入るなり響いた興奮した乱菊ちゃんの声。意外と遅かったなと思いつつ、そうなんだと返せば、リアクション薄くてつまんなーい! とブーたれられて少し笑った。
藍染店長に呼ばれるかと思いきや、何でも急用とやらで今日は店には来ないとのこと。まぁ、間違いなくこれ以上ない急事だろうけれど。
支度を済ませた私はトイレに行き、不測の事態に備えて残しておいたギンの番号に電話をかけた。そして、それがきちんと使われていない状態になっていることを確認して電話帳から削除。
本意な幕引きではないだろうが、事の発端からして他に手段があったとも思えない。
コンコン
「沙希ちゃん、東仙さんが早くしろだって。何だか機嫌悪いみたい……」
「あ、ごめん。すぐ行くー」
店長の不在も相まってか、心なし沈んだ声の桃ちゃんに呼ばれ携帯をしまう。
――不思議と心は晴れやかだった。
盆が明け、吹き抜ける夜風にも幾分か快適さを覚え始めた。
その日。接近中の台風の影響で降り出した雨の中、私は傘を手に開店前のビル下で人を待っていた。程なくして一台の黒塗りの車がスーっと目の前に止まる。
「久しいの、沙希よ。息災であったか」
後部座席の窓が半分ほど開いたそこから、懐かしさで胸がいっぱいになる顔がやわらかい笑みを見せて下さった。
「すまんな、今日のところはわしの代わりにこの雀部の相手をしてやってはくれんかの」
言うが早いか、助手席より初老がかった紳士風の男性が降り立ち、綺麗に腰を折って下さる。
立場上、鏡花水月のような形式の店で酒を嗜むことの叶わない政財界の大物、山本元柳斎重国。卯の花ママのお客さんであり、当時ヘルプだった私のことをも可愛がってくれていた大層奇特な方。ママとこの方の力添え無くして今夜を乗り切ることなど、到底叶うはずもなかった。
ベテランと言うにはまだまだ程遠いけれど、今だけは自分の軌跡に胸を張りたい。エスコートの途中、私は感慨深い心地で息を吐いて傘の下から宙を仰いだ。
「いやぁーあなたってほんっと努力の人っスよねぇ」
「……その言葉、あんまり好きじゃないです。しかもこの不況下、大変なのはこれからじゃないですか」
そうして迎えた期限最終日、ラスト一時間に鉢物を手に上機嫌で喜助さんが現れた。連絡こそ取っていたものの、こうして会うのはギンが去った日以来ぶり。
「まぁま、そんなに構えないで下さいよ」
事実上、お店を出すのはオーナーとなる喜助さん。けれどそうした後ろ盾があるとは言え、パトロンさながらおんぶにだっこは御免。故に初期費用の半分は喜助さんから借金する形で話がついている。
「
――さて。晴れて有終の美を飾ったところで、沙希サン。お店を始めるにあたって早速やって頂きたいお仕事があります」
懐から取り出した御馴染みの扇子をバサッと広げて見せた喜助さんの、仕切り直すような声色に姿勢を正す。
「流石にアタシは毎日お店にいることは出来ません。つまりママのあなたとは別にひとり、男子の責任者が要るっスよねぇ?」
「確かにそうですね」
「1ヶ月かけて探してきて下さい。と言っても、誰かは決まってるんスけどね」
「はい……?」
決まってる相手を探すのに、何故に1ヶ月もかける?
久々に何かのテストだろうかと思案していると、喜助さんは脇にある鉢のバスケットを私の膝に、トン、と置いてきた。
「あなたの心が完全に息を吹き返す為には必要でしょう、これを贈ってくれた方が」
「……!」
喜助さんの手土産とばかり思っていたライラック色の花のついたそれからは、ほんのりシナモン調の甘い香りがする。
「ゼラニウム、ですか……」
「ご名答っス」
ハーブの類であるその種の中、様々な芳香が楽しめるセンテッドゼラニウムと呼ばれるそれ。鼻を掠める香りに気取られ、上手く、頭が働かない。
そして私は、喜助さんの口から紡がれた言葉に息を呑む。
「……よく眠れるように、とのことっス」