← (9/15) →いつもとちゃう気配で目覚めたボクは、ブラインド下から伸びとる光を捉えて眉を寄せるはめんなった。
見たらアカンいう警鐘。せやけど怖いモン見たさみたく確認せんとおられへん衝動に、聞き分けのない体が動き始めよる。沙希ちゃんを起こさんよう、そん細い腰からそおっと腕を抜いたってから、ひとりボクはそろぉ〜て窓ん方へ向うた。
梅雨の晴れ間。
指先でしならしたったブラインドの向こうは、案の定、見ただけで眩暈起こしてまいそな強い日差しに照らされた世界。いっそ忌々しゅう思えてまうくらい、ここやとばっかしにえらいヤル気満々なお天とさん。
試しにカラカラて窓を引いて、モワてして茹だるよな空気の漂うバルコニーに着地。見下ろした先のアスファルトは、立ち昇りよる陽炎でゆらゆらして見える。
そん狭間に朧に浮かび上がる蛇のよにうねる坂、耳ぃつんざくよな蝉時雨。
同時に頭ん中に響き出しよる笛や鉦、不安定なお囃子の音階。
どっからともなく、ひたひたて忍び寄って来よる不安。胸ん奥のざらざらする感触。じっとりと張り付くよな汗が、つーて首筋を伝いよる。
人並に郷里への慕情かて抱くボクやけど、物心ついた頃から、何でか暑い暑い祇園の夏が苦手やった。
恋やら愛やら甘ったるいモンとは程遠い、せやけどボクんとっては何より切実で大事なこと。
ちぃとも暑さの和らぐ気配のあらへん、真夏の逢魔が刻。碁盤のよな大路から、ひとけのあらへん入り組んだ辻にひとりきりで迷い込んで。
夕陽を背に浴びて、自分の輪郭がボヤけよるよな焦燥に立ちすくむ感覚に襲われてまう、そないな時。
「ギン……?」
――例えばこないして、名前を呼んで貰うよな
「えらいカンカン照りやわ、沙希ちゃん……」
そないな確かさがボクには必要やった。ただ、漠然と。
紛いモンでも何でも、目に見える金や物や体は、ボクん存在を確立してくれよる手っ取り早い道具やって。そん為に嘘をついて貢がれることにも、こん体で応じることにも、今まで何にも思わへんかった。
“頼んで来て貰うんじゃ意味がない”
一見は高飛車な『営業しいひん営業』を通しよる沙希ちゃんも、やり方こそ違うだけでボクと同しなんかも分からへん。
夜毎キリもあらへんと繰り返される華やかな遊興。そん雑多な混沌の中で鈍化して行きよる色んな感覚。自分の存在の実感を得られた途端、そないな道具たちは、延々と維持する為だけの途方もない退屈なモンに変わった。
ピーンポーン
寝起きの悪い沙希ちゃんの眉間には、天気を知らせたったボクん言葉でいつもにも増した深い皺が刻まれよって。
ちょっとして鳴りよったインターホンまで、聞こえとらんかのよに完全無視。やれやれ思て覗いたった液晶ん中では、小脇に段ボール抱えたお兄ちゃんが首に掛けたタオルで汗を拭うてはった。
「宅配ボックスでええんやね?」
「うん……あ」
何や思い出したよに目ぇパチてさした沙希ちゃんは、覚束へん足取りでボクん隣に来て応答ボタンを押しよった。
「どないしたん? あんお兄ちゃんかてえらい吃驚してはったで?」
ハウスキーパーはんは別にしても、家におる時の沙希ちゃんは徹底して人に会いたがらへん。こないして直接宅配便を受け取るんなんかも、ボクがおってから初めてんことや。
「新しいドレス」
玄関に向かいよる途中、振り向いた沙希ちゃんに短く告げられたそれ。ああ、こないだ頼んどった来月の新調日用の金と黒のツートンドレスやんな。
せやけどそないな心当たりは、戻って来た沙希ちゃんに開封された箱ん中身によって見事なハズレを知らされてもた。
「沙希ちゃん、これ……」
「鮮やか過ぎる?」
“ボクは青や思うで? そん琥珀色の瞳にピッタシやわ。赤とかも似合いそやけどぼちぼち夏やしなぁ……”
事前にお客はんの来店が分かっとる日は、そん人が似合う言わはった色の衣装。それ以外は端から順に着てって、新調日用に買うたモンと入れ替わりで古いモンから捨てる。そないな事実を知った時「ほんなら何色が好きなん?」て聞いたら、沙希ちゃんは困ったよに黙り込んでもた。
毎日毎日、誰かん為の自分。
ゆっくりゆっくり、ちょっとずつ色んな人の目ぇに侵食されてもた沙希ちゃん。
似たよなミルクフォーマーが並ぶ中からひとつを選ばれへん彼女にはもう、好きな色も、自分に似合う色も分からへん。
――そないな彼女がいつの間にや頼んどった、目の覚めるよなロイヤルブルーのドレス。
「綺麗やなぁ……」
思えばこの1年、色んなモン色んな人にアホみたくぎょうさん貰たもんやけど。
薫さんのよな底無しと違うて、明らかに他ん人と差ぁ付けたあて選んだだけいう、見栄ん塊にしか見えへんモンかてあった。
失うて気付くことて2種類あるんやなぁ。
あん人に切られてしもた今んボクには、売り上げの7割失うたいう、どうあっても許されへん現実が確かにあって。せやのに不思議なほど、それん対する焦りなんかはこれっぽっちも沸かへんねん。
あったらあったでどうにも執着してまう。せやけどちょっぴし不便やら物足りひんやらは思うても、無くて死ぬいうわけやあらへん。
「……はよ見たいなぁ、これぇ着はった沙希ちゃん」
ボクが似合う言うたモンを沙希ちゃんが選んで、それがこん部屋にあるいうことがどないに貴いことなんか、今んボクにはよう分かる。
「納涼色で場内指名、取れるか、な……ん」
微かに悪戯っぽい形んなった沙希ちゃんの、しっとりと冷たい唇。
――もう充分や、ほんまありがとう。