← (7/15) →仄明るいスタンド下、ボクは携帯が表示しよるおもろくも何ともないニュースをぼんやり斜め読みしとった。微かに波打った振動。背中越しに振り向くと、えらい無防備な顔を晒して穏やかな寝息を立ててはる、薫さん。
……今思えば嘲笑の混じった、同情やったかも分からんな。
元よりセレブな家柄のお嬢サマ、やっすい虚栄心ひとつ持つことすら叶わんレベル。
初めてこん人が店ぇ来はった時、どえらいチャンスやてほくそ笑むより先にボクが思うたんは、世も末やなぁ、やった。
他店の何倍もの値ぇで置いとる高級ボトル。片っ端から頼んでテーブルにズラー並べて『好きなの飲んでいいわよ』。初対面のボクがどの銘柄が好きか分からへん。せやったら一旦全部自分のモンにしてそん中から選ばせる。さも当然のよに。
ボクん意思なんか端から興味無い。『市丸ギン』いう商品にお金やら時間やら費やすことそのモンが目的。
多くん人が、苦労して苦労して、やーっと手に出来るかどうかっちゅーアレやコレ。そん殆どを最初から持ってはった薫さんは、生まれた時から使う人。金や物、人も。
長引く不況? 不穏? 殺伐? 閉塞感?
延々そないな言葉ばっかし垂れ流されとる今かて、やっぱしおるとこにはおる。まったく地球が丸いなんか嘘みたいな話や、そう思とった。
せやけど。
「ぅーん……
――」
さっきより大っきく波打ったキングサイズのベッド。夢うつつに漏らしはったボクやない名前。もそもそて身じろぎしはった薫さんは瞼を降ろしたまんま口元を綻ばしたはる。こん人を唯一使う側のそのお人は、演奏会やら何やらで年の大半は海外を飛び回ったはるらしい。
“ギンはいい子ね”
待たされ慣れてはる薫さんは、ちょっと待たしてでも自分の与えたモン纏い直して現れるいう演出したった方が喜ばはる。そないな絶対的優先順位さえ示したれば、いっくらでも自由に泳がしといてくれはるしたたかな余裕に、今日は特に感謝やった。
――おかげで、沙希ちゃんをひとりで帰らすよな真似させへんと済んだ。
蒸し暑いはずの窓の外は、見るからにバケツひっくり返したよなえらいドシャ降り。せやけど分厚いガラスがぴっちりはまっとる高層階のこん部屋では、それも丁度ええ子守唄程度にしか聞こえへん。
「……薫さんは、下から雨を見たことある?」
案の定、返って来るんは規則正しい安らかな寝息のみ。分かりきっとったそれを自嘲気味に笑うてから、こん人に貰た新品のシャツやスラックスに四肢を通した。
知り尽くしたつもりでおったボクが、気付かんと過ごしとった色々。
真っ暗か煌々とした蛍光灯かのどっちか。具合のええ間接照明も何もあらへん。
ポツポツ ザーザー しとしと パラパラ サーサー
ひんやりしたそこによどみなく響く、沁み入るよな雨音。そん匂いを感知しよる存在が、ふたりには狭いソファでボクに伝えよる、淡く頼りない体温。
――もう、こないに快適過ぎる部屋では、上手いこと息もつかれへん。
「ほなボク、帰りますわ」
置いてかれることにも慣れてはる薫さんに、いつも通り一応の声掛けしたってベッドルーム後にしようとした時やった。
「……ねぇ、ギン」
「あらぁ……起こしてまいましたか」
せやけど呼んだ本人は、振り返ったボクに背ぇ向けはったまんまこっちを見向きもせえへん。
「薫さん……?」
「……ギン、優しくするのは大事な人だけになさい」
「はい?」
「あなたはナンバーワンホストかもしれないけど、まだ皆なを幸せにする力はないのだから」
……何やのそれ。
そんなん誰にも出来ひんこと、あんたが一番よう知ったはるやん。
久々に乗った自分の車。ガラスコートしたったん随分前やのに、こないなざんざん降りの雨もフロントガラスをすいすい滑りよる。
「改めて見ると見事なもんやなぁ……」
そんなんぼやきながら十字路の交差点で信号待ちしとったボク。せやけど頭ん中はぐわぐわん揺れとった。
あの人の旦那サンは素晴らしい演奏やらで皆なを幸せにしとるか知らんけど、ボクを使て遊ばはっとったあの人は、ちいとも幸せそやなんかあらへんかった。
せやけどほんまにあん人を惨めにさしたんは、何でも言う通りしたったボクやったんやろか。
――あんたの言わはる『優しさ』て、何?
沙希ちゃんの部屋に上がる資格なんかありそもない、過積載な今のボク。せやのにそう思う度、トランクん中入ったまんまのミルクフォーマーの箱が浮かんできよる。
“うん、待ってる”
目の前を滑りよる雨粒越しにもハッキリ見えた、信号の青。左に点滅しとったウインカーが消えて、ボクの車は交差点を真っ直ぐ突っ切った。
ピーンポーン
「……っ、ギン?」
「ごめんな、もう寝とった……?」
カチリ。答えが返って来よる前にオートロックの開錠された音がして、壁に預けとった重心を足に戻す。ウイーンて開いた先、左手に持った袋に目ぇやってから、ボクはもっぺん顔を上げた。
未だに払拭出来とらん躊躇いが、ボクん足をのろのろエレベーターん前に運びよる。よう見もせんと上ボタン押したったら思ったよかすぐに開いた扉。弾かれたよに目ぇ開けた。
「わー……びしょびしょ」
四角い箱ん中には、片手にバスタオル持った沙希ちゃんが入っとった。