← (5/15) →いわゆるニュークラブん類の鏡花水月は、概要こそありふれとるけど、穴場中の穴場な優良店やった。
明確な給与体系、無理のあらへんノルマ、きちんと統制図れるだけの罰金。バンバン指名が取れても、わざと人ん客に手ぇ出すよなタブー犯しよる子なんかはあっさり首切られてまうらしい。沙希ちゃんが今までで一番長く続いとる店いうのも頷ける。
店長の藍染はんは、『協調』が先見越した集客に繋がるぅいうことをちゃあんと知ったはる。
“ホールに出たら自分という人間は殺しなさい”
その一方で、えらいニッコリしながらこないな物言いを朝礼でしはる。毎日毎日、呪文みたいに。
そないな異様な威圧感で以って一定の恐怖感植え付けることが、ある種の抑止力になっとるんかも分かれへん。せやけど藍染はん曰く、沙希ちゃんは誰に言われるでもなし、入店した時から当然のよにあないにしとったらしいわ。
一番手が掛からへんけど、一番思い通りにならへん商品。
生に喰い飽きてしもとるけど、死への憧憬もあらへん。
時間の波間にたゆたうよに呼吸をしよる沙希ちゃん。手に取ろ思ても指の間から滑り落ちて流れてってまう、液体みたいな子。
「……違いが分からない」
「んーこっちは直火がOKやけど、こっちはアカンみたいやね。あ、せやけど電子レンジはイケるみたいや」
何となく誰かに貰た車に沙希ちゃんを乗せたなくて、帰るんめんどいから言うてレンタカーして。バッタリ誰かに会うて厄介な事にならんよう、ボクらは郊外のアウトレットまで足を伸ばした。
デニムのカプリパンツ、無地Tシャツに薄手のパーカー、緩うく左に纏めた髪。近所のコンビニ行くんと何ら変わらへん格好。せやけど今日、沙希ちゃんはスニーカーやのうて和柄サンダルを選びよった。
“京ちりめん”
ボクの郷里やて知っとるからか、そないにぽつて零して玄関で鼻緒を指差しよった沙希ちゃんが、何や堪らんくて。
昔働いとった店んママの着物の買い付けにくっついてったことはあるけど、ちゃんとは観光出来ひんかった。窓越しにぼやっと空見ながらそないに言うた沙希ちゃんを、このまんま連れてこかなんか本気で考えてしもたりした。
「これは……?」
「ん? あーアレやね、ミキサーみたく直接カップん中突っ込んで泡立てるタイプのヤツや」
「……ギンが使いやすいやつでいいよ」
「沙希ちゃんの選んだヤツしか使いたない」
こまい機能の違いは自分にはよう分からん言うて、沙希ちゃんは困ったよに眉寄せよった。
「んー……ふわふわなるとこ見たない?」
「見たい」
「ふ、即答やん。ほな、こんミキサータイプにしよか」
そないに言うたら、沙希ちゃんが在庫の箱取って側面の操作方法に目ぇ走らせ始めよったもんやから、すかさずひょいて取り上げたった。
「ボクがちゃあんと黄金比率で淹れたるさかい、沙希ちゃんは読まんでええのー」
並んでレジに向かいながら、帰ったら箱も説明書もとっとと捨ててまお思うた。そんなんしてもきっと、頭のええ沙希ちゃんはちょっといじるだけで簡単に使えてまうんやろうけど。
ボクと買うたミルクフォーマーも、いつかは沙希ちゃんに飽きられて、あの無機質な部屋と同化してまうかも分からん。そないに思たら
――無性に怖なった。
仕組みの分からへん魔法みたいに、ずっとずっと沙希ちゃんの関心を引き続けられるモンになればええ。
ご飯でも食べて帰ろかー言いながらエレベーターに乗り込んで、レストラン街のあるふたつ上の階のボタンを押した。
せやけど。
「
――あら、ギンじゃない」
「……!」
次の階、扉が開いた先におったよう知っとる顔が、ボクん名前を呼びはって。
殆ど同時に沙希ちゃんが、そん人と一緒に乗り込んで来はった人たちに紛れるようスッて距離を取りよった。
「こんなところで会うなんて。休暇って言うからてっきり海外にでも行ってるのかと思ってたわ。あなたがいなくてイヅルはてんてこまいみたいよ?」
「あらぁ、薫さんこそボクがおらへん金盞花に行ったはるんですか? ひどいわぁ」
いつも通り切り替えしながら、そそくさと後ろ手を組んで何もついてへん指や腕を隠す。
「やぁね、この子ったら。イヅルに会いに行った千景からそう聞いただけよ」
人目も憚らんとボクん肩に手ぇ掛けてきはる薫さん越しに、1階のボタンが点灯したんが見えた。散々ええ匂いやて褒めたった薫さんの香水。嗅ぎ慣れとる筈のそれに何でかむせ返りそうになる。
とにかくこん人を撒かな思て頭を高速回転さしとる間に、ピンポン言うてレストラン街ん階に着いてもた。
「せやけどほんま奇遇ですなぁ〜ぶらっと来て正解やったわぁ〜。こないなとこで何ですけど、どうです? お茶でも」
言いながら腰抱いて降りるよう促してんけど、案の定降りる人波に沙希ちゃんの姿は見当たらへん。
「ギンが一緒ならどこでも嬉しいわよ。ね、7時からそこのヨットハーバーでパーティーがあるの。ギンもいらっしゃいよ」
「そらええですなぁ……ん? あちゃ〜ボク車に携帯置いてきてしもたわ」
「あら、じゃあ私はそこの喫茶店で待ってるわ」
「すんまへん、すぐ戻りますわ!」
慌てて踵返して、丁度ええタイミングで来よったエレベーターに乗り込んだボクは、念の為に駐車場のあるB1と1階、両方を押してから携帯を取り出した。
玄関脇の喫煙所におるやろて頭で予想はついててんけど、何でか沙希ちゃんがどっか流れて行ってまうよな気に駆られてまう。鼓膜を震わせよる呼び出し音も、度々止まってピンポン鳴らして開きよる扉も、全てがもどかしゅうてかなわん。
プルルル……プルルル……プッ
「沙希ちゃんっ? どこにおるんっ?」
「外の喫煙所。雨降ってきたよ」
「ほんま!? 傘は? 屋根はあるっ? えらい堪忍っ!」
「……ふふ、大丈夫だよ」
瞳の琥珀色と同しよに澄んだ沙希ちゃんの声。思わず安堵の溜め息が漏れてまう。
「ギンは雨男だね」
魔法をかけられてしもたんは、ボクん方なんかも分からん。
「……好きやろ? 雨」
「うん、好き」
1本だけビニール傘買うてこ思いながら、息を潜めてちっさな器械に想いをのせた。
「……ボクもや」