← (3/15) →テーブルひとつあらへんやたらひんやりしたリビング。ポツンてあるソファ。そこで眠る存在が、この部屋で唯一息をしよる生きモンやった。
「沙希ちゃーん、ぼちぼち起きやー今日同伴やろぉ?」
思きし眉間に皺寄せよった沙希ちゃんがもぞもぞ毛布ん中に埋もれて行きよる。
しょうのない子やねぇ思いながらコンロの火ぃ弱めて、ボクはそん白い芋虫の元へ向うた。
せーのでガバッ! て毛布を剥いだると、細い手足を縮込ました小動物が「……さむい」て小さくぼやきよる。
「豆乳ラテ淹れたるから。ちょお待っとってな」
能面みたいな無表情ん中の透き通った琥珀が、ゆーっくり肯定の瞬きを見せる。
むくり。横向きから縦んなった芋虫はぬぼーっとした顔んまま、毛布からにゅっと出よった右手が床ん煙草に伸びる。首だけボクん方向けて、今日も雨だよねて確認してきよるから、匂いよるん? て聞いたらひとつ首がコクてした。
あれから、同し送りの車に乗って、同しコンビニの前で降りてを繰り返すこと数日。翌日に店休を控えたある日、ボクは沙希ちゃんの買い物カゴに入っとる酒に目ぇ付けてん。
「何やひとり晩酌なんて淋しいやないの。ボクでええなら付き合うで?」
「いいの? 高級ホストがお金にならない接待なんてして」
「あらら、やっぱしボーイのボクやと沙希ちゃんには役不足やってんかぁ……」
「そんなにお高く見えるんだ、私」
女の子ん店のボーイさんも、見るんとやるんはこないに違うもんなんやて中々に新鮮やったけど。何より沙希ちゃんに接触しとる時のボクは、何や無性にえらい懐かしいワクワクに駆られ通しやった。
「んー少なくともボクの知っとるお高い子らに、つまみにザーサイ2瓶も選ぶ子はおらへんかったなぁ」
「……」
「……」
「やっぱ、食べ過ぎかな……」
淡々とした沙希ちゃんの牽制をかわしながらの生易しゅうない言葉遊び。にっこり笑てカゴん中指さして、それ切り崩せた時の気分ちゅーたらもう、デビューして最速でナンバーワンなれた時くらい格別やった。
ほんま、いつからやってんかなぁ。
そないな高揚も優越感ものうなって、何もかんもがつまらんくなってしもたんは。
ボクが沙希ちゃんの1LDKに転がり込んで、ぼちぼち半月かそこら。
仕事から離れとる時の沙希ちゃんは殆ど笑わへん上に、一見まるでダメな子やった。
……まーボクかてそない言えたもんやないけども。
食事は外食やデリバリーが殆どで、冷蔵庫にはつまみと飲みモン(主に豆乳と水)しか入ってへんし。お掃除ロボがぐるぐるうごめく部屋には時々ハウスキーピングの業者はんなんかも出入りしよる。
かと思いきや暮らしぶりそのもんはえらい質素で、生活するんに最低限必要なモン以外は殆どあらへん。せやけど彼女は無気力なわけでも、怠慢癖から抜け出せんいうわけでものうて。
やたら無機質なこの城で、五感や本能だけで動く『沙希ちゃんの時間』。それは、店で彼女が笑う為に必要不可欠なもんなんやて分かった。
本来寝るはずの6帖ん部屋には、32着の衣装とサンダルや小物なんかが整然と並んどる。そこの一角にある、明らかに浮いとるビジネススーツ数着と綺麗に畳まれたシャツ、パンプス。平日、沙希ちゃんは地味なそれらを纏うてこん城から同伴や店に向かう。ボクがビニール傘越しに飴玉眺めた夜も、彼女はシンプルなパンツスーツ姿やった。
沙希ちゃんちゅー子は、恐ろしいくらい頭がええ上に回転も早うて、うっとりしてまうくらい、の
“またえらいとんでもない嘘つきさんやな〜!”
“ありがとう”
――正しい反応や。
ボクらの仕事は自分自身が商材、その勤務時間に明確な境目は無い。
せやけど芸能人でも何でもあらへん。最近は何やテレビとかに出よるホストやキャバドル呼ばれる子らもおるにはおるけどな。
『おねだり営業』を一切しいひん沙希ちゃんは、その日来るかも分かれへん数多い個々のお客はんと密に連絡を取りよる。せやけどそればっかしに自分の時間を削っとったら流石にショートしてまう。
つまりは、それを回避する為の徹底したセルフプロデュース。メールや電話せんとおられる時間の口実、アフターを断る口実、なるたけ無用な店外デートを減らす口実。
そないな種明かしを急に現れたボクなんかにしてくれるんはやっぱし、もう辞めるて決めとるからなん?
「熱いから気ぃ付けなアカンよ」
「うん、ありがとう」
手渡したったマグを両手で包み込んで、ちょっとフーてして、コクン。
「……おいし。ギンが淹れてくれるソイラテは黄金比率」
「あらぁ、何やのーひょっとしてお誘い?」
「ギンのルールブックでは、女がソイラテ褒めるイコールお誘い、なの?」
「ふふ、沙希ちゃんの場合そやったらええなぁいう、ボクん願望や」
沙希ちゃんの口元が微かに緩むこの瞬間だけ、ボクは自分の役目やら何やらを丸っと全部忘れてまう。
――ちゃうな、忘れてまえるんや。
「ミルクフォーマー、買おうかな」
「泡が欲しなったん?」
「ふわふわが乗ったら超黄金比率、かなって……っギン、こぼれちゃう」
何や堪らんくなってしもて横からぎうー抱き締めたった沙希ちゃんの体は、こん部屋と同しに今日もひんやりしとる。
「ギンは温かいね」
「せやから沙希ちゃんの体が冷たいだけやって」
その琥珀色のガラス玉に、どんだけの嘘と、どんだけの真実を映してきはったんやろか。他人には勿論、自分になんかもっと関心のあらへん沙希ちゃんは、ボクなんかより遥かに人間に飽きてしもうとる。
庇護欲か 自己投影か 優越感か 独占欲か
――或いは、他の何かなんか。
よう分からへん。
ただ、そないな沙希ちゃんに、ボクの存在があって芽生えたちっさなちっさなヨクボウが、ほんま愛しゅうてかなわんかった。
例え沙希ちゃんが、ボクがここに転がり込んだ理由に勘付いとって。
通り過ぎる時間、お互い一時の退屈凌ぎに過ぎひんかったことになってしもたとしても。