act2 3
一緒に住んでも誕生日やクリスマスなど、イベント時にまともなデートなんか出来ないことは百も承知だった。それでも家で共に夕飯を食べたり、時に真子の後輩の市丸くんが遊びに来たり。ドライブを兼ね、元旦に互いの両親に顔を見せに行ったり。
そんなささやかな時間が何より大事で、楽しくて、愛しくて。
限られた時間の中、私たちは出来るだけ多くのことを話そうと努めた。接待で飲み屋に行った話や合コンの話、つき合いで異性の同僚と食事に行った話に至るまで、とにかく何でも――形の無い『信頼』の名の下、繋がってると思いたい糸を必死で手繰り寄せるように。
そんな風に物分かりの良い大人のふりでもしなければ、容易く切れてしまう糸であることを、ニ人共よく分かっていた。
だけど所詮は『ふり』。
3年も経てば、どちらともなくそういう話もしなくなった。それが相手を思い遣る最後の一線。口にしたら最後、愚痴やフラストレーションの捌け口にしてしまうから。
お互い帰る時間を連絡することも無くなった。不意の出張や社内泊り込みで、約束を破るみたいになってしまうから。
この頃は今にも増してすれ違いが酷く、相手の存在を感じるだけの物たちに囲まれて眠る夜も少なくなかった。
それでも朝は来て。
もうずっと『おやすみ』や『おはよう』を口にしていない現実にも、『分かってくれている』という都合の良い甘えで蓋をして。そういう、小さくても大切な色々に何処かで気付きながらも、私と真子はひたすら走り続ける毎日を送った。
4年と少し経ったある朝。セミダブルのベッドに倒れ込んで泥のように眠った私は、目覚めて隣に真子がいたことに本気で吃驚してしまった自分に愕然とした。
胸の奥の奥の方で聞いた、パチンと風船が割れたような音。慌てて風呂場へ行きシャワーを全開にして、ただ、ボロボロと泣いた。
真子を起こしてはいけない。
そのとき私の頭にあったのは、それだけだった。それが、私が室長として迎えた一日目の朝だった。
「はい、分かりました。――はい、失礼します」
「うぉっ、さっぶ! こないなとこおったら風邪引くで、室長サン」
通話終了と同時に聞こえたウイーンという音。見ると、元々の猫背を更に丸めた真子が、自分の腕を抱くようにしてガラス張りの自動ドアをくぐって来たところだった。
「ンッンー! ……『お互い、アカン先輩持つと難儀するなぁ』」
「!?」
わざとらしい咳払いまでして見せて、今更一体何の寸劇を始めるつもりなのか、この男は。けれど全力で訝しむ私など何らお構いなしに、薄っすらニヤついた真子は白い息を吐きながら続ける。
「俺は平子真子や。扁平足の平ぇに小野妹子の子ぉ、真性包――」
「ねぇ、最後の辛子明太子ってさ。やっぱ自分にも『子』がふたつ入るから辛『子』明太『子』なの? それとも単にゴロ?」
「ちょっ……ドアホッ! 人ん自己紹介にかぶすヤツがあるかい! ……両方に決まっとるやろ、ボケ。誰に向うて言うてんねん」
「未来のチーフコピーライター?」
「未来言うても一週間後やけどな」
え?
「……う、そでしょ?」
「アホ、そんなん嘘言うて何がおもろいことあんねん」
それは、真子が入社してからずっとずっと辿り着きたかった場所だった。私のように、役員の交代劇やら何やらで室長に任命されるような世界ではないことぐらい、誰よりも知っている。
「うわ凄い! 凄いよ真子! おめでとう!」
「……千夏のそない笑顔、久しぶりに見たなぁ」
がばり、と久しぶりに真子の匂いに包まれた私は、一気に競り上がってくる色々に堪え切れず、その丸い背に手を回してぎゅうと抱き締めた。
「……なぁ、まだ?」
「まだムリ」
鼻声でポツリと漏らした私は、来るだろう事態に備え真子の背中でガシッと手を組む。
「何でやねん。千夏がお笑い見てボローッ涙出しながらアヒャアヒャ笑うてるとこなんか、俺さんっざん見て来てんねんで」
「……それとは別」
互いに無言になること数秒。微妙なその間が『来る』と私に確信させる。
「……チッ、ええから一旦離れろ言うてん、ね゛〜〜ん゛っ!」
「ムリムリム゛ゥリ゛ィ゛〜〜〜っ!」
予想通り引っぺがしに掛かった真子に、ぎゅむむむ、と必死でしがみ付く。
「子泣き爺かオマエは! 2度目くらい見せぇや!」
「……!」
驚愕のあまり、一気に力が抜けてしまった。
けれど真子は先ほどのように私を引き剥がそうとはせず、耳元でただ小さく囁いた。再び色んな想いが溢れてしまった私は、何て言えば良いかも分からず、ただ同じように返すことしか出来なかった。
“ごめんな”
“ごめんね”
- 8 -
[*前] | [次#]
しおり
ページ:
章:
Main | Season | Menu