歯車は回る 10
「……………………あ?」
「あ? てオマエ……ハァ」
えーと、いやいや……んんー? なんだ今のは……。
その丸い背が大きく上下するほどに呆れた溜め息を零されたが、情報処理が追い付かないこっちとしてはそれどころじゃない。風邪菌を押して知恵熱が出そうだ。
「な、え、それってどの意味で?」
「あーそれがなぁ、俺ん中でも今イチ整理ついてへんくて上手いこと言われへんねやけど……まーアレや、ひと言で言うたらオマエっちゅー存在やな」
首だけこちらに向けた真子は本当に今なお分析中なのか、横顔でも充分わかるほどに眉を寄せ、その下にある瞳は宙を眺めている。
「は? 何それ、どう受け止めたらいいわけ!?」
「しゃあないやろぉ!? 他に言いよう無いねんから。しゃーけどそれ相応の欲求かてあるっちゃあるなぁー思うで」
「え」
……う、そだろぉ!?
いやいや、そりゃ私だってムードなんてもんは苦手だし、間違っても似合うとか思ったこともないけども。だって「辛子明太子は好きだけど、毎日食べたいかっつーとそうでもないぞ?」みたいなノリだったじゃんか!
――ん、待てよ?
「え、でも、あれ? あの子は?」
「んあ? あの子ぉ?」
「あの『焼け焦げよ!』みたいな目、してた子……」
「あー山本チワワちゃんな」
山本チ、チワワちゃん!? 奇抜なお名前が流行ってると聞いたりはするけど本当なんだなぁ……などとひとり感心してたものの、どうやら上から下まで真子が勝手に付けたあだ名らしい。何で山本?
「あの子とはポストコ行った日にきっちりケリつけてん。ちゅーても元から何かあったわけでもなかってんけどなぁ……」
未だ自分の置かれた状況にリアリティが感じられないでいる私は、苦い表情でわしわし頭を掻く真子を見ながら、モテ男は大変だなぁ、などとぼんやり思う。
「泣かれてもうたしなぁ……結構大変やったんやで? まー今までバッサリ言えへんかってん、俺が悪いねんけどな」
が、次に真子の口から出た予想だにしない台詞によって、私のキャパシティーは完全に崩壊することになった。
「まーこれから全力で口説いたるから安心しときや。ほな俺ちょお煙草吸うてくるわ」
「え゛」
「くくっ、こればっかしは健康体の特権やなーオマエもはよ風邪治しやぁ」
立ち上がりながらニィーっと歯列を覗かせ、ひらひらと手を振って扉へ向かう男は、到底『告白』なんてものをした後とは思えない。
「あーあ、ほんまは言うつもり無かってんけどなぁ〜誰かサンに腹ぁ括らされてもうたわぁ〜」
そのあまりに緊張感に欠けた体を唖然として見送ることしか出来ずにいる私の耳に、独り言にしては少々大きめなぼやきが届いた。
……つーか。言い逃げとかずるくね!?
あんな風になってみて真子の存在の大きさは実感したし、きちんと向き合ってみたいと思った気持ちにも嘘は無い。
が、『男として』の意味でどうなのか。
正直、私はまだその問いと向き合う段階になかった。というより準備が出来ていなかった。しかし現実の歯車というものは、当然ながらそんな風に都合良く回るものではなくて。
こうして雨の音だけが続く寝室にひとり残されてみて、今更になって逸り出した心音が否応なくその実感を抱かせる。それに伴ってひとりでに『嬉しい』という感情が沸き出していることが、私にとっては非常に問題だった。
先ほど慌てて閉めた引き出しを一瞥し、今一度自分を戒める為にふーと息を吐く。
――未だ動かない時間を生き続けてる人がいるのに、私が舞い上がってどうするよ。
「おーい、入るでぇ?」
「あはは、いいよー」
前回があってか、私が反応するまで開けようとしなかった真子の律儀さには思わず笑ってしまった。しかしガチャと扉を開けて入ってきたその顔はやっぱりというか、オイオイと言いたくなるほどケロリとした平時のそれ。
「なぁ、そういや夏希もどうせクリスマスなんちゅーもんとは無縁なんやろ?」
言いながら再びぼすんとベッドに腰掛けた真子の、サラリと揺れた美髪に目を遣りながらこくりと頷く。が、そんな『変態度が増す』らしい行為にもとうに慣れたのか、真子はさして気にも留めずに先を続けた。
「ほな年末年始はどないしてん」
「んーまだはっきりは決めてないけど、実家に行こうとは思ってるよ」
次いでさも当然のように真子は皆なとワイワイやるんでしょ? と聞けば、とんでもない言葉が返ってきた。
「何でやねん、年越しくらい好きな女とおりたい思て聞いとるに決まってるやろ?」
ぎょっ!
あっさり。いつもと何ひとつ変わらない何処かダルそうな表情と、声のトーン。いや、ちょっぴり上がった口角はフリーズした私を面白がってるようにすら見える。ひとたび口にしたことで何か吹っ切れでもしたのだろうか。
にしても、これはこれで問題だ。程度はさておき、私と真子は嗜好属性が同一な気が、凄くする。
「確か鏡野市やったな? 実家」
「あーいや、そっちじゃなくてお父さんの家に行こうかと」
「……」
あれ? あーそっか。
ごく自然に言ったものの、明らかに複雑の色が浮かんでいる真子の顔を見て、ちゃんとは言ってなかったっけ、と思い至った。
「あ、別に壮絶エピソードとか全く無いから大丈夫だよ?」
「いや、ぶっちゃけ『母ァちゃんの家』言うた時もちょっとは引っ掛かっててんで? しゃーけどやっぱ、なぁ? その手ん話はそうそう聞かれへんやんか」
「あはは、ごめんごめん、先に言うべきだったね。うちの両親、いわゆる事実婚なんだわ」
例の元同僚が、ふんだんに脚色した家族ネタをもリークしたわけは、こんなスーパーフリーダムな家庭だから、だったりする。
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