歯車は回る 4
「ちょ、夏希、オマエ顔赤いで!」
「や、風邪、引いちゃって、さぁ……ふー……今日も病院、寄ってから仕事行こうと、思って……」
屈んで様子覗うたら、ほわほわ吐き出される白い息がめっちゃ熱い。
「アホ、そない浅い呼吸しとって何言うてんねん! ちゅーか今日もてオマエ……」
「昨日も注射……ん゛ー、して貰ったんだけど、なぁ……」
頭くらくらするんか、夏希は眉間にぎゅー皺寄せてこめかみに手ぇ添えとる。
とうにハタき慣れたデコに手ぇ当てたれば、案の定えらいことなっとるやんか。
「あんなぁ……注射言うても解熱鎮痛剤かなんかやろ? 熱なんぼやってん」
「9度3分、けど、だいじょぶ」
「しゃーけどオマエ――」
「今日一日」
どう見ても大丈夫やないやろ言いかけた俺ん口を、妙にキッパリした声が塞ぎよった。
「今日行って、明日死ぬ気で、治す」
言いながらドア寄っ掛かったまんまむりくり立ち上がりよったんやけど、明らかにふらっふら。しゃーけど、熱で潤んどるその目は真剣そのもん。
それ見て、日頃から家でも生首相手に作業しててんの見とった俺にも、ここで引けるもんやないっちゅーのがよう分かった。
「夏希、ちょお俺ん髪切る思てハサミ持つカッコせえ」
「だいじょ――」
「ええから」
有無を言わさん俺ん語調に、夏希は戸惑いながらも俺ん横の髪の毛左手でひと束摘んで、恐る恐る右手ぇ近付けよった。しゃーけど案の定、動かしてええ親指以外の指まで震えてもうて。
――それ見た夏希の顔があからさまに歪んだ。
「オマエはこないな状態を、言うたらドーピングして店ぇ立つんやぞ」
一瞬だけ目ぇ見開きよった夏希は、しゃーけどすぐに真っ直ぐ俺ん顔見て頷いた。
「お客サンやスタッフにうつしてまうかもしれんねんぞ。それでも行くんやな?」
流石にこれにはぎゅって苦しそに口結びよったものの、やっぱし夏希はコクて頷きよる。
「ふー……難儀なやっちゃなぁ」
言いながら抱き寄せた俺の腕ん中、か細い声で夏希が何やポツポツ言いよった。肩口辺りが、夏希の熱帯びた息でじわんと温まりよる。
「……呆れて、る? いい歳して自己管理ひとつ、まともに、出来ない」
「何でやねん、オマエ改造人間ちゃうやろが」
それ聞いて体預けっぱやった夏希が、俺のジャージの裾ん辺りを震える手でぎゅって掴みよる。俺は、こっちから顔が見えんよう夏希の後頭部に手ぇやってそぉっと撫でたった。
――今の夏希の顔は多分、自責と悔しさでえらい歪んでもうてるに違いないから。
それから俺は踏んどった踵履き直して、下にタクシー呼んどるいう夏希に「ほな乗りやー」言うて背ぇ屈めたった。初めはぶんぶん手ぇ振っとった夏希も、転げ落ちて腕でも折ったらシャレんならんやろが言うたら「失礼します……」て遠慮しぃしぃ俺ん肩に手ぇ掛けよった。
「……過保護」
「ぶっ……それがなぁ、結構ええことあんねんで?」
階段降りる途中でボソて背中越しに呟かれたそれに、俺はちょっと笑いながら言うたった。
「意外とでかい夏希の胸ん感触味わえる、とかな?」
「……なんか、入ってる、かもよ?」
「ものの3秒で男のロマン壊しなや、アホ」
……ったく、ほんまコイツは。
男と住んどったからか、そん前からか知らんけど、免疫ありすぎやっちゅーねん。
心ん中でぶつくさ悪態吐いとったら耳元で真子て呼ばれて。後ろからふわって抱き締めるみたく、夏希がほんのちょびっとだけ俺の顎ん下で腕を交差さしよった。
「ありがとう」
「……」
俺は何言うてええか分からんくて、思わずピタて立ち止まってまう。
「皆なそれぞれ、色々忙しい、でしょ? その合間縫って、お金払って私に髪、委ねに来てくれる、人がいる」
「……せやな」
「それって凄く、凄いこと、なんだよね」
……ああ。
例え毎日のことやっても、夏希が店に立って誰かの髪にハサミ入れるっちゅーんは、当たり前んことなんかやないねんな。間違うても自分やないとアカンなんかいう驕りは、これっぽっちもコイツにはあらへん。
「せやな」
「だから――ありがとう」
それもこれも、コイツが心底髪が好きっちゅー原点あってのこと。
“行かせてくれて、ありがとう”
「……気張るんやで」
「うん」
そん想いが、ドアに寄り掛かってでも、夏希を自分の足で立ち上がらせとる。
――何やめっちゃ、シビれるやんけ。
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