歯車は回る 2
真子と顔を合わせなくなってから2週間近く経った、12月のある土曜日。
ここ最近の浮かない気分を持て余していた私は、閉店後、久しぶりに歓楽街のとある店へ顔を出していた。
「夏にバイトしに来たですって!? 何で顔出さなかったのよ!」
「や、あの日は桃もあったしさぁー月曜にここ来たら朝までコース鉄板じゃん」
「何よ、アタシが桃に劣るって言うの!?」
「だからこうして顔出しに来たんでしょー? ちょっと間空いちゃったけどさ」
付け加えるなら私は今、顔を見るなり「この薄情娘!」と爽快なまでに罵ってくれた方に、自分の不精加減を懇々と怒られている。
私が飲み屋のヘアメイクのバイトをしていた頃に知り合ったこのアケミさんは、いわゆる『二丁目系』の方である。とはいえ恐らく歳はひと回り以上違うにも拘らず、ドルガバのスーツを小粋に着こなして闊歩する姿は一見、とびっきり綺麗な女性にしか見えない。
喋ると野太い声と、明け方になると青ずんでしまう顎が目下の悩みだそうだが。
“ここでヘアメイクやってる『川村夏希』を指名したいんだけど”
“男に騙されて失墜した無様な女を笑いに来たのよ”
突如バイト先に現れ、表に出ることのない私をテーブルに呼び出しては辛辣な毒を延々浴びせ続けたアケミさんだったけれど。
当時の私は、えてして夜の世界の人たちが良くも悪くも『嘘つき』であることを既に知っていた。
『天才美容師が夜の街で根性見せてる』
そんな噂を聞き付けてひと目会いたいとやって来た、という本音を漏らした頃、アケミさんはほぼ泥酔状態だった。
――アケミさんの毒の90%は愛で出来ている。
「……さっさと話したら? その辛気臭〜いブスっ面の理由」
「あははは、やっぱバレてたか」
「イイ男の話なら喜んで聞くわよー? 『うっとりする髪の話』は御免だけど」
半分諦めを思わせる声でやたらと後者を強調するアケミさんに苦笑しつつ、私はわざと躊躇いがちに聞いてみた。
「あー……両方は、ダメ?」
「えっ、やだホント!?」
「ただ何て言うか……今はまだ男としての前に人としてその芯と向き合ってみたい、っていうのが正直なとこかなぁ。でもその前に……って、えぇー何で泣くの!?」
それからアケミさんは、私から男の話を聞ける感激にさながら『ヨヨヨ』な勢いで咽び泣き、乾杯するわよ! とドスの効いた声で酒を煽りまくり。
「で、もう食ったの?」
「……や、だから食ってたら男としての『前に』とか言わないよね? つーか私が食う側設定なんだ?」
「あーそういやアンタ、意外と淡白だもんねぇ。でも、なし崩しの方が変な壁なくなったりする時もあるじゃない」
……とかいう下世話な話に納得してくれるまで、更に30分ほど要し。
結局、本題に入った頃にはしっかり日付変更線を越えてしまったけれど、私がしようとしていることには心から背中を押してくれた。
帰り際、夏希の両親みたいな関係になれたらイイわね、と言ってアケミさんはまた少し泣いた。
予約人数こそ多くないものの明日も普通に日曜日。小雨のパラつく中、酒の入った気だるい体に鞭打ってペダルを漕ぎ、帰ってから念の為にしょうが湯を飲んで寝た。
が、翌日の起き抜けの一服が、私にまざまざと思い知らせた。
やばい、煙草が不味い。
大慌てで揉み消し、うがいをし、ちゃっとお茶漬けを作ってむりくり空っぽの胃を満たす。幸いにも午前中に私の予約は無かったので店長に電話して事情を話し、昼までには出勤する旨を伝える。
それからモコモコのライナーが付いた厚手のコートとマスクを装備、予め呼んでおいたタクシーで病院へ。かなり無理を言って注射を打って貰った。その甲斐あってか、以降の仕事に支障をきたすことなく私は無事閉店を迎えることが出来た。
念には念をで再びタクシーで帰った私を待っていたのは、タイムリーと言うべきか否か、例の月イチで郵便受けに投函される、白い封筒。
だけど一緒に入っていた、秋にロンドン留学した彼女からの、元気に頑張っている旨が綴られた絵葉書がほんの少し怯み掛けた私を奮い立たせてくれた。
帰宅後、食事を済ませて薬を飲んだ私は、今日の分を含む大量の白い封筒たちを机に並べ、一度大きく深呼吸して背を正した。そして、膝に乗ってきたキスケさんをひと撫でした後、意を決して古いものから順に、丁寧にひとつずつ開封して行った。
だが、久しぶりに引いてしまった悪質な私の風邪は、薬に抑えられながらも着々と進行していた。
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