曖昧な境界 9
……何やどえらいモン見てもうたで俺。
自分にはどーでもええことでも、他んヤツにとっちゃ特別やったりすることなんか腐るほどあるし、そん逆かて然りや。趣味やら嗜好やら、往々にしてそれが理屈やないもんやーいうことかて、分かっとる。
しゃーけどジブンのそれ、『ハァハァ』や『萎える』いう次元なんか軽くすっ飛ばしてもうとったで!? 指先から伝染しよる純粋な感動、驚喜に呆然としとる目ぇ、しどけない口元から漏れよる感嘆の息……。
『恍惚』
言葉にしたら簡単なそれにも、この子ん場合『神聖』と『卑猥』ちゅー要素が完全同居しとる。シスターの顔した売春婦か、売春婦の顔したシスターか。言うたらそんくらい強烈な極端性やねんで、それ。何やこっちまでゾクッてして魅入られてまう感じや。
「……なんちゅー顔しよんねん」
「うあっ、すみません! 完全に無意識だったんですけど、その……酷かった、ですよね?」
「……酷いよかヤバイちゅーねん」
あの新月ん夜、俺は夏希ちゃんに対して変に構えるんもう止めにしよて決めた。ちゅーより、一緒おると何でかホッとしてまう自分をええ加減認めた言うべきか。
……あないしてするっと寝てもうたんが、何よりの証拠やんな。
何も聞かれへん心地良さをええことに、俺は彼女を都合良く利用しとるだけなんかも分かれへん。人んこと言われへんけど、ひよ里も言うてる通り、夏希ちゃんは自分ことや考えとることをやたら滅多口にはせえへん。
せやのに、俺ん中掻き回すんが夏希ちゃん絡みなら、俺んことラクにするんも夏希ちゃんで。せやっても彼女はただ、何もないみたく接して笑うてくれるだけ。
“今だって、本当にイヤだったら飲んでませんけど?”
なぁ、あの花火の夜に言うてたジブンのルール、常時適応やて思い込んどってええのんか? 俺がジブンの空間で一緒に珈琲飲んどる今も、スッピンに部屋着でめっちゃリラックスしとる感じで笑うてるけど。俺とおる時のジブンも、ちゃんと俺んこと都合ええ感じに利用出来とるか?
――せめてそんくらいは、フェアやないとアカンやろ?
俺ん意志やあらへん言うたとこで、実際もう俺はジブンことぼちぼち知ってもうてんねや。せやっても人間ちゃう俺やひよ里は、どないしたっても自分らのことは話されへんねやんか。
ただ、理解やら共有やら出来ひん代わりに、別んとこから歩み寄ることは出来るんちゃうか思う。しゃーから俺んとっちゃ直毛なだけのこん髪なんか、好きなだけワッシャワッシャ触ったらええねん。俺の様子察して何も聞かんといてくれたジブンに、俺が出来ることなんかそんくらいやねんから。
――思うててんけど。
「……なぁ、まさか店ではせえへんやんな? あないなヤバイ顔」
「や、ほんとすんませんでした……でも流石に仕事の時は切り替えますよ」
耳に心地ええシャーいう水音。髪洗て貰うんがこない気持ちええ思たん初めてやなぁ思いながらも、俺ん頭はまぁださっきの衝撃シーンの整理が付かれへん。
「……家やと、いつもああなりよるんか?」
「んーでも、平子さんの髪は格別だと思います」
顔ん上のタオル越しに聞こえる声からもほんまに嬉しそうなんが伝わって来よる。
さっきこの子にあない表情さしたんも、こないテンション引き出しとんのも、あくまで俺の髪。それ以上の意図なんかさらっさら無いて分かっとる。分かっとんのやけど、『デザート』やら『格別』やら、そない特別感出されてもうたら……。
何や無性にドキドキしてまうっちゅーねん!
「あの……ひょっとして人間終了レベル、でした?」
「んあ〜、少なくとも男ん前ではちょっと、気ぃ付けた方がええ思うで」
冗談やのうて、ほんまに下僕増やしかねへんから。
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