曖昧な境界 6
「綺麗やなぁー……」
夏希ちゃんのコートの下は青緑のドレスやってんけど、色気云々の前にめちゃめちゃ綺麗やった。しゃーけど無意識に出とった俺ん言葉に、当の夏希ちゃんは眉下げて苦笑いや。
「いやーでもやっぱりこういう格好、性に合わないですよ。すみません、今インスタントしかなくて。じゃー着替えちゃいますね」
「ええてそんなん、おおきにな」
引き出モンのカタログめくっとった俺の前にコトンてマグ置いて、寝室に行きよった夏希ちゃん。その後姿ボー見送りながら、さっきあの子を抱き締めたなんか嘘みたいや思うた。
いつも通りの態度も空気も、こないして一緒おることにも、おかしいくらい違和感がない。何や狐にでもつままれた気分やったけど、俺ん中のヘドロみたいなモンが綺麗サッパリ消えたんは確かやった。
“聞いて欲しいんですか?”
「……ハッ、んなワケあるかぁい。なぁ? キスケ」
足元におるキスケに同意求めてんけど、包装用のリボンで遊ぶんに夢中らしく見向きもされへん。そないな様子に笑いつつ、何や『安心』っちゅー波にでも呑まれるみたく、いつの間にか俺ん瞼は降りとった。
「くっそー今日こそ触れると思ったのにー」
遠のきよる意識ん中で、夏希ちゃんの悔しそな声を聞いたよな気ぃした。
――アホ、はよ言えや。
着替え終えた私は、先ほど鞄にしまった封筒を取り出し、PCデスクの一番下の引き出しを開けた。裏にはとうに見慣れた、左はねに特徴のある、それでも見本のような端整な字で書かれた差出人の名。
専門時代からの友人の結婚式だった今日、この手紙の差出人である老婦人の息子の姿は、やはり無かった。そしてそれが当たり前かのように、そこにいた誰ひとりとして、彼の名を口にはしなかった。
――そんな無言の優しさが、時々ひどく残酷に思える。
それから私は、同じように封を切らないまま山積みになっている一番上にそれを置き、引き出しを閉じた。
「……寝てるし」
リビングへ戻ると、平子さんはソファに横になって静かな寝息を立てていた。
ちぇーっとぶつぶつ言いながら布団を持って来て掛けると、薄っすら笑みの浮かんだ寝顔でモゾモゾと身じろぎをしている。
「ぷっ……本当に良く似てるねぇ」
ニャ〜ン……。
擦り寄って来た愛猫に話し掛けつつ、帰ると言い張りながら3:7の確率で睡魔に負けるツンデレ娘を思い出して苦笑が零れた。けれど先の張り詰めたオーラを思うと、今こうして彼の寝顔が穏やかなことに安心を覚える。
「よし、風呂入ろ」
明日の仕事の為にも、蓄積された足腰の疲労を湯船でほぐさねば。
「……何をやらかしてんねん、俺は」
薄暗い中、不意に目ぇ醒めてガバァ! 起き上がった俺は、頭が状況把握すると同時にガックリうな垂れてもうた。壁ん時計見たらまだ2時半、がっつり寝てへんかったんがせめてもの救いやけど――。
「大不覚やわ……」
斬魄刀も携帯してへん状態で、仲間ちゃう子の家で寝てもうたショックは中々にでかかってんわ。
つい、て寝室へ目ぇ向けたら、まだ煌々と明かりが点いとる。起きとんのか? 思て、のっそり腰上げたった俺は、音立てんよう気ぃ付けながらそっちに向うてみた。
ドアん前でひと呼吸置いてから、なるたけ小っさい音でノックしたったものの、中からはすぐに「どーぞー」いう彼女の声。
「やーすまんなぁ……」
軽く気後れしつつガチャて開けたった扉。黒のスエットに着替えよった夏希ちゃんは、窓際んデスクのパソコンに向うとった。
「いえいえ、私もよくソファで落ちますから。ちなみに『妹さん』も」
「うぇっ、ひよ里も!?」
揃いも揃うて面目あれへんなぁ言うて頭掻くと、夏希ちゃんは椅子ん上に片膝立ててさも愉快っちゅー感じで笑いよる。
「あ、髪どうします? 私はどっちでもいいですけど」
「あー、しゃーけどジブン明日仕事やろ? ほな来週の火曜は空いとるか? ついでにちょっと切って貰いたいねんけど」
「え? あっ、はい! いいですよ」
「ぷっ……なぁ、好きに触って構へんで?」
夏希ちゃんに近いベッドん端に腰掛けた俺は、ニヤてしながら頭突き出したった。
「い゛ーっ! いいいきなりはちょっと心の準備、が……」
「アホか、何を準備すんことあんねん、ほれぇ」
何やおもろい反応しよんなぁ思て煽ったれば、ゴクンて生唾飲むくらいの緊張しぃしぃで、えらいそぉーっと手ぇ伸ばしてきよる。
「……」
「……」
ちょ、その緊張具合はアカン! めちゃめちゃ伝染するっちゅーねん!
しゃーけど何を思たんか夏希ちゃん、直前でピタて手ぇ止めて言いよったやんか。
「……やっぱ、来週まで取っておきます」
「ハァ!?」
変に力まされとった俺としてはズルーッ拍子抜けてまう。
「すみません、私デザートは最後派なもんで……あたっ!」
えへへ、いう感じで、そんなん言いよるもんやからとりあえずぺちんてデコはたいといた。……こっちまで照れ臭なるっちゅーねん、アホ。
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