曖昧な境界 5
あの後、チワワちゃんは車降りた俺んとこ慌てて来よって「ごめんなさい」言うた。自分の本音、俺に見透かされたんに気ぃ付いてんやろな。
ちゅーても散々都合ええこと遊んできた俺に、この子のしたたかさ否定する資格なんかあれへんし、する気もない。
嫉妬、侮蔑、卑屈、虚栄、自己顕示欲……そないなモン、多かれ少なかれ誰にでもあるもんやし、ましてや色事においたら無い方が不自然や。
しゃーから俺も本気で捨て置いてくつもりはなかってん。しょぼくれて俯いとるチワワちゃんの頭ポンポンして、もー帰ろな、言うて。
ほんで帰り道、俺はすっかりしおらしゅうなったチワワちゃんに言うたった。
「……あんな、誰に何で線引くんもチワワちゃんの勝手やし、偉そに講釈垂れる気ぃも無いねん。ただな、何か持っとるいうことイコール幸せ、とは限られへんねんで」
まんま思うた通りやってんけど、言うてから何やひんやりした『やるせなさ』みたいなん沸いてきよってちょっと後悔してもうた。
それから会話らしい会話もせんまま、チワワちゃんを車ごと送り届けたったまではええけど。キー返して「ほなまた店でなー」言うて背ぇ向けたら、後ろからハシッて抱きつかれてんやんか。
何や俺はもう、溜め息しか出えへんかった。
「……ちょっと、頭冷やし」
「勢いとかじゃない」
あーもー何やねんこれ! 何で俺が居た堪れん気分にならなアカンねん!
「……とにかく冷やし」
そのまま振り返らんと立ち去った俺は、どっちの頭の話や思いながら月のない夜空へ上がった。
――殆ど半分、賭けみたいなもんやった。
アパートが見えた頃、何やもう、どうしょうもない苛立ちや焦燥みたいなんで、俺ん中はぐっちゃぐちゃやった。
こないに不安定でおったらアカン。
何かにつけて琴線揺さ振りよる彼女に会うて、俺ん中の時限爆弾が弾け飛ぶか、止まるか。前者やったらもう、ここでの滞在は終いや。後者やったとしても今ん状態の俺にどない反応しよるかやなぁ。
何があったか聞かれて、うんうん頷かれたり、慰められたり。間違うてもお互いの闇や傷みたいなん、わざとらしゅう舐め合うよな茶番は御免や。そんなん多分、どうあってもほんまの意味で共有なんか出来へんねやから。
『察しろ』なんか傲慢以外の何もんでもない。ないて分かってんねんけど、ズカズカ入って来られて平静でおれる余裕なんか、今ん俺にはあれへん。
しゃーけど、チャリンコはあんのに肝心の夏希ちゃんがおらんかったやんか。
「何やねんハゲ」
「なぁ、夏希ちゃんどこ行ってんか知らんかぁ」
「ハァ!? ……あぁ、何や出掛ける用事あるとか言うててんぞ。ちゅーかオマエ……大丈夫なんか?」
「ハァ!? オ、オマエこそ何やねん……変なモンでも食いよったんか?」
どない風の吹き回しや思うたけど、電話の俺に向うて直球で「大丈夫か」なんか口にしよったひよ里には、何やちょっとだけ救われた気分やった。にしても、ちょっとその辺いう感じやなさそうやんなぁ。どないしよ。
何や拍子抜けてもうた俺は、とりあえず階段の縁に座って自分ん中を一個ずつ整理してみることにした。
ゆるい楽な空気、鳴った警鐘、最初のムズムズ、走った虫唾、キャップ小僧、雑誌の見出し、市丸のこと、店長サンのこと、チワワちゃんのこと……思い返すほど、どんだけ夏希ちゃん絡みでブレとんねん! いう自分に気ぃ付いて、うーわ、しょーもな! 思うてもうた。
ただ、一個だけ分かった。
あの子がめんどいんでも不愉快なんでもあらへん。あの子を取り巻くモンが厄介やねんな。週刊誌なんか載ってもうてんねや。知らん土地、会うたこともない人間にも散々ヤイヤイ言われてきてんやろなぁ。
――しゃーけど、時限爆弾も賭けもなかってん。
カツーン、カツーン……カツーン、カツーン……
「……!」
「ハァ、きっつー……」
苛立ちも、焦燥も、ムズムズも、やるせなさも。声聞いただけで、ほんま嘘みたく何もかんもスッて消えて。
よう働かん頭のまま、体だけ動いとった。
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