曖昧な境界 3
「すっごく美味しかったね!」
「……せやなぁ」
チワワちゃんの声は耳半分、もう半分はブロロロいう小気味ええエンジンの音に気ぃ取られとった俺。
海沿いの国道に滑り出したら、今度は何や近くにある展望台昇りたいてウルサイ。
めんどいなぁ思いながら帰り道の逆車線へUターン。片手でハンドル切る度、わぁ〜! いう感じで目ぇキラッキラさせよるチワワちゃんには、ほんまベタベタに女の子やな思てちょっと笑てもうた。
店長サンは、事件の詳細は口にせえへんかった。
夏希ちゃんと同棲しとった男が『川村夏希』の名前で美容詐欺はたらきよったいうこと。しゃーけど騙し取った金は手ぇ付けずに丸っと夏希ちゃんちに隠したまんまやったこと。その男に、執行猶予付きの有罪判決が下りたいうこと。
俺が聞いた『事実』はその3つだけ。
「俺は夏希の前は歩けても、隣に寄り添うことは出来ません。まー例え出来てもする気も無いっすけど。その代わり――それが俺の『責任』です」
“俺は、絶対に夏希を見捨てません”
その夜、あのクソチビの夢なんか見た俺は、意外とまだ揺さ振られる隙のある自分にがっくしきてもうた。
“市丸ギンいいますーよろしゅうお願いしますー”
ヘラヘラヘラヘラ ニヘラヘラ
あの眼鏡がうちの席官にしたいてチビ連れて来よった時、俺が思うたんは「ああ、化けモン手下にしよった」やった。うちのモンとの手合わせ見ても、こん気色悪いガキに教えることなんか机の上のモンだけや思うたもんや。
結局俺は、最後まであのチビんことだけは、ほんま何にも分かれへんかった。何を考えとんのか、何を見とったんか。
どないして欲しかったんか。
――俺は、あのチビを見捨てたんか?
「……ねぇ平子くん。社員の人が言ってたけど、こないだアジールの店長さんが来て話したんだってね。何の用だったの?」
「あー、別に大した事やないで」
展望台の駐車場までもうすぐいうとこで、ちょっと止めて言うチワワちゃんの仰せの通り、俺は脇に車寄せて止めたった。何やねん思たら、今一番話したない話題振って来よって、俺ん中のムズイラ菌が更に増殖するんをリアルに感じた。
「川村夏希さんの話、じゃないの……?」
「……せやったら、何やっちゅーねん」
チ、カ、チ、カ、 チ、カ、チ、カ、
点滅するハザードの無機質な音が、何や俺ん中で鳴る時限爆弾の音みたく思えて、張り巡らされた神経に変な緊張が走りよる。
「もう前みたいには表に出れないみたいだけど、今でもお忍びで彼女に切って貰いに行くアーティストとかも多いんだって」
「……ほぉ」
すんでのとこで抑えとるムズイラがバレんよう、俺はなるべく気ぃ無さそに返してライターを擦った。
「でも私、あの人の元彼の気持ちちょっと分かるなぁ。だって素敵じゃない? 彼女。普通に可愛いし、若い頃から世間に認められるだけの才能もあってさ。私みたいな庶民には無いものいっぱい持ってる」
「……ほんで?」
「そういう世界の人には、それ相応の人が一番ってこと。同じ美容師さん同士でもモーツァルトとサリエリになっちゃったでしょ? 彼女にはあの店長さんが一番お似合いだと思うな」
「しゃーから何が言いたいねんっ」
「困るのよ、平子くんにもちゃあんと線引いといて貰わないと」
低いトーンでハッキリ言うたチワワちゃんは、窓ん方向いて煙吐いとった俺ん頬、両手で挟んで自分の方に向けよって。妖しさ湛えたくりっくりの上目で、何や俺んこと探るよう見て来よる。へえ、何や意外とストレートにしたたかやんけ。
――ほんならこっちも、ジブンのさもしい顔見たろやないかい。
「まー分かれへんよなぁ……欲しがっとるだけのチワワちゃんには」
ガタンてリクライニング倒した俺は、ニヤて口端吊り上げながら上から見下ろしたった。
「……手に入らないからこそ、欲しくなるもんでしょ?」
しゃーけどほんまはそんなん建前、言うほど欲しいやら思うてへんやろ。
そん証拠にジブン、ただ指ぃ咥えて見とるだけやんけ。俺が遠なんのが困るんやのうて、自分のテリトリーん中から敵わん人間は徹底除外。それが本音やろ?
舐められたもんやな、俺も。
まー所詮、この子んとっちゃ『バイト仲間』いう括りに過ぎひん。線引く言うても、そない見えるモン限定の話っちゅーことやんな。
「……ハハ、せやなぁ。簡単に手に入るモンなんてつまらんわなぁ? ほなずっと手に入らんよう、俺とチワワちゃんの間にもしっかり線引いといたるわ」
ニッコリ笑て体起こした俺はすぐに運転席から外出てバタン! ドア閉めたった。
ほんまのとこなんて、誰にも見えへんもんやんな。
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