曖昧な境界 1
ばっよえーん ばっよえーん……
「ぐあっ! ちょおやめっ……夏希ー!」
「どしたー? ……あらら、『ばたんきゅ〜』」
「あ゛ーハラ立つ〜っ! 何やねんな、こんハゲはー!」
23連敗目が確定してダンダン地団駄を踏むひよ里ちゃんの横で、両手で持ったマグに口を付け、ずずっと珈琲を啜る、したり顔の松田くん。
秋の夜長、うちのリビングでは、今日も手練ゲーマーとスーパー負けず嫌いとの飽くなき戦いが繰り広げられている。0時を回った今、このヒートっぷりでは本来かなりの近所迷惑というやつなのだが――。
「ゲームで松田サンに勝つ、ムリね」
「おー張! オマエ、ええ感じにサッパリしたやんけー!」
私に続き作業部屋からひょいと顔を覗かせた人物を見て、目を丸くしたひよ里ちゃんからすかさず感心の声が上がる。
「夏希サン、私カッコ良くしてくれたね!」
「ほんま、どこぞのムッツリぱっくりハゲとは大違いやんなぁ〜?」
ずずっ
……てな次第で、真下の住人も頭上から轟く騒音に悩まされずに済んでいる。
「まーひと区切り付いたことだし、珈琲と紅茶淹れ直そっか」
私がキッチンカウンターで紅茶を淹れ直していると、ソファの背に頬杖を付いて眺めていたひよ里ちゃんが口を開いた。
「……なぁ夏希、最近真子に会うたか?」
「ん? あーそういや10月に入ってから会ってないかなぁ」
「あのハゲ、最近おかしいねん」
「おかしい……?」
ガラスポットをぐるぐる揺らしつつ顔を上げれば、何処となく面白くなさそうに眉を寄せているひよ里ちゃん。
「……『集まり』に顔出さへん回数が増えとる」
ひよ里ちゃんがうちへ来るようになって、もうすぐ2ヶ月。依然、平子さんや彼女たちが何を目的とした仲間であるかを私は知らない。けれど個々の話や頻繁に耳にする『集まり』など、それぞれが何よりそこに重きを置く大切な関係である、というくらいの認識は出来ている。
また彼女も、先月までの遅い帰宅や疲労の理由、留学した彼女のことなど、日常の色々から私の『何となく』は把握しているはずだ。
「女とちちくり合うてて遅れたりなんかはしょっちゅうやねん」
「あははは、健康だねぇ」
「アホ、健康過ぎるっちゅーねん! ただな、飽きたんか何や知らんけどこっち来てからはそない話もしてへんかったやんか」
「んー……特定の彼女が出来た、とかは?」
「ありえへんなぁー……」
溜め息混じりで否定するひよ里ちゃんの前にカチャリとカップを置き、私も自分のマグを手に隣に腰掛けた。
いっくよー! そぉれっ! ファイヤー!
テレビの前では、珍しく大健闘を見せている張さんに、松田くんの連鎖の応酬が始まったところだ。
「前にも似たような時期があってん。せやから見当はついとるんやけどな」
「あ、そうなんだ」
「考えてもしゃーない分かってても考えてまう時てあるやろ? そない時や、大体な」
ばっよえーん ばっよえーん……
「別にそんなんはええねん。ただ何もないみたいな顔ぶら下げて、フラ〜戻って来るんがウチは気に喰わへんねん」
「……自分だったらどうですか? 『考えても仕方ないこと考えてた』って言うんですか?それとも憔悴した顔でも見せますか?」
「!?」
「!?」
「チッ、何やねん松田! いきなし入って来んな!」
画面に顔を向けたまま、突如淡々とした声で松田くんが反応。
「すみません。ただ、そこまでを求められる平子さんは気の毒だなと思ったもので」
「あ? 何やとっ!?」
くわ! とひよ里ちゃんが立ち上がり掛けたところを、私は慌ててダイブして押さえ込む。今日の相手は『超人』ではない。松田くんが死んでしまう。
「まぁまぁ。連絡くらいはあるんでしょ? 心配なら電話して様子伺ってみるとか、さ!? ちょ、待……っ、たぁ!」
「っるぁ!」
「〜〜〜〜っ!」
私の下でばたばたともがいていたひよ里ちゃんから、久々にド派手なデコピンを喰らった。
「アホか! 何でウチがあないハゲ心配したらなアカンねん!」
……この、ツンデレ娘が!
心の内で盛大に悪態を吐きつつ、ジンジンする額を両手で押さえていると、振り返った松田くんがチラリと私を見て溜め息を零した。え、私が呆れられるとこ?
「心配しようにも、携帯の電源切ってどっか行っちゃう人もいますけどね」
「っ……あーーーと、そういう人もいるかもねーあはははー」
ギクと顔が引き攣るのを感じつつ乾いた笑いを漏らす私に、松田くんは尚も白い目を向けて来たけれど。
「夏希サン、リフレッシュしてただけね! 夏希サンの居場所ココ! 松田サンの居場所ココ! 私の居場所もココね!」
おもむろに振り返った張さんが満面の笑みを湛えて言った言葉には、ほわん、と胸が暖かくなった。
『居場所』
そりゃあ、苦手な人がいた時期だってあったけど。
全てを見せ合わなくても、自然と互いに労わり合い、安心して帰れる。確かにここは、そんな場所だ。
「サッッッパリ意味分からん! 何の話やっちゅーねん」
眉を寄せ腕組みしているひよ里ちゃんに、わざとらしくふふーんとかいう含み笑いをして見せる松田くんと張さん。そんな様子に苦笑しながら、あの夜、私の気持ちに寄り添ってくれた平子さんにとっても、そんな場所になったらいいな、と密かに思った。
――彼が考え込むきっかけを私が作ってしまったことなど、露ほども知らずに。
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