彼女の荷物 8
「ほれ、『あったか〜い』緑茶」
「ありがとうございます。もうあるんですね『あったか〜い』」
あのあと男は「俺のことリークしてみろ、今度こそおまえを潰してやる!」とかいう、何やらお約束みたいな捨て台詞を吐いて退散。張っていた気がふっと緩んだ途端、こめかみ辺りがじくじくと痛み出し、酒の抜けかけた体に寒気を覚えてぶるりとした。
平子さんが買ってくれた緑茶のペットボトルを両手で包み込み、とりあえず一服しようとパーキングの縁石に並んで腰掛ける。そうして無機質な白い街灯に照らされた、人通りの少ない深夜の路地裏を眺めながらふたりでゆるゆると紫煙を燻らせた。
「そういや前、業者が間違うたんか『あったか〜いコーラ』が出てきよったことあんねんで」
「ええ!? そ、れは、かなり危険な気が……」
「かなりなんてもんやないで? むっちゃパンパンに膨らんどってなぁ。うわ、どないしよ思たんやけど……やっぱ、気になるやん?」
確かに怖いけど気になる。そう思って首をこくこくさせると、何やら平子さんは人差し指を立ててニヤッと笑ってみせた。
「あんな、ぶっしゅーなんてもんやないねん。ぶっふぉー! いう感じで2、3メートルくらい吹き出しよってな。近くにおったひよ里なんてビビッてびゅーん逃げとったわ」
「うわ、それ凄い! ちょっと見たいかも……つーかその時のひよ里ちゃんが見たかったなぁ、ふふ」
何も聞かない代わりに、そんな面白い話ばかり聞かせてくれる平子さん。ここのところ妙なばったりが多く何だかぎこちなかったけれど、やっぱりこういう方がいいなと思う。
「あの……ちなみに、どのあたりから聞いてたんですか?」
だからといって聞かれないのを良いことに、うやむやにしてはいけない。
――そう、思ったんだけど。
「んあ、あー……あのキャップ小僧と夏希ちゃんがやらしいこと始めよったあたりからやな」
「ぶっ……あれ? 私、うっかりちゅーとかしちゃってました?」
「アホ、ちゅーなんてもんやないで? もっとこう腰寄せて、手ぇを……って何を言わせんねん!」
ぺしーん!
「いって! ……でも、じゃー殆ど聞いてた感じですね」
「まー聞いてた言うても俺にはサッパリやねんから気にしなや」
振られて、乗って、ぺしんと頭をはたかれてツッコまれる。そんな流れを経てニッと笑った平子さんは、何だか満足気だ。
“ケリ付いたんちゃうか”
頃合を見計らって間に入ってくれたに違いないのに、分からないフリで暗に『何も言うなサイン』を出された気がする。暗黙のルールの均衡を崩してくれるな、ということなんだろうか。
――だけど、それでもせめて。
「平子さん」
「んー?」
お礼だけは、ちゃんと言いたかった。
「止めないでくれて、ありがとうございました」
別に積年の恨みとか、そんなんじゃない。ただ、もしこういう機会が訪れたなら自分でケジメを付けたい気持ちはあったから。
「しゃ、しゃーから俺は、髪切って貰われへんことなったら困るなぁ〜思うただけやて……ちょ、何を笑とんねん!」
「んふふふふっ、平子さんって変なとこで嘘つきですよねぇ」
「ウルサイねん! よう分からんけど大丈夫やて思うたん、や!」
怪しい含み笑いをする私のこめかみを、や! と共に指先でトーン! と突かれ、『ぺしん』を予想していた私は体ごとぐわん、と反対側へ振れた。
が、すぐにぐいと腕を掴んで引き戻され、見ると片手でハンチングを押さえている腕の隙間から、ムスリとへの字に引き結ばれた口が覗いている。
何やらよく似た『兄妹』だなぁ。なんて思いながら再び込み上げる笑いを堪えてたら、横から何や腹減ったなぁーというぼやき声が。思わず「ああ!」と叫ぶと、「うをっ、何やねん!」と過剰に驚かれたけれど。
――私ときたら自分のことばかりで、肝心なことを忘れていたじゃないか。
「平子さん、今日主役じゃないですか!」
「ぶっ、何を言い出すんか思うたらそないなことかいな。ええねん、ぶっちゃけ元々めんどい思うててん」
「や、でも皆な――」
「アホか、同しや」
皆な待ってるんじゃ、と言おうとしてかぶされた『同じ』の意味が分からず、思わずポカンとしてまじまじその顔を見てしまう。
「戻りたかったらとっくに戻っとるちゅーねん。付き合うて『あげとる』つもりなんてないわ」
そう言って平子さんは、ふっ、と淡く笑った。
何かが、じんわりと解けていくような安心を覚える。隣に誰かがいるっていいな、と久しぶりに思えた気がした。
「……なぁ、ラーメンかなんか食いに行かへんかぁ?」
「ええ!? 主役が先帰るとか!」
先に飲んでいた私はともかく、平子さんたちが来てからは正味一時間ほどしか経っていない。その内、私の面倒事に付き合ってた分を差し引いたら、席にいた時間なんてたかが知れている。
「何でやねん、いつ帰ったってええやろ?主役やねんから」
「うーわ、ものっそい自由ー!」
「ほれ、ここで待っといたるから。早う荷物取っといでぇ」
……この傍若無人っぷり、本当によく似た『兄妹』だ。
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