彼女の荷物 6
「一台、予約いいですか?」
ダーツにそこそこ飽き、ならばビリヤード、とすぐに次の遊びへ移行する。
私が使用中の台の予約をしに来ている今も、一番『画伯』な男の子がコースターに描いた絵を当てるとかいうゲームで早くも盛り上がっている。
『酒は遊びの為のガソリン』が、うちのアホ集団の定説。
カウンターを挟んで反対側の客席へ目を向けると、お馴染みの歓迎の儀と思しき平子さんへの集中砲火が始まった模様。『うぇーい♪』が飛び交う謎テンションの中、空いた傍から新しいグラスが渡され続けていて、ちょっと笑ってしまった。
同時に、例のサラサラの金髪を皆なで無差別にいじくるその姿に、何の躊躇いもなくごく自然に触れていいなぁと思う。好きが過ぎる私はいつも、知らず意味無く自分でハードルを上げてしまう。
「……ひょっとして、夏希?」
不意に呼ばれた声で振り返った瞬間、ほんの少しほろ酔いだった頭が一気に醒めた。
未だ爪痕の消えぬ過去の一件の、直接的な当事者ではない、だけど出来ることなら二度と会いたくない男との数年ぶりの邂逅。
『真の敵は別にいる』
当時、身を以ってその意味を知った台詞が再び甦るも、恨みや憤りといった類の感情がサッパリ沸いてこない自分が不思議だった。
私の何かが破綻しているのか、或いはこのあざとい男のしでかしてくれたこともまた、結果的に自分にとって意味があったと何処かで認めているからなのか。
何にせよ私は、自分でも驚くほどすんなり「久しぶり」とかいう言葉を吐いていた。
すると案の定、こっちが何も知らないと思い込んでいる男は
「最近どう?」
「大丈夫?」
「その後、元彼は?」
など、さも親身に案じるかのような素振りを、これでもかと見せてきた。
――正直、笑い出さなかった自分を褒めたい。
こちらを窺っている店長の、久々に見る緊迫した表情を視界に挟みつつ、外の空気でも吸いに行かない? と言って私は男を連れ出した。
かつて、ロイヤルグループという大手の数ある店舗のひとつで、共にジュニアスタイリストという肩書きの名の下にハサミを握っていた、私とこの男。
そして当時私が付き合っていた男もまた、店は違えど同じ系列店舗のジュニアスタイリストだった。内、現在その傘下にいるのは、目の前でわざとらしく愁眉を寄せているキャップの男、ただひとり。
――私に至っては、実質その店に1年もいなかったけれど。
「夏希さえ良ければ、俺もう一回サロンディレクターに口利いてあげようか?」
……ウンザリするくらい変わらない男だ。
その実態は、可愛い系の面を武器に雑誌とホスト営業で顧客を掴んでいただけだというのに。
「いいよー今わりと満足してるし」
「そんな風に強がんなよ、夏希。かわいそうで、見てらんないよ」
『かわいそう』
頬を撫でてこようとする男の気配を感じつつ、その一言でスイッチの入ったことに何処かちょっとホッとした自分がいた。
「……で? 『かわいそう』な私に今度は体でも差し出せっての? 悪いけど、言うほど大人じゃないんだわ、こっちも」
自分でも驚くほど低い声で返した私に対し、驚愕に目を見開きピタと止まった男は「ちょ、何言って……」と言葉に窮した様子。
「未だそんな見え透いた同情使わなきゃ女ひとり口説けない男に『かわいそう』とか言われてもね。ムラムラしたからヤらして? とか言われた方が100万倍マシ」
「……おまえ、人が親切で言ってやってんのに調子に乗んじゃねえよ!」
淡々と吐き捨てるように言えば、男は案の定、目を吊り上げ怒声を放ち、頬を撫で掛けた右手で私の肩を掴んで背後の自販機にガン! と打ち付けてきた。
が、軽いムカツキこそ覚えるものの、思いのほか私の内側はひどく冷えていた。……そりゃ、ちょっとは痛いけど。
口利いて『あげよう』か。
言って『やって』んのに。
――いい加減虫唾が走る。お前一体、誰なんだマジで。
「で? あん時の私の記事、いくらで売れたわけ? うちの家族のことまで、あることないこと随分色々喋ってくれたみたいじゃん」
「……っ!」
みるみる蒼白していく相手の瞳の中で、せせら笑う自分の顔に内心ちょっとゲンナリする。だが男はすぐに居直ったらしく、「ほぉ」みたいな、もっと舐めくさったような眼つきになった。それさえもまた、呆れるくらい予想通り。
――何から何まで先が読める、どこまでもつまんない男。
「ケッ、自分の男にハメられた挙句に、アジールの店長に飼われてるだけの犬が! てめーなんかこの右手が使えなくなりゃ捨てられて終わりだろうが!」
そう言った途端、ガッ! と右手首を掴んで捻り上げられ、流石に痛みで僅かに顔が歪んだが、ここで怯むわけにはいかない。
「プライドも無い社畜が吠えてんじゃねぇよ、鬱陶しい」
「てめーマジでへし折られたいのか!? あぁっ!?」
「何なら義理返ししようか? 『川村夏希、ロイヤル・トップスタイリスト傷害事件の真相を語る』とか、どうよ? 値落ちした名前とはいえ、私には匿名リークなんて猪口才な真似出来ないけど、その辺は勘弁してよね?」
「くっ……てっっんめぇぇえ!」
ギリギリと食い込む男の指から、それ以上どうしようも出来ない悔しさが存分に伝わって来る。
ああ、スッとした。
所詮、『ロイヤル』という看板を失ったら最後、誰もこの男の骨なんて拾わないだろう。
対する私はといえば、メディアや肩書きにも興味が無く、雑誌のサロン紹介に載せる担当美容師の写真にすら本心では苦手意識を抱えていた。
けれど目まぐるしい色々があり、いつの間にか私ではない『川村夏希』の望まぬひとり歩きは始まってしまった。そのことで、誰かを大事にしたり、人の想いに応えることと、自分の思いに忠実に生きることはなかなか相容れないものだ、ということも知った。
それでもこの男のように小賢しいやり口で、本質の伴わない名前を売ったりはして来なかったと私は私に胸を張れる。今でも。
そう思ったところで、男の手を長い指がハシと掴んだのが見えた。
……え!?
「……何やよう分かれへんけど、ケリ付いたんちゃうか?」
「ひっ!? ひらっ、ひひひひらこさぁっん!?」
「ぶっ、何ちゅー声出しとんねん。あーあ、せっかく今日可愛いいなぁ思とったんに、今のカミカミ裏返りで台無しやわ」
緊張の欠片もない声で言うなり、半目でカパーと口を開ける平子さん。完全に呆けてしまった私は、続いて物凄くわざとらしい溜め息を吐かれた。
「なっ……おまえ誰だよっ、関係ねえだろが!」
「無いには無いねんで? しゃーけど髪切って貰う前にこの子の右手アカンことなってもうたら、俺かて困んねんて」
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