彼女の荷物 4
「やった18のトリプル! 店長、テキーラショットですよ!」
「あーあ……俺ひとり酔ったってつまんねぇじゃねーか」
日曜の夜。ざわざわとした喧騒に満ちた地下のラウンジで、ダーツ遊びに興じる店長と笑顔の彼女を遠巻きに眺め、ひとり私は安堵の溜め息を零していた。
コンテストが終わり漸く越したかに思えた私の山場は、代休を挟み翌木曜から更にニ日ほど続いた。
“『川村夏希もどき』は要らねんだわ”
やな予感ほどよく当たるというもので、入賞の喜びも冷め遣らぬ彼女に、店長はこれをダイレクトに告げた上でロンドン講習を言い渡した。
そして案の定、無慈悲にさっくり突き落とされた彼女を再び上げる役目を「後は任す」の一言で私に丸投げ。分かりましたと返したものの、「ああ、また私は試されるのか」と思うと、ぎゅっと唇を噛み締めずにはいられなかった。
これを受け、その夜 私は家に帰ってから平子さんの店で店長に言われたことを思い返し、自分の解釈の妥当性をひたすら自問自答。
――そして金曜日。
「スタイルが似て来てるって、夏希さんも思ってたんですか……」
「思ってた。主張したい部分の見せ方とかもね」
悔しさと悲しみの入り混じった、ワナワナと震えた声で聞いてきた彼女に、私はただ淡々とそう返した。意図的に真似たつもりがないところへ、思いも寄らぬ非情な言葉を浴びせられたのだ。当然の感情だろう。
しかし次に彼女の口から発せられた言葉の方が、寧ろ私にとっては遥かに予想外なものだった。
「だったら最初のモデルさんで行った方がもっと上の賞狙えたじゃないですか! 結局はそういうことですよね!?」
空いた口が塞がらない、とはまさにこのこと。
「……あのねぇ、誰かを真似た作品に賞くれるような審査員なんかいないから。断言してもいい。最初のイメージで行ってたら、入賞どころか私の名前であなたの今後すら潰れてたよ」
指導者と被指導者に止まらず、誰かと一緒にいて、その感性や価値観に感化されることなんて、よくあること。
Aという要素とBという要素を足して、AとBの要素を併せ持つ、だけどAでもBでもない『C』が生まれる。それ自体は何も悪くないどころか、寧ろそういう新しさが評価されることは、感性の世界に限らずいくらでもある。
だが、今なお私の意志に反したひとり歩きを続ける『川村夏希』という名が公私共に及ぼす影響の大きさというものを、彼女はまだ分かってない。
「つまり入賞したのは、あなたの感性が評価されたってことなの。店長の言う『もどきは要らない』は、あなたにも言えることだと思う」
『唯一無二』
誰も、誰かの代わりになんてなれない。それは彼女の代わりがいないこととも同義だ。店長はああ言ったけど、彼女が潰れるんじゃない。
――『川村夏希』が彼女を潰すのだ。
「……私、自信を持って良いってことですか?」
複雑な表情で黙って私の話を聞いてくれていた彼女は、けれど伝え下手な私の言わんとすることを、どうやら理解はしてくれたようだった。
「勿論だよ。寧ろ、ごめんね? 本当は会場入りして準備とかサポートしたかったんだけど……私、審査員メンツに結構嫌われてるからさぁ、はは。でも賞や順位にばっか囚われちゃダメだよ?」
「はい……でも、夏希さん自身が何かしたわけじゃないじゃないですか」
「いや、私の脇が甘かった所為で、少なからず美容師の世間的信用が下がったのは事実だから」
公に評価された人間は、自分の名前に責任を持つことが常に問われる。今の彼女同様、あの頃の私はその責任に対する認識が本当に甘かった。私の落ち度がもたらした甚大な影響を思えば、嫌われる程度の代償など生易しいもんだ。
「だけど店長、あんな言い方しなくてもよくないですか?」
「あー……あはは、店長の言葉はあんまりストレートに受け取らない方がいい気するなぁ〜」
――だけどやっぱり、これはあくまで私の解釈であって。
彼自身の意図と合致してるかどうかなんて、結局のところ私にも分からないし、分かりようがない。だが、自分が落とす役になって私に上げる役を、なんてそんな単純な筋書きで『良き上司』を演じるような人とも思えない。
店長の優しさは、易しくない。
いや、本当の意味で『優しい』などという言葉で表せる人物なのか、私には疑問だ、今も、昔も。
ロートーンで面白くない下ネタを言っては皆なにツッコまれまくっている男を、ひとり壁にもたれながらぼーっと見やる。今夜は、結局半年留学という形でロンドンへ行くことになった、彼女の送別会。
手にしたグラスが空になり、私は入り口付近にあるバーカウンターまでお替りを貰いに向かった。するとその白い鉄扉が開かれ、ガヤガヤと楽しげな声と共に見知ったメンツが来店。思わず顔が強張る。
「あーなっちゃん! 来てたのか」
暢気に声を掛けてきたキッチンチーフに反応するより先に、私はその集団の後方で同じように「また!?」という顔をしてる人物と、微妙に引き攣った笑みを漏らし合うことになった。
一緒に一服したり、花火を見ながら酒を飲んだり、うちにも来たことのある、だけど連絡先ひとつ知らない『お隣さん』。それぞれ仕事絡みの人間といて、そんなお隣さんに偶然会った時に困らない、無難な接し方マニュアル。そんなのがあればいいのに。もしあったら絶対買うのに。
動揺する頭に、そんなしょうもないことだけがやたらはっきりと過ぎった。
だけど、私はまだ知らなかった。
――もうひとり、全く違う意味で会いたくない人物と、ここで再会するはめになることを。
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