彼女の荷物 2
隣駅付近にある私の店は、実質アパートから最寄駅へ行くのとそう変わらない距離にある。だが自然の多い住宅街といった最寄り駅周辺とは違い、小洒落た洋服屋や雑貨屋、レストラン等が多く、美容室も少なくない。
その中にあって尚、異色な雰囲気を放つ自分たちの店まで戻り、前日に仕込み作業をしたままの店内をざっとふたりで片付けた。そうして明日の代休に手入れする道具を鞄に入れた私は、ひと足先に駅前の駐輪場へ自転車を移しておくことに。
店長や皆なと行く店は大体決まっていて、煙草が吸え、何かと浮きやすい美容師集団が行っても気兼ねしないフランクな感じのカフェ、レストラン、バーが多い。
好きな店を選べと言われた私は、牛すじ入りオムライスを目当てにクラブジャズの流れるラフなアートカフェを所望。その前まで着くと、丁度良くのっそり向こうから歩いて来る店長の姿も見えた。
いい席空いてるかなと、ガラス越しに暖色照明の灯る店内へ目を走らせる。が、何より先にこっちを見て石化してる人物に気付いてしまった。
違うと思いたい頭とは裏腹に、視界に映る金髪おかっぱパッツンは、どう見ても平子さんその人だ、と是非もなく私に認識させた。
「おっ、奥空いてるじゃねぇか」
何のお構いもなしにガバッと扉を開けた店長だったが、次の瞬間「お?」と小さく驚いた声を発し、すぐに後ろの私を振り返った。
「おい、夏希。あの彼だろ、お前が触りたいおかっぱパッツンのお隣さん」
「えーと、まぁ……」
「ほー確かに『病気』じゃない俺でも、アレはちょっと切ってみたいわ。アートディレクターとか名乗っていい?」
「……そんな横文字の偉い人、うちにいましたっけ」
空気を察したのか、少なからず気まずい顔をした平子さんは、相変わらずの猫背でそろりそろりと私たちの前へ来た。
「ほんまに来てくれたんや夏希ちゃ〜ん! ……言いたいとこやねんけど、どう見てもちゃうやんな?」
「うちの店、ここから徒歩10分くらいのとこにあるんです……あ、こちら噂の『怖い』店長です」
「あっ、バカ。サロンディレクターって言えよ」
「……何で微妙に変えたのか全然分かんないんですけど。そしてそんな人もいない筈なんですけど」
私たちの下らないやり取りを前に、口をポカーンと開けて疑問符出まくりの平子さん。ひよ里ちゃんたちを紹介された時の私も、こんな顔をしてたんだろうか……。
「……何や分かれへんけど、飯食いに来てくれはったんですよね? あっこの奥でええですか?」
「あー奥で頼んます。夏希はどうせオムライスとデュベルだろ? 先それ注文しといてやって貰っていいっすか」
平子さんは例の間延びした口調で復唱しながら伝票に記入し、ほなすぐメニューお持ちしますわ、と言ってキッチンへ消えた。店長はというと、馴染みのキッチンチーフと談笑中。先に席に座った私はそんな光景を眺めながら、なんだかなぁと微妙な心持ちで片手頬杖を付いた。
「ほい、メニューに水。しゃーけど店長サン、『怖い』なんか聞いてどえらい堅物のオッサン想像しとったけど、めっちゃワイルドな男前やんなぁ〜何やユルユルやけど……」
「あー……はは、ユルユル自由人のくせに怖いから参るんです」
スタッフは私服にギャルソンエプロンが基本だが、平子さんはキッチン兼ホールなのかキャスケットを被って髪落ちを防いでいる模様。いつものネクタイをタイピンで止めて袖を捲ってるだけのその姿も、新人だろうにどのスタッフよりもスタッフらしく見える。
「つーか帽子、似合いますね! あ、あと追加で鰯パスタとネグラモデロをお願いします」
「ネーグーラーモーデーロ、と。まーほんまはハンチングのが好きやねんけどな」
「あーハンチング私も好きです! ……えーと、ここ結構来るんですよ、うちのアホ集団で」
「うーわ、ほんまかぁ。まーそれはそれでおもろいモン見れそやなぁー……ちゅーか今日火曜やんけ、休みとちゃうん?」
何ともぎこちない奇妙な空気の中、お互い少し頬を引き攣らせてむりくり会話を続けている。いつものどこか気の抜けるラクな感じなど嘘のようで、これからはあんまり来ない方がいいかなぁ、なんてほんのり思う。
「今日はコンテストなるものがありまして…スタッフやアシスタントの子たちがエントリーしてたんで応援、というか……」
会場入りしなかった自分が果たして応援出来てたのか? という疑問が頭をもたげ、最後の方は何やら情けなく尻すぼみになってしまった。
「おー俺のも頼んでくれたか。分かってるなー夏希ー」
と、そこへ絶好のタイミングで現れたユルユル店長には、もしやこれも計算か!? と疑心暗鬼にならざるを得なかった。
――いつどんな時だってこの人は、怖いくらい全力で『川村夏希』を守るから。
平子さんが再びキッチンへ消えると、向かいの店長がスッと私を見据えたので思わずピシャ! と背筋を伸ばした。
「入賞もしちまったことだ。もう夏希には彼女の指導はやらせらんねぇな」
「その方がいいと思います、私も」
「審査員と傾向を建前にモデル変更させて、ガラッとイメージ変わったのは良かったが。それでも見るヤツが見りゃ分かる」
「ですよね……」
……あなたとか、あなたとか、あなたとか『ですよね』。
「で、だ。ロンドン講習、受けさせようと思う」
「あ、それは良いかも」
「それで駄目なら潰れるな、あの子。技術盗んだりデザインの真似事は出来ても、感性ってもんは唯一無二。『川村夏希もどき』は要らねんだわ」
飄々とはっきりのたまう目の前の人物の、私にしてみれば数年に渡る『買い被り』が、結局のところ今の私を支えている。その上で、プライベートはただの川村夏希として切れ、とこの人は言う。
やっぱり私は、恐らくは一生彼の『下僕』で。
――そして多分、誰よりそのことを誇らなくてはいけない。
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