彼女の荷物 1
傾いた日差しの眩しさに空を仰げば、もわもわと広がっているうろこ雲。急に秋めいた私の頭は、やれ秋刀魚の刺身だの、やれ今年のブーツだのでいっぱいになった。
季節を置き去りに、多少駆け足とも思えるほど時間だけが過ぎてるような感覚でいたが、やはりそんなことはないらしい。
日陰の植え込みまで避難して縁に腰掛けると、テイクアウトしたアイスコーヒーのカップからたらりと雫が滴り落ちた。
「うぇっ……」
少し掻き混ぜてからストローに口を付けたのに、薄ぼんやりとした残念な味がする。
それでも建物の中に漂っているだろう濃密な空気に対し、ひとりポツンと外で時間を潰している自分には似合いのようにも思え、ちょっとだけ笑った。
不意にブルブル震えた携帯を取り出し、恒例になりつつあるメールだと気付いて一気に胸が躍る。けれど私は、開いてすぐ小さな溜め息を零すこととなった。
from:ひよ里ちゃん
09/20 15:18
sub :Re2:Re2:Re:
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今日は行かん
-END-
花火大会以降も2、3日に一度はうちへ遊びに来ている小さなお客さん、どうやら今日は来ないらしい。
来ない日限定だった電話には「今日は何弁やねん!」という種類が加わり、いつしかそれはメールでのやりとりへと変わった。といってもお互い、用件のみの極めて簡素なメールしか送らないのだが。
ひよ里ちゃんがバイト先の弁当を持って来るのは『行く』という意志表示であると共に、髪の手入れをする私への彼女なりの気持ちで。これまで過ごした時間の中で、下手な遠慮が彼女を傷つけてしまう、ということも私は知った。
極度の人見知りのようで、当初は他の誰かが来ると分かると頑として「いやや! 絶対行かへん!」と言い張っていたひよ里ちゃん。けれど先日、意外にもたまたま用事で来た松田くんと、ふたりでゲームをしたりする一面なんかも見せてくれた。
「あぁ! ……オマエ、ウチがジャンプしよるタイミングとかわざと狙うてアイテム使うてるやろ!」
「人聞きの悪いこと言わないで下さい、偶然です」
「何ーやねん、そのしたり顔は! コラァ!」
「あ、ひよ里さん、アカこうら行きますよ」
ブーブーブーブー!
「へぇあっ!? ちょちょちょ、アカンて! 今来たら落ちるて! 落ちる落ち、る……ふぐっ」
――ちなみに松田くんという人は、かなり意地悪な手練ゲーマーである。
そんなこんなで、ひよ里ちゃんが私の空間にいることに慣れてしまった今となっては、『行かないメール』に些か落胆を覚える私だったりもする。
けれどお隣の平子さんと会ったのは、あれからたったの一度きり。少し前、帰宅するべくいつものように階段を上っていたら、ゴミ出しに向かう彼と踊り場でばったり会った。
「ひよ里から聞いとるかもしれへんけど、俺カフェレストランみたいなとこでバイト始めてん。良かったら食い来てやー」
「あ、はい是非!」
久々に顔を合わせて、取るに足らない二言三言、ごくごく自然に。
だけどこの時、平子さんと私の間にはやっぱり奇妙な『暗黙の了解』があるな、と思った。私も、多分彼も、互いの領域に踏み込んだり踏み込まれたりすることを望んではない。その証拠に彼はどこに店があるとは言わなかったし、是非と答えた私もまた何も聞かなかった。
“ついでってワケじゃねぇけど……出来れば真子のことも、よろしく頼む”
その上であの花火の日、愛川さんに言われたことは少しばかり私の頭を混乱させていた。
――よろしく頼む、って……何を、どう?
「どわっ!?」
完全に考え事に徹していたところ、背後から唐突にガシッと両肩を掴まれ大仰天。何事かと振り向けば、半目になって呆れ返っている店長の姿があった。
「……相っ変わらず可愛さの欠片もねぇ声出しやがんなぁ、夏希は。いっぺん店戻って飯行くぞ」
言うが早いかスタスタと進み出す背中に慌てて続きつつも、発表は、皆なは、など様々な疑問が私の頭を駆け巡る。だが私が問うまでもなく、その回答は前を向いたまま気だるい声音で放たれた。
「俺の審査っつー仕事は終わったんだ。発表まで付き合う義理はねぇよ。どの道あいつらはモデルの直しやらがあんだろ」
せめて終わった後でも、皆なが仕上げたモデルさんたちを生で見たかったから来たのになぁー……。
久々に踏んだ会場の敷地。淡い橙に照らされたアスファルトに長く伸びた自分の影を見ながら、ほんの少し「ちぇっ」と言いたい気分になった。
「そういや審査員に急遽変更があってな。夏希のこと毛嫌いしてるアイツ、いたわ」
ハッ! として顔を上げると、振り返った髭面がニヤリと笑っていた。
「……ひょっとして何か言われました?」
「言わせると思うか? この俺が」
益々不敵な笑みを濃くしてフンと鼻で笑うその人に、私は全力でぶんぶん首を振るだけだった。
そうして店長とふたり、会場の最寄駅に着いた頃合でスタッフからメールが届き、男女一名ずつ入賞したとの報告を受けた。内ひとりは主に自分が指導に当たっていた女の子で、私は言い様のない嬉しさと興奮を抱えながら携帯をしまった――までは良かったが。
次いで、ほぼ同時に携帯から目を離した店長がかったるそうに、でも鋭い目付きで言い放ったことは、もう何度目かも分からない戦慄にも似た畏怖を私に覚えさせた。
「夏希、気付いててわざとモデル変更させただろ。アイツが無意識にオマエの真似しちまってるってこと」
「……っ!」
平子さーん! やっぱこの人、改造白玉人間より怖いかもー!
心の内で盛大に悲鳴を上げつつも、この人の目にもそう見えていた『事実』が、ただひどく悲しかった。
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