晩夏の花火 9
「夏希ちゃん!」
川沿いに着いてすぐ、後ろからローズさんがゆるふわウェーブを揺らして来た。気持ち小走りのそれすら何とも優雅で、行き交う人波の中でもひときわ目立って見える。
ひとりでも大丈夫ですよーと伝えるも「エスコートは男性のマナーだよ」とかやたら紳士的なことを言われてしまった。
フリル満載なサテンシャツを纏う彼を見てから、キャミにハーフデニム、ぺったんこトングサンダルという自分の格好についと目を遣る。おまけに背中にはクーラーボックスを背負っている。そう思った時には私はぷっと吹き出していた。
「どうかしたのかい?」
「あはは! や、どっちかって言うと、アーティストと見習いマネージャーみたいだなって」
「そんなことないさー。ほら、髪なんかお揃いじゃない」
……や、そんな綺麗な金髪とは全然違うし。
ローズさんの髪は少し黄色味の強い山吹色、反対にひよ里ちゃんは色素の薄いクリームがかった色味だ。そして平子さんの髪はちょうどその中間くらいの、絶妙な金。
混血が進む昨今、瞳の色や体型に留まらず、こういう天然の髪を持つ人も増えてるんだろうか。日本人体型全開、素髪も黒の凡庸な自分からしたら羨ましいのひと言だ。
「なっちゃん!」
歩調に合わせてゆらゆらと揺れる金髪をぼんやり眺めていたら、懐かしい声が耳に届いた。前を行く浴衣ギャルたちの脇からヒョコとそちらへ顔を覗かせると、相変わらず人の好い笑みを見せているオジサンがぶんぶん手を振っている。
あそこです、とローズさんに告げてから、私はオジサンの元へ小走りで駆け寄った。
「やぁ、なっちゃん。またまた綺麗になったねえ?」
「はいはい、たまには変化球も必要ですよー……あれ? 今日おひとりなんですか?」
「うちのヤツならあそこ。ガキはカミさんの母ちゃんと一緒にベスポジで陣取ってるよ」
オジサンが向けた親指の先を追うと、フランクフルトコーナーにいるキャップを被った女性が笑顔でペコと会釈してくれる。私が入居した時から住人だったこの気の良いオジサンは、それから3年ほど経った頃、再婚して子供が出来たのを機に家を購入した。
「今日は部屋? それとも屋上かい?」
「屋上です。新しく入ったお隣さんと、そのお友達と」
すると背後のローズさんが柔らかな声で「どうも」と言ってくれる。それに応えるよう軽く手を挙げてから、オジサンは片眉を上げわざとらしく溜め息を吐いて見せた。
「なんだ、漸く新しい彼氏が出来たかと思ったら、まーだハサミが恋人か?」
「ふふ、ハサミと猫の二股です」
「へー猫飼い出したのか。ま、猫もいいけどな。リベンジ、そろそろしてもいいんじゃないのか?」
「あー……はは、でも今わりと満足してるんで」
「……そっか。あ、氷だったな。ちょっと待っててな」
一瞬複雑な表情したオジサンは、でもすぐにいつもの笑顔になってカキ氷コーナーへ向かった。が、予め用意してくれていたのだろう。すぐに砕いた氷の入った透明な袋を手に戻って来た。背負って来たクーラーボックスに入れてみると、上から体重を掛けながらでないと蓋のロックが出来ないほどの量だ。
「こんなに沢山、いいんですか?」
「ああ。その代わり今度また髪切ってくれよ。その『魔法の右手』でさ」
「ふふ、お安い御用ですよ。ありがとうございました」
何も聞かずにいてくれたローズさんに密かに感謝しつつ、キシ、と僅かに胸の奥が軋んだ自分にやれやれと思う。
――私は、上手く笑えていただろうか。
……平子さんだ、と思った。
来た時よりも混み始めた帰り道。前を歩くローズさん。その肩に提がるクーラーボックスは、まるで空のままかのように重みを感じさせない。
“これは皆なで使う氷だろう?”
流れるような所作でベルトを手にしたかと思えば、ローズさんは口を開き掛けた私をやんわり制するように悪戯っぽく笑って見せた。カパッと口を開けたまま暫し放心するも、心当たりにピンと来た私は苦笑ながらに「すみません」とぼやくしかなかった。何やら物凄く決まりが悪い。
きっと面倒臭くて可愛げのない女と思われてるんだろうなぁ、なんて自嘲していたら、思い掛けないローズさんの言葉が私を立ち止まらせた。
「ラヴの言ってた通りだ。夏希ちゃんと真子って少し似てるよ」
……へ? つまり、平子さんも面倒臭くて可愛げがない、てこと?
けれど続いて振り返ったローズさんの肩越し遠くに見えたものが、一瞬にして私の思考の全てをふっ飛ばしてしまった。
「ピンクのおじさん……」
「え?」
「あ、あああそこに、ピンクのおじさん、が……」
私が小さく指さした先を辿るようにローズさんが前へ向き直ると、その『ピンクのおじさん』は上手い具合に隠れて見えなくなった。が、たっぷり10秒くらい経った後、再び振り返ったローズさんが口にした台詞には、私は眉根を寄せざるを得なかった。
「夏希ちゃん。君、きっと疲れているんだよ」
「……」
もしや面倒臭い&可愛げないのみならず、電波要素まで加わったか? というかそのベタな吹き替え風の返し、ここまでハマる人はじめて見たぞ。
私の心境は、さながら『信じてくれローズ!』状態だった。
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