晩夏の花火 1
「……だから今回イベントは我慢なんですよー」
「でも彼氏さんも楽しみにしてると思いますよ? 浴衣姿。……あ、ちょっとすいません」
その年々で多少の前後はあれど、私の店は盆明けから忙しくなることが多い。頻繁に予約の電話が鳴り、終日予約客だけで席が埋まる日も少なくない。今年もまた、この週末が近付くにつれ特殊ヘアの予約がバンバン入った。
それというのも、毎年このくらいの時期に野外や大箱のクラブなどで大きなイベントが開催されることが多いからなのだ。この日も店は、往く夏への焦燥と、最後まで精力的に謳歌せんとする意気込みの入り混じった言い様のない高揚感を抱えた人でいっぱいだった。
そんな店内の光景に、ひとり羨ましげな視線を送っては溜め息を零す、を繰り返している女子大生の元へ戻る。今度の野外イベントには、彼女が高校生の頃から大好きだという大物アーティストも参加する。けれど今年、彼女はなかなか時間の合わない社会人の彼氏と、日を同じくして開催される花火大会へ行くことを選んだ。
「すいません、お待たせしました。来週の火曜ってバイトですか? 良かったらこのインビ、貰ってくれませんか?」
「え、これ、って……」
用事で行けなくなったからと付け足し、私はあるクラブイベントのインビーテーションを彼女に差し出した。ニッとしながら『SPECIAL GUEST』の欄を指差し頷くと、一瞬にして彼女の顔がパァッと輝く。
「バイトだけど代わって貰います! ひとりでも絶対行きます! うわぁ、ありがとうございます!」
そういえばアパート前の川沿いの花火大会、今年は次の火曜だった気がする。私のこの夏の思い出に、キスケさんと部屋から花火でも眺めようか。屋上で晩酌しながら見るって手もあるな。いずれにせよ、それはそれで贅沢な休日になりそうだ。
目の前の彼女は、既に渡した雑誌の『浴衣に合う纏め髪特集』のページを嬉しそうに眺め始ている。そんな姿を微笑ましく思いつつ、個人的な楽しみも見つけた私は、再び気合を入れてハサミを手に仕事に取り掛かった。
「「「あげちゃったー!?」」」
「あははーごめんね?」
皆なで行けるイベントなんて滅多に無いのに、とか。ゲストに誰が来るか分かっててあげたんですか、とか。閉店後、一緒に行く予定だったスタッフに全力でぶーぶー言われ申し訳ないとは思った。
――が、正直なところ『惜しい』という気は全くしなかった。
「なんだ、夏希は行かねぇのか」
「あーはい、すみません店長」
「いや、別に構わねぇよ。んじゃ明日も頼むな。お疲れ」
大好きなアーティストがいて、でも大好きな彼もいて。だけど忙しい彼との約束を優先するといういじらしい選択をした彼女の21歳の夏は一度しかない。
来年就職活動を控えている彼女は、きっと今みたいに自由に好きな髪型にすることも出来なくなる。その先には今以上に彼と会えなくなる、ライブにも行けなくなる、そんな現実が待っている可能性だって大いにある。
私自身クラブは嫌いではないし、20代前半までは仕事明けに夜遊びに行くなんてこともザラだった。皆なでわいわいするのは楽しい。それは今も変わらない。
だけどそれだけ。私にとっては、その為だけの紙。
だったらそれは、きっと今の彼女が手にした方がずっと意味があるものになる、少なくとも私にはそう思えた。
「天気、大丈夫かなぁ」
「そんなん知らんわ! 何モタクサ帰って来てんねん、夏希!」
「……」
アパートの階段を上りながら零した、火曜の空模様を案じる独り言。するはずのない返答にハテ、と思い、最後の踊り場を折れてその先を見上げる。そこで私を待ち構えていたのは、仏頂面で仁王立ちした猿柿さんだった。
「……さっさと直し」
名前を呼ばれたことにも驚いたけど。
何より目に映る、左右の高さが見事にバラバラなツインテールには、片眉を上げざるを得なかった。
- 26 -
[*前] | [次#]
しおり
ページ:
章:
Main | Long | Menu