隣人の素性 10
平子さんの何気ない台詞によって、私の『言いたい』は『言わなくてはいけない』になった。誤解されようとドン引かれようと、とにかく言わなくては。
「……ア、アンタ、変態なん?」
「コ、コラァ! ひよ里ぃ! もうちょいマシな聞き方出来へんのんかい!」
事実、今私はこの3人の訝しげな視線を一身に浴びている。それでも私が松田くんにしたように、自宅で平子さんの髪にハサミを入れるのだとしたら。
理解までは求めない。だけど自分の髪を委ねる相手として承知はして貰わなければならない。
「あ、性癖ではないんで一応『フェチっぽい』と言ってみたんですけど。でも触りたい願望はありますよ。平子さんの髪とか」
「ええ!? そ、そうなん?」
本当はこんなこと、いちいち言わない方が都合が良いなんてことは分かっている。だけどこれは、私がどうこう以前に、あの変わり者の店長との約束でもあるのだ。
“勤務外ではただの川村夏希として切れ。それを俺と自分に誓え”
その理由も、そこに込められている意味も、気持ちも、思い出すだけできゅうと胸が締め付けられるくらい分かっている。だから私は、先にこのことを言って了承してくれた人以外の髪をプライベートでは切らない。
「はい。なので、えーと……」
だけど実際、上手く説明出来た試しがない。うーん、言葉って難しい……なので、何だ? 抵抗あるならやめとけ?
――だけど時々、言葉の向こう側の私を見つけてくれる人もいる。
「んあ〜〜〜……よう分からんけど、夏希ちゃんは髪は触りたい。しゃーけど触ってハァハァはせえへん、いうことやろ?」
何か考える素振りを見せていた平子さんは、間の抜けた顔で鼻をほじほじしながらさらりと言った。どうしてなんだろう、このアパートには不思議とそういう人が集まる。
「オマっ……何ちゅう表現してんねん!? この変態ハゲが!」
「ハァハァは無いですけど、うっとりはあるかなぁ……?」
「ちょ!? アンタも何さらっと答えてんねんコラァ!」
「っ!? 〜〜〜っ!?」
猿柿さんに頭をはたかれた。ジャンプしてばしーん。思いっきり。
不意打ちだったでは済ませられないくらい痛い……ジンジンする……。
「まともに聞かんでええねん、こないがしんた、れ゛っ!」
「!?」
思わぬ洗礼に困惑しつつ頭をさすっていると、私のすぐ横で何かゴンッ!と鈍器で殴ったような音が――。
「〜〜〜〜っ!」
「えっ、ええ!? ちょ、え、猿柿さん!?」
見ると、猿柿さんが蹲って両手で頭を押さえている。慌てて彼女に倣って隣にしゃがみこむも、続いて頭上から聞こえた愛川さんの台詞に更に私は大仰天。
「オメーなぁ、流石に初対面の人の頭ドツいちゃいけねえだろ」
「へ!? だって、いい今ゴンって、え、なっ、しょ初対面!?」
初対面とかそういう問題なんですか、と聞きたいのにあわあわしすぎて支離滅裂な言葉しか出て来ない。すると平子さんが犬を撫でるみたいに私の頭をわしゃわしゃしながら言った。
「まー要は夏希ちゃんは『髪の毛むっちゃ好き!』いうことやんな?」
「ああ、俺にもそんな感じに聞こえたな」
「え、あーはい……じゃなくて、ですね!」
「なーんや。俺、夏希ちゃんにハァハァされたかったのぅ〜……って、痛ぁっ!」
突如すくっと立ち上がり、平子さんの脹脛に華麗なローキックを決めた猿柿さん。今日私は、超人(ども)とはその辺に普通? にいる存在である、ということを知った。
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