隣人の素性 6
「じゃ、失礼しま〜す」
いわゆる練習用マネキンを始め、様々なボトルやら器具やらが所狭しと並ぶ作業部屋。私の、どこか「わーい」という感のある嬉々とした声が分かったのだろう。慣れた様子で椅子に座った松田くんは、鏡越しの私に露骨に呆れた視線を投げてきた。
「相変わらずですね」
「あはは、まぁね」
ハーフパンツにTシャツという部屋着にシザーケースを引っ提げた私は、クロスを掛けた姿の彼に笑って返す。その細く柔らかい髪に触れて状態を確かめながらどのくらい切るか尋ねるも、いつも通り彼の答えは「任せます」だった。
基本的に殆ど外出しない彼はセットが要るような下手に動きの出るカットを嫌がる。故に私の役目は、この真ん中分けのストーレートをキープして邪魔にならない長さまで切ること。けれど長さが出てくると、つむじ横の根元がぺしゃんと寝てしまう癖があるので、伸びた時に凹まない調整も施す。
「今、夏希さんを虜にしているのは、隣の平子さんの髪の毛みたいですね」
そう言って松田くんはカッティングウォーターを吹き付けていた私をチラと見遣った。やっぱ分かった? と笑えば、「しかもまだ触ってない」と抑揚の無い声で返される。彼は俗に言うオタクだが非常に頭が良く、人に対する冷静な観察眼もずば抜けている。
「……言ってないんですか? 仕事のこと」
「んー聞かれてないからね。あくまで私が触りたいだけだし」
「はぁ……変わらないですね、そういうとこ。でもやたら見てる方が変態度増しますよ」
……ついでに舌鋒の鋭さも並じゃない。
私は、言うなればただの『髪の毛フェチ』だ――と言っても、性的に興奮する類のものとは違うけれど。
『綺麗な髪ですね、触ってみてもいいですか?』
確かにこんな風にそれとなく聞けばすんなり触らせて貰えそうな気もした。のちのち私の職業が知れたところで「ああそれで」と違和感なく納得もされるだろう。
だけど私は、心底髪に魅せられている自分を別に隠したいわけでもない。かと言って知り会って2回目でいきなりそれを言うのもどうなんだろう……とぐるぐるしていた、というのが本音だ。
「その『好き』に拘るところが変態ですよね。ま、そう言う僕なんて二次元しか無理な変態ですけどね。でも、」
松田くんはそこで一旦言葉を区切り、鏡に映るハサミを持った私をじっと真顔で見てから言った。
「僕はそういう夏希さんが好きですよ。人として、ですけど」
「うん、私も松田くん好きだよ。人として、ね? ふふ」
それから私たちは、床のビニールシートに落ちた彼の髪がモサモサになる頃まで、どこからが変態かについてあれこれ例を出し合いながら変態談義に興じた。
「本来、物差しなんて人の数だけあるはずです。誰しもそれなりに変態です。夏希さんみたいに表立って言う人が少ないだけですよ」
――そう言って、松田くんは話を纏めたけれど。
“だから僕の言う『変態』はあなたを蔑む言葉じゃない”
多分こんな感じのメッセージを込めた、ツンデレな彼特有の言い回しであることを私は知っている。
何だか嬉しくなった私は、調子に乗ってトリートメントもさせてとおねだりをしてみた。サラサラになり過ぎる、と彼が難色を示す代物と知りながら。
するとやっぱり、全くこの人は……と言わんばかりの呆れた眼をされた。
「……平子さんの金髪、本当に凄く綺麗ですよね」
洗面台に設置した簡易シャンプー台の上、タオルに覆われた下から、ぼそりと優しい声が届いた。
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