分岐する朝
――オマエやっぱし、正真正銘のアホやで夏希。
なんぼ飯が美味かろうが自分んこと置いてく男に「ありがとう」はないわ。
何なら胸倉でも掴んで責めたってくれたらええ。何でて。勝手や。ふざけんなやて。
しゃーけどそんなん絶対せんヤツやて分かっとる俺には要らんこと返しで罪悪感かみ締める他ない。お年頃なわけあるかい。オマエの何倍生きてる思てんねん。
「でも……じゃあ、遅かれ早かれこうなったってことだよね」
いつかみたく泣きそな自分を誤魔化しよった夏希は、ちょっとして顔を拭うとどっか納得した風でぼそて零しよった。
今ひとつ意味がわかれへんくて眉寄せたら、すんて鼻鳴らしながら目ぇ合わしてきて「真子は選べなかったんじゃないの?」て続けよる。
「何をや?」
「いや、わかんないけど……真子もケリつける時を自分で決められてたなら、その前に私とこうなろうとは思わなかったんじゃないかなって」
「…………まぁ、そうやろな」
選べてたら、そもそもこの状況がありえへん。そないな思考がよぎって無意識に口が重なってまう。
しゃーけどそんなん知る由もない夏希は、そのタイミングが今じゃなくてもどのみちダメになってたと思うやら、すげない調子でのたまいよる。
スマンばっかしの自分にいつか俺は疲れてまうやろうし、自分もきっと、もどかしい何かに耐えられんようなると。
ローテーブル一個分、正面でよかったわ。
そん腕を掴みたなる衝動も、どうにか抑えられる。そんなんやから何年もしょうもない手紙溜め込むことなんねんて。そないなとこばっかし聡いとこがオマエはアホやねんて。かき抱いて口走りそな自分も、ギリ押し込められる。
辛気臭くもない。空元気装ってアホっぽく笑うでもない。ただじっと、別れの瀬戸際に立とうとしとる夏希に何やわからん悶々としたモンを抱えたまま、夜だけが更けて行きよった。
しゃーけど得体の知れへんその正体は、深夜、思わん形で浮き彫りになった。
ほな寝よかーなった俺らはどちらともなしにベッドん中で手ぇだけ繋ぐなんちゅう、今日び中学生もびっくりちゃうかいう状態に収まって。
互いに仰向けのまんま、明日しょっぱな何時の予約やねんやら、ほんま何でもない会話をしててんけど。
何やかんやでやっぱし夏希が先にウトウトし出しよって。普通に寝てくれそな様子に内心ホッとした俺も、今日ぐらい寝とくか思て目ぇ瞑ってん。
そっから30分程度経った頃やったか。いきなし左手がグンて持ってかれた気配にバチー目ぇ開けたら、夏希が俺に背ぇ向けて横向きなっとったやんか。
何や寝返りか? 思て、ほんのちょびっと上体浮かして見えたモンに、俺は絶句するしかなかった。
「……っ、しゃーからおかしいやろ、なぁ」
寝返りは寝返りやねんけども。
俺とつないだまんまの手ぇ、もう片っぽも重ねて胸元で大事そに握り込んでるやんか。でもって流石は旦那や。キスケまでそんすぐ傍で丸まっとる。
ちゅーか何やねんそれ。何で今日に限ってそんなんすんねん。ほんのさっきまで、何や軽く腹括ったよな素振りかて見せとったやないかい。
――そんなんされて、俺はどないしてこの手を離したらええねん。
「……ほんっまハラ立つ」
ほんまのこと言うたら昼間はちょっぴしウルっときただけやってんぞ。せやのにどないしてくれんねん。オマエの所為で今度こそマジ泣きしそうやっちゅーねん。
アカン洒落んならん思うた俺は、そおっと夏希の指から抜け出て、何や物言いたげな上目で俺ん動向探っとるキスケをちらて見遣りながら寝室を出た。
「おー、すまんけどちょお付き合うてくれへんか」
「構わないっスけど、こんな時間に一体どこへ?」
「いやちゃうて。これやこれ、でーんーわー」
「ええっ、アタシとお話したいんスかァ!?」
「……オマエやなくてもええねんけどな」
寒い右手に耐えられんようなって逃げ出した、とか口が裂けても言えたもんやない。しゃーから「明日そっち移るで」とだけ言うたものの、いっぺんに理解しよった喜助からは「酔えないんスか」なんちゅうドンピシャをあっさり頂戴してまう始末。
すっかり殺風景なった部屋でひとり、預けとった壁から背中剥がした俺は観念して息を吐いた。
「……ま、サッパリやな」
「そっスよねぇ……」
「きっついな、やっぱし」
「泣かれちゃいました?」
「まぁ、そらなぁ」
「……そっスよねぇ」
喜助のユルい相づち聞きつつ、何となしに足元の空き缶で自分んこと囲って『朝までこっから出えへん』やら、ガキくさいルールを打ち立ててみる。
そんなんでもせえへんことには、ほんまに色々間違えてまいそうやった。
「ごふっ! 〜〜〜っ!」
そんなこんなでロクに寝れもせんまま、夏希のアラームが鳴りよる少し前にアイツんとこに戻った俺。
微妙に酒の残ったぼーっとする頭で洗面所行って歯ぁ磨いとったら、何やいきなしバターンいうでっかい音がしよったやんか。
ぎょっとした拍子に頬の内っかわに歯ブラシ激突さしてまった俺は大悶絶。そんなんしとる間にも、リビングの方からはバタバタ足音らしきがしよる。
何やねん騒々しい思うた瞬間、ガチャ! 鳴ってすぐそこのレバーが下がった。
「……」
「……」
「……黙っひぇ出ひぇったり、せえひぇんて」
「そう、だよね。ごめん……」
言いながらも緊迫を消されへん表情の夏希は、左手を額にやってふーて息なんか吐きよる。
しゃーけど歯ブラシ咥えたままじっと見とる俺ん視線に気ぃ付くと、ふっと目ぇ逸らして「コーヒー落としてくる」言うて逃げるよに出て行きよった。
「……くそっ」
――起きるまで隣おったればよかったか。
無意識に思うてた自分にイラッときた俺は、ばばっと口ゆすいだ手でそのままザブザブ顔を洗うた。何にもならん。そんなんしても俺と夏希はもう、何にもなられへんねん。
言い聞かすよに鏡ん中の自分んこと睨みつけてから、何かを消すみたくタオルでゴシゴシ顔面こすったった。
そっからはただ、朝の風景があった。
ソファで一服しとった夏希が俺と入れ替わりでシャワーへ。ドライヤーの音に紛れて控えめに届きよる洗濯機の音。コーヒーの匂い。天気を告げよるお姉チャンの声。
キスケとじゃれながら、あるかそんなもん言いたなるラッキーアイテムを鼻で笑う。
ちぃとばかし早めに着替えと化粧を終えよった夏希が、これまで俺ん仕事やった洗濯モン干しこなしよる姿を見届けて、マグふたつにコーヒーを注入。
カラカラてバルコニーから戻ってきよるタイミングでカウンターに置いたれば「ありがとう」言われて「おー」て返す。日頃からこんなもんやった。朝の俺らは。
「じゃー行くね」
「おー、気ぃつけてな」
「ふふ、真子こそ」
「はっ、アホか」
いつも通り先に出勤しよる夏希が鞄を肩に、リビングから玄関へ向う。そん後に続きつつ普通に軽口叩いててんけど、ミュールん手前でピタて止まりよると、前向いたまんまの夏希が「真子」て小っさく呼びよった。
ほんで、くるって首だけで振り返りよって――
「ちゃんと好きだったよ、私も」
めちゃくちゃ自然な笑顔で、そんなん言いよった。
「しんっ――」
ぐっ、て背中がたわんだ感覚がしたんは、ほんの一瞬。
壁を背に見開かれた目。小っこい頭挟み込んでかぶりついた唇。硬直しよった肩。
瞬間すーっと消えよったモヤモヤ。ああ邪魔やったんや。この距離が。隙間が。
しかめられた眉。頼りなく掴まれた二の腕。それらを合図に離したった夏希の口から、はっ、はっ、て乱れ出た息が、熱い。
「っ、はっ……もう、ほんっと真子って」
“バカだよね”
呆れたよに笑いよった夏希の目尻からぽろぽろって涙が零れる。せやな、また泣かしてもうたもんな。初めて言われたっちゅーんに何にも反論出来へんわ。
オマエの必死の覚悟かて台無しにしてまったかもわからん、わからんけど。
――でもな。
「……バカで結構や」
言うてもっぺんちゅっとしたれば観念したよに腰に回った手。勢い任せに掴んでまった頭ひと撫でしたってから、首の裏っかわからやさしく抱き寄せて。
「それじゃあね」
「おう、ほなな」
最後にちゃんとキスをした俺と夏希は笑顔で別れた。
見送った扉ん前には、あんなんして俺を探してまう夏希の明日が来えへんよう祈りながら「ごめんな」てつぶやく俺がいた。
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