秒針の進む先 9
「……何や、おらんのかい」
翌日。応答せえへんインターホンの前で、俺は残念と安堵がない交ぜなった気分でひとりゴチとった。何ちゅーか、肩透かし的な消化不良。
後で出直すか迷うものの、留守が確定した今となっちゃ尻込みの側へギューン針が振れてまう。平日の真昼間、耳につくツクツクボウシの鳴き声が妙に俺を煽りよる。
「ったく……パックリさしとったらええっちゅーもんやないねんぞ、アホ」
悶々としとる自分に大概ウンザリなった俺は、しょうもない難癖つけながら持ってた手提げゴーン! ドアノブにかけたった。会っときたいけど会いたない、なんちゅーどこの乙女や言いたなる躊躇を男に抱くとか前代未聞や気色悪い。
そもそも、会うたとこで何がスッキリするちゅー話でもない。
“何らかであそこを出る時は――”
本意やない言うても結果は結果や。ただ、少なくとも俺んとってはすることに意味のある約束やったて感謝もしとる。しゃーから「結局置き去りかい」いう目でがっつりねめつけられる覚悟かてしててんけどな。
「何やかんやおもろかったで。焼肉に雪の帰り道、花見もなぁ」
向けた背中にボソて零してから、上へ続く階段の前で深呼吸ひとつ。すっと目線上げた俺は、そっからざくざく一段飛ばしを始めた。
配達の要領で更にふたつばかし手提げ減らして3階。まーおらんやろ思いつつ、さっきとは別の緊張をゴクて飲み下す。とりゃっとピンポン押したって数十秒。念の為ドアに耳当てて足音も確認――おし、確定やな。
すんなり胸撫で下ろしとる自分に軽く笑けてたら背中にふと蘇りよった重量感覚。呼び起こされたいくつかの記憶が昨夜とシンクロしよる。
あの後の夏希は完全パワー切れ。やるべきをやり切った言わんばかしに飯食うてる傍から徐々に瞼が降りてきよって、果ては口のもぐもぐすらスロー再生なる始末。
オマエは子供かいう呆れたフリで「どっちかにしぃやーなっちゃん」言うたれば、ハッ! なって慌てて「ごめん食べます!」言うて。ゴシゴシ目ぇこすってはデコをペチペチ叩きよったりと、思い通り機能せえへん自分がとにかくもどかしそうやった。
“……どんだけ根詰めてんねん、アホ”
しゃーけど限界は限界。
飯こそ食い終えたものの、食後の一服する間もなく落ちよった夏希を、俺は何ややり切れへん思いで寝室に運んだった。
ベッドん縁から腫れてもうた瞼なぞっては喉元でもがくよに燻りよる『すまん』のひと言。代わりに落としたった精一杯の悪態。大丈夫やないけど頑張る言うたアイツにはもう、掛けたらアカン言葉な気ぃした。
“……何でこんな、無駄にしてんだろ”
夏希が目ぇ覚ましたんは外が白み始めよった明け方。隣でムクてした気配に次いでポツて落とされた声。ゴロ寝しとった俺ん方をすっと振り返ると、起こした思たんか「あ、ごめん」。早朝の逆光が斜めに影を落としよる中、どっか物憂いそん顔がやけに綺麗やった。
限界やってんとか、オマエは白玉人間ちゃう言うたやろ、とか。言うたれる資格もあれへん俺はじっと夏希を抱き込みながら、何や癪やけど、ひよ里んアホにあやかるよに自分ん中に誓いを詰めたった。
――兄妹揃ってゴメンナサイ言うまでは、何があっても死なれへん。
眼鏡の目的も、黒崎一護がどんだけのモンかも知らんけど、やれることは何でもやったる。しゃーけど『刺し違えても』なんちゅうアホらしい意気込みは微塵もない。そこまで身軽んなって挑んだる値打ちなんかあってたまるかいっちゅー話や。俺らに心残りは、あればあるだけええはずやんな。
「すんませんけど、頼んます」
願掛け気分半分でノブに掛けたった手提げ。言うほど心配なんかしてへんけど、読んで字の如く有無を言わさんこの人んパワーはとにかく頼もしい。何や知らんけど、俺かて太刀打ちならんしな。
「……こんにちは! 平子サン!」
「おー、何や久しぶりやなぁ」
「ハイ! お待ちしてたね!」
「ハハ、いつもおおきにな」
4階では思った通りのニコニコ顔が俺を迎えてくれはった。商売癖みたぁな台詞も、こん人が言うとほんまいつ訪ねても歓迎してくれとる感じがして気持ちがええ。……しゃーけど、気の所為か? 何や俺ん顔見るなり一瞬だけショボンて眉下げはったような。
まーええか思て「実はな」て切り出してんけど、まんま笑顔でうんうん頷いて中へと促しよる張サン。時間がないちゅーわけやないけど、玄関先で退散予定やった俺としては何や変に気まずい気分なってまう。
「あー……すまんけどなぁ、今日はちゃうねん」
「ハイ。だから私聴いて欲しい曲あります」
「んあ?」
だから? だからて何やねん。
思わず眉よせてまった俺にゴニョてひと言、中国語で何事かを言うて張サンは俺ん肩ポンしはった。何や分かれへんけど、せっかくやし聴かして貰おか。思い直した俺ん言葉で更にニッコニコなって頷きよる。こん笑顔に弱いねんよなぁ、俺。
何やかんや敵わん人ばっかしやで。内心で笑うてまいながら張サンちのリビングにお邪魔した俺は、いつも通り座卓近くの丸っこい座布団に腰を落ち着ける。焚き染められた香の所為かも分からんけど、いつ来ても妙に安らぐ空間やわ。
「私、歌は得意ちがいます。平子サン笑っちゃダメね」
「おっ、何や今日は歌うてくれるんか」
茶杯を俺ん前に置きながら照れ隠しみたくニッとしよる張サン。俺んこと楽しませるよに耳慣れた最近の曲をアレンジして弾いてくれはったり、逆にアコギで弾いてもおもろそな本場の曲を教えて貰うたり。そないな感じで遊び来とった俺やけど、歌まで聴かして貰うんはほんまに初。
何ちゅう曲なん? 聞いた俺に返ってきよったんはさっきの中国語。ほー曲のタイトルやってんか、なんか思とったら――
「中国で有名、古い送別の歌ね」
「……!」
固まってもうた俺ん意識が隣に置いた粗品の手提げに向く。俺はまだ、確かに何も言うてない。この十数分を辿って動揺しかけたとこ、夏希が昨日マッサージ頼みに来よったいう話を告げられた。
顔色のすぐれんかったアイツ見て、夏の疲れが出たんか思うたらしい張サンは、今度また皆なで焼肉行きましょーいう話を振ったんやとか。
“しし唐は私と平子サンで半分こね!”
“ふふ、松田くんに聞いたんだ? でも、真子は行けないかもな”
“平子サンお肉ダメですか?”
“……真子、近々引っ越すかもしれない”
昨日、数時間後に俺に宣告されるやろうことを、ここで夏希が正確に口にしとった事実に鳩尾辺りがぎゅってなる。遠くに? いう張サンの問いに「どうかなぁ」言うて笑うたらしい、その心情にも。
やるせない思いに駆られてまった俺ん胸中を知ってか知らずか、部屋ん隅の古琴へゆっくり向かはる張サン。掛かっとる布を外しながら、旅立つ友達に向けた惜別と道中の無事を願う歌なんやて説明しよる。
「いつか行きましょね、焼肉」
「……ふっ、おう、行こな」
やっぱし照れくさいんやろな。口元にげんこ当ててンッンー咳払いして見せよる微笑ましいオッサンの姿に思わず笑うてまう。
俺ん返答に満足そににっこりしはると、すっと添えられた無骨な指が弦の上をしなやかに滑り出しよった。柔らかくも厳かな音に、張サンの歌声が静かに乗っかって行きよる。
何やろな、確かに上手くはない。
低い伸びのないダミ声かて決して綺麗やない。しゃーけど何とも言われへん情感にやったら胸を突かれてしゃあない。歌詞の意味なんかロクに分かれへんのに、そこに篭っとる哀愁やら何やらがダイレクトに響いてきよって何や堪らん気分になってまう。
「……、っ」
わかっててんのにな。何もかんも、初めから。
しみじみとした温かさもあるそれが、ここに来て俺ん中のどっかをそそのかしよって瞼ん裏っかわが熱なってくる。せや、ほんまに淋しいのは夏希と別れることでも、ここを出てくことでもない。
――夏希と、夏希の世界におる人らに忘れられてまうことや。
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