秒針の進む先 8
ハサミを手にスッと顔つき変えた途端、さっきのフリごと無効化しよる勢いで夏希は完全に無言なりよった。本気も本気、視線のひとつも捕まえられへん集中っぷりや。
激変遂げたキャサリンとそれ手掛けよった本人。鏡ん中のそんふたつに、つきん、て胸が痛みよる。ここでひとり何を思いながらあの子ん毛切りよったんか。そない時間を与えてもうたことにすら気ぃ付いてへんかった俺に、この餞別は上物すぎる。
コームが通りよる感触。襟元に添う手の気配。耳に心地ええ軽快なハサミの音。いつから「こんくらい?」言うて確認せんようなったんか。いつから、こないに感覚で動作を追えるようなったんか。
――そんなん、意識する必要もなかったわ。
“だって、他に何もない”
何もないことないやろアホ。俺がオマエっちゅー存在にどんだけ救われてきた思てんねん。ほんま言うたら俺かてまだ、オマエとしたいこと、作ったりたい飯、どうでもええ話かてしてたいわ。
勝手に内で膨らんでいきよるアレコレを、小っさな息と一緒に外へ逃がす。
泣かして。かっこよく強がったりなんか出来んいう気持ちのまま、要らん準備までさしててんや。ここに来てそこまで言い募る口は俺にはない。
“……言うかなぁ、そういうこと”
ほんま、自分でもトコトン勝手や思う。思うけど今更やねん。
何が正しい・何が一番ええやらゴチャゴチャ考えたりしたもんやけど、そない虫のええ答えあるはずもない。そらそうや、そもそもからさっくり間違うてんねやから。夏希の為に選ばなアカンかった選択肢を、俺はとうに捨ててもうてる。
そないな俺が、最後の最後に用意したよな借りモンの言葉投げつけたかて何のケジメにもならん。見え透いた茶番に夏希を付き合わして「これで良かったんや」なんちゅう独り善がりに浸る趣味も俺にはない。とっとと消えたる方がマシっちゅー話や。そうすることかて出来んねやから。
――しゃーけどさっきの泣き笑いは、流石に堪えた。
「……んお、悪い」
苦い気分にもっぺんハマりかけたとこ、ふっとこめかみに指添えられてちょびっとだけ視点が上がった。何や知らん間にうつむきすぎとったらしい。
「ごめん、もうちょいだから」言う夏希は、残る3分の1程度の立ち位置で面目なさそに微笑みよる。相変わらず仕事速いわ。
アッサリ再開されたハサミの音。正面の自分ん顔見ながら前向かされとる場合か思て内心苦笑いや。正直まだ、後ろ髪引かれまくりやけど、そないヤワさも髪と一緒にコイツの手で削ぎ落とされんねやったら本望やわ。
しゃーから最後まで間違うたまま、夏希を好きで、何も諦める気のない身勝手な俺のまま俺はここを出てく。こっから進む先の、更にそん先を掴み取る為に。
「……ん、やばい完璧! きれい!」
「ぶはっ、出よったな自我自賛」
「いやいやだってこれ見とくれよ、お客さん!」
「いや何キャラやねん」
自分の仕事に大満足で浮かれよる夏希のアホに、何や変なヤツいてんでビーム飛ばしたりつつ背もたれに向うて座り直す。合わせ鏡で映したった俺ん髪は、気持ち短め言うた長さもイメージ通り。ラインに至っては言うまでもないねんけど……。
「んあー……『いつも通り完璧』ちゃうんか?」
「あはは。例によって私にとっては、だけど」
「ほんーまその辺は分からんなぁ。しゃーけどオマエが言うならそうなんやろな。おおきに」
思うまま言うたれば、夏希は俺には分からん喜び滲ませたまんま「こちらこそ、おおきにです」やら言うてペコてお辞儀なんかしよった。
この一年、簡単な用語や知識なら勝手に覚えてまう距離で夏希の生活を見てきた俺やってんけど、どうあっても理解の及ばん領域っちゅーヤツは当然ある。
「相変わらず、CMにでも出れそうだね」
俺ん髪を手の甲で滑らせながらそんなん言いよる夏希。チロて見上げたれば、案の定しっかりヤバイ顔さらしとる。ほんまのとこ、髪の何がコイツをここまでさせんのかも未だ俺にはよう分かれへん。
「オマエなぁ……コントでもなし、ファサッやって振り返った顔が男やったらゾッとするやろが」
「そうかなぁ、斬新じゃない? 世界が嫉妬する男」
「ちょお待て髪どこやった。さらっとハードル上げすぎやろ」
ただ、夏希にとってどんだけの原動力なんかは分かる。
積み上げてきたモンが違う。見てきた世界が違う。オマケに存在そのモンまで違うときたら、ほんまは何が分かるやら分からんやら言える次元やないはずやねんけども。姿形は同し。言葉も通じる。理解は出来んくても、手に取るよに分かってまうモンかてあんのは何でやろな。
「だけどそう考えると、この髪を日常的に独り占めとかほんと勿体ないくらい贅沢だったなー」
何でもない口調で言うて床を片しに屈みよった夏希。そん腰では俺ん髪を切り落としたウン万もしよるハサミが、そこにおんのが当然ちゅー澄まし顔でひんやりした銀色を放っとる。
勿体ない、なぁ……。
「胸張りや、夏希」
「え?」
「俺ん髪をいっちゃん好きで、いっちゃん大事に出来て、完璧に切れんのは誰や。オマエちゃうんか」
「……っ」
斜め45度下。きゅって結ばれた口、寄った眉。シートに両手ついたまま振り返りよった夏希が、驚愕に抗議を混ぜ込んだよな目で俺んこと見上げてきよる。分かっとる。自分にそれ言わせんのか言いたいんやろ?
「何や、それとも俺ん思い込みか?」
「……」
「俺は誇らしかってんけどなぁ、オマエに独り占めされて」
苦手やった言いながらパッパ巻いてみせよるロット。何体切ったか覚えとらんいう生首。店に立たれへんくてなっても触んのを止めへんかった手。
何や言われるコイツにかて近道があったわけやない。積んで積んで積んで、今も積み上げ続けとる。
いっぱしの美容師サンにして、ほんまもんの髪バカ。そん手に愛でられてこそ光るモンかてあるっちゅーことを、オマエはもっと知った方がええ。
少なくとも俺は、自分の髪が『選ばれた特別なモン』に思えるだけの扱いして貰た思うてんねんで。
「……そっか、胸張らないとか」
困惑を露にジっと俺んこと見つめとった夏希が、どっか観念した様子でふっと表情を緩めよった。ちぃとばかし力ないけど、何を言われたかは理解した顔や。俺はそない夏希の頭にポンてひとつ手ぇ乗せる。
せや、それでええ。
オマエは何の気後れもせんと、もっともっと髪を好きんなって、俺と似たよな気分を色んな人に味わわしたればええ。そしたらオマエも色んな髪に触れてええこと尽くしやで。ただ、くれぐれもハァハァ方向にだけはハンドル切ってまわんよう願うわ。……何や行くとこまで行ってまいそうやし。
「明日の夜、オマエ何か食いたいモンあるか? 冷蔵庫事情なしに好きなモン作ったんで」
「え、明日そんな時間ある?」
「んあぁ、荷造りやったら半日もあれば充分や。オマエが仕事終わる前に買いモンまで済ましとく」
唐突な俺んそれに、夏希は素直に「う〜ん」言いながらシートに向き直って手ぇ動かし始めよった。最後の晩餐なんちゅー重たさは要らんやろうけど、そんぐらいの礼はしても罰は当たらんと思う。
すっかり馴染んでもうた作業部屋ぐるっと見回しながら、まー考えといてくれや言いかけたとこ、あ、いう何や思いつきよった声で視線を戻す。
「じゃあ、ひつまぶし」
「え、オイそんなんでええのんか?」
「うん。ちゃんとスタミナつけて頑張る」
片す手も止めんと淡々と言うた夏希。『しんみりお断り』を掲げた小っさな背中。そこに降り積もりよった孤独が見えて、思わず俺は唇を噛んだ。
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