秒針の進む先 6
――夏のスピードてこないに速いもんやったか。
何や知らんけど今年、吃驚するぐらい早かった気ぃする。途方に暮れるよに待つか、右往左往しながら待つかの差。結局、何を急いだわけでもないのにな。
約束の時間まで30分。夕方の屋上でひとり微妙に秋めいた風が運びよる雲を追いながら、次はどこにしよかーやら暢気に言うてた一年前が嘘みたいや思う。いや、そっからの一年のが嘘みたいや言うべきか。短いなんか思たら罰が当たりそなぐらい。
……しゃーけど、淋しいもんやな。
なんぼ覚悟があってもそん時なってみいひんことには分からんこともあんねやろな、とは思うててん。それが数年後でも、今日やっても。何やろな、実際んとこ言うほど悲しいやらツライやらはない。ただ、ひたすら淋しい。
思えば何やかんや言うてきたもんやけど、不満っちゅー不満はなかった。たかだか一年ぽっちの付き合いやからか、相手が夏希やからか。
ずきゅーんなってグワーはまったいうわけでもない。中にオッサン入ってんちゃうか思う時かてある。しゃーけど何や変なとこ可愛い、おもろい女。
とにかくラクやった。ラクな分、むつかしい女やった。
アッサリ流し上手。オマケに押し付けなんかこれっぽっちもないからな。髪と食いモン以外に何で喜びよって、何で笑いよんのか。どないに支えたればええのんか。模索も大変っちゅー話やで。
しゃーけど「何で怒ってん」とか、マイナス方面に悩まされた記憶は殆どない。今以上アイツに求めるモンも何もない。
せやのに、何で俺はここを出てくんやろな。何でオマエのお隣サンやめる方、選ぶんやろな――て。あんまし淋しなって、そないな疑問かて湧いてまうねんけども。
“今回は使わなくてもいいと思ってマス”
せやっても動かさなアカン時計は、一個しかない。
ハッチの手前「考える」言うたものの、本気でそないな気持ちに甘えてまう頭は俺にはなかった。存在ごと消える。ずっと意識しとったことや。
現世暮らし100周年のご褒美なら釣りでも払わなアカンとこやけど、乗っかったんは俺や。後悔は、ないけどな。
しゃーから使うんはきっちり終いにしたった後。始まりも、終わりも、全部が俺だけのモンになろうとケジメはケジメや。アイツをがっつり傷つける痛みと一緒に、答え探しの必要なんか欠片も残さんと、何もかんも丸っと俺が持ってったる。そないなつもりやった。
――あくまでも『つもり』やった。
見慣れたドアん前。フーて息吐いてからたこ焼きスパイダーマンを取り出す。せめてハダカに逆戻りせんよう、そこだけ上手いこと記憶改竄できひんもんやろか。ぼやっとよぎったものの、まぁたひよ里に小姑言われそやな思てちょっと笑けた。
「帰ったでー」
玄関のサンダルやらミュールにぎゅってなった胸に気ぃ付かんフリで進んだ廊下先、いつも通り開けたったリビングに夏希の姿はない。
夢中パターンか思て作業部屋コンコンてノックしたれば、1コンマ空けて「お帰りー」て返ってきよった。
「何や、昨日の夜手入れせえへんかったんか?」
「いや、練習で使ったからもう1回しとこうかと思って」
俺が扉開けたら、夏希は椅子に座って集中モードでハサミの手入れをしとった。「ごめんすぐ終わる」言いつつも手元に向いとるそん顔は鏡越しにもよう見えん。実際何べんも見てきた光景やねんけど、ほんま熱心や思う。
「コーヒー淹れとくからゆっくりやり。……先にちょっと、話あんねん」
言うた途端、セーム革動かしとったそん指がピタて止まりよった。
結果が同しやっても切って貰うてからは反則か思て意を決してんやけど、当の夏希は顔も上げんとノーリアクション。聞こえたやんな?
「夏希……?」
「……それ、さぁ」
「――っ!」
「聞かなきゃダメ……っ、かなぁ?」
――アカン。これは、アカン。
俺ん呼びかけに遅れて上がった顔。吐息と一緒に、静かに、切れ切れ言いながらこっち向いた首。そのままゆっくり顎を持ち上げて俺と目ぇ合わした夏希は、困ったよに眉下げてヘラて笑いよった。
瞬間、目尻からぼろぼろって零れよった涙。脳天どつかれたよに頭真っ白なった。
「……とか言っちゃーダメだよね、ごめん」
そないに言うて、また笑うて。視線落としよる夏希を眼球に貼っ付けたまま俺は文字通り呼吸も忘れて固まってもうとった。
義骸の側に動かされるみたく漏れ出よった、はっ、いう短い息。軽く身震いするよな感覚と一緒に苦い苦い何かが、俺ん中に広がっていきよる。何してん。ほんま、何してんねや俺は。
「何で」とか、「いつから」とか今さら浮かんできよる疑問。せやっても声ひとつかけられんと入り口で立ち尽くす俺に、夏希はひたすら「ごめん」て繰り返しよる。
「ごめん、わかってるんだ。色々わかんないけど、わかってる。わかってるんだけど――」
自分自身と格闘するみたく額に手ぇやって、笑いながら泣きよる夏希。無理しとるわけやない、寧ろ笑うしかないいうそん姿を前に衝動的に色んなモンがひっくりかえってまいそうんなる。
「ごめんちゃんと聞くから、だから……お願い行ってて」
どないして気ぃ付かせてもうたかは分かれへん。ただ必死に分かろうと、受け止めようとしとる夏希の声で全身を強張らして踏み止まった俺は、首を下に折ってやっとの思いでこんひと言を捻り出した。
「…………すまん」
パタン後ろ手に閉めたドア。内から届きよる吐息と紛うよな微かな嗚咽。その場にへたり込むよに屈んだ俺は、どうしょうもない強烈なやり切れなさに頭抱えるしかなかった。
見んとけば良かった。
ほんま、アホらしいほど形ばかりの覚悟やった。あんなんさしてまうぐらいなら何も言わんと消えてまえば良かった。ケジメも何もどうでもええ勢いで痛烈に思う。
身ぃ裂けそな痛みに耐えながら、俺は餞別に貰うたコーヒーが入っとる袋を手が真っ白なるほど強く掴んどった。
ちょっとしてソロソロて出てきよった夏希は「顔洗ってくる」言うて洗面所直行。それからいつも通り、俺が淹れたコーヒーをカウンター越しに「ありがとう」て受け取りよった。落ち着いた表情ん中、ほんのちょびっと膨らんでもうた瞼がかなしい。
「……いつから気ぃ付いててん」
揃ってソファに腰落ち着けたとこ聞いたれば、何や思案するよに眉を寄せてテーブルの煙草に手ぇ伸ばしよる夏希。妙に穏やかなそん雰囲気は、見ようによっちゃ諦めの翳りが滲んでる風でもあった。
「一昨日、ひよ里ちゃん来たよ」
「ひよ里が?」
俺の質問をどないに捉えよったんか、唐突に言うた夏希が開け口の反対っかわポンポンして出しよった煙草を咥える。そない何でもない仕草を定位置の隣から目で追うとると、ゆっくり、フーてひと口目ぇ吐き終えた唇が続きを音にしよった。
「散々こっちのダメ出しして、『アンタなんかと誰が食うかボケ!』って、弁当投げつけて帰ってった」
「……は? 何やそれ」
「でも結局、『嫌いになったからもう会わない』とは言ってくれないし。参ったよ、ほんと」
アイツ……。
そないに言うて淋しげな苦笑を漏らしよる夏希の横で、こないなことまで先越されとる自分に内心ガックシきてまう。
しゃーけどちゃうねんで、夏希。オマエには分かりようもない思うけど、ひよ里は嫌いなんちゅー言葉でオマエと決別したかったワケやない。
「……夏希。悪いけど俺、真似っこさして貰うで」
「真似っこ……?」
こんなん知ったらオマエ、しょーもないアホやて呆れ返るやろな。実際しょーもないねん。アホやねん。オマエも、自分ことも傷つけよって。伝わるはずもないのにな。
「俺も、ケリついたら聞いて欲しいことあんねん」
せやっても『思い残すこと』が必要やってん。
アイツ多分、オマエと仲直りするために喧嘩売りに来てんやんか。そないして自分で作っとかんことには、戻る場所もないから。
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