交錯する思い 4
リサちゃんを送ってきた真子がシャワーを浴びている間、私はテーブルの上の諸々を片しながら楽しかった彼女との時間に思いを馳せていた。
しかしながらグラドルとは奥が深いものだなと改めて思う。日頃 雑誌などで目にしているファッションモデルとは違い、瑞々しく肉感的な美しさに視点を置いた、表情、ポーズ、メイク。
コレは魅せ方が上手いだけやろ、など、リサちゃんの鋭い指摘を経て私が選び抜いた1人は、でもやっぱり彼女の好みとは合わないようだった。
が、ならば真子が好きそうな子は? てな話から選んだ1人は面白いくらいにピッタリ意見が合い、尚且つそれが私とはまるで系統の違う女の子だった事実には2人して大笑いだった。
「何や、ニヤニヤしよって」
「うわあっ!?」
ぼんやり流しで空き缶をゆすいでいたら、突如耳元に落とされた鼓膜をまさぐるような吐息混じりの低音。反射的にびくりと肩が震え、取り落としたひとつがカランカランと音を立ててゴミ受けにダイブ。
「どないやねん、そのリアクション。痴漢か俺は」
「……真子、重い。てか暑い」
「おー、そら俺がひっついとるからやなー」
湯上りの火照った体が、ずし、と背後からのしかかり、最近めっきり嗅ぎ慣れたメントンの香りに包まれる。そんな現状説明は求めてない、と横目で訴えるも、当の本人は素知らぬ顔。
「かーっ! しっかしこのスースー具合、ほんまたまらんなー」
最後の一缶の水を切る私を抱え込んだまま、背後でぶんぶん頭を振っている様子。匂いがオッサンくさないんもええよなーと嬉しそうに続いたそのひと言に、思わずちょっと吹き出してしまう。
「でも、かーっ! 言っちゃうんだ」
「やかまし。ほなどう言えっちゅーねん」
「くーっ! とか?」
「アホか、誤差やそんなもん」
肩口で悪態を零して私を解放、手拭き用のタオルを渡してくれた。次いでバスタオルを引っ掛けた姿で、冷蔵庫から麦茶のジャグを取り出す真子。それを見た私は食器棚の扉を開く。
グラスふたつに氷が投入され、夏やなーあ、という声と共に下から引き上げるような動作でもってジョボボボと注がれる。真夜中のキッチンにからころと、耳心地の良い音が響く。
「ふふ、ご機嫌だね」
「なに言うてんねん、月曜ん夜やで?」
雑談ながらにソファへ移動した私たちは、カウンターに残したグラスを手に取って向き直る。この造りを活かして時々やる小料理屋さんごっこも中々に楽しい。
「そういやアイツ、何や知らんけど夏希の人生はおもろそうやら言うとったで」
「は? そんなスケールの話して……あー、親のことかな」
日曜の車の話になってさ、と付け足すと、的を射たらしい真子は、あーなるほどな、と言いながらテーブルの上の煙草に手を伸ばした。
にしても、たかだか四半世紀ちょっとしか生きていない段階で、『人生』は大袈裟のような……。
「おもろい家らしいやん、やら言われたか?」
「あー、あはは、うん」
恐らくひよ里ちゃんにでも聞いたのだろう。真子ほど詳しく話してはないが、これまでの色々から彼女もうちの両親が別居基本の事実婚であることは知っている。
「……でもほんと言うとさ、うちの変わってる度合いを外側からきちんと実感できたのって、ほんの数年前なんだよね」
「あーアレか? 例のキャップ小僧が差し金ん記事」
実際それまでの私は、自分の家は人の家とちょっと違う、という程度の認識しかしていなかった。両親の配慮で学校などは弟も同じ名字で通っていたし、特にいじめられたことも無い。それらしい夫婦喧嘩も殆ど見たことが無く、特別さみしい思いをした記憶も無い。
故に、さも意味ありげに『複雑な家庭環境』と打ち出しての散々な書かれようには一体どこの家の記事なのかと唖然としたものだ。
「うちってそないに普通やないんやー! て?」
「あはは、うんそんな感じ」
芝居がかった衝撃の声を上げ、ニヤリと目配せをしてくる真子。それに笑って頷くと、何やオマエらしいな、とえらく愉快そうに笑われた。半乾きの金色がぱらぱらと揺れている。
「まーほんまは『普通の家』なんかどこにも無いねんけどな。せやってもオトンとオカンには感謝せなアカン思うで」
「あー……似たようなこと、前に言われた」
あん時も怒ったり泣いたり忙しかったよなぁ、と蘇った記憶に苦笑が漏れる。すかさず「んあぁ、店長サンか?」と聞いてきたその顔に、私はゆるりと首を振った。
「ほな松田か?」
「いや」
「張サン」
「ううん」
「斉藤サン」
「違う」
「……」
「……」
「何や浮気か!」
……引けなくなったついでに言ってみただけだろ、それ。
がっつり呆れを込めてじろりと見遣る。いやノリやノリと即座にたじろいで見せた真子は、私の視線から逃げるように物言わぬ小さな家族に告げ口する。
「見てみぃキスケ、オマエの主人メンチビーム使てきたで? ガラ悪いなぁ〜」
ド金パが何を言うか。
心でツッコミつつ、真子が想像し得る選択肢にはいないその人について話そうか、私は少しだけ逡巡した。だけど結局、まぁいっか、といつもの思考に落ち着く。
知られて困ることなど何も無いし、実際話したところで何が変わるでもない。だけど何となく日常から分断しておきたい。私にとってあの店は、そういう場所だった。
――ドアをくぐったその瞬間から、誰もが誰でもなくなるような。
「三千世界の鴉を殺し、かァ……」
「はい?」
「……なぁ、俺明日も休みと違うたか?」
随分と情熱的な都々逸が飛び出したなと思ってその顔を見れば「むっちゃだるだるやねん」と言わんばかりの恨めしげなジト目と視線が絡み、思わず笑ってしまう。
「う〜ん、残念ながら初耳です」
「せやな、俺もや」
言うなり、ハァ〜〜〜と長々溜め息を吐いて灰皿に煙草を押し付けた真子は、観念したように、歯ぁ磨いてくるわ、と零してのっそり立ち上がった。
何もかもが回り続ける日常。共に過ごす時間や場所はいつだって限られていて、けれどそんな生活を選んでいるのは紛れもなく自分たちで。
互いに今とは違う顔をしている時間の方が遥かに多い日々の中、真子の事情を差し引いたところで、知り得ることなど、その実さして変わりないのかもしれない。
それでも待ち遠しく焦がれたり、それを糧に踏ん張ったり。
「アカン。何やシャレんならんぐらいじゃまくさいわ、バイト。いっそのこと夏風邪最前線にでも立ったろか」
「……昨日、私も同じこと思った」
「は!? 嘘やん」
「いや、結構あるよ」
「いや待てや夏希、そこは言お。な? 俺のテンションの為に言お」
「そこで喜ばれたら本気で行けなくなっちゃいそうだよ……」
続く平穏を幸福と思いながら、尚も色んなものを放り出してしまいたい衝動に駆られる夜も、幾度となく訪れる。
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