交錯する思い 1
自分の顎のすぐ下でふわふわとたゆたうチュニックを無心で眺めていると、後方からガチャリと扉が開いた音がした。
「あっは、今日もまた力いっぱい涼んでますねー」
笑い混じりに掛けられた声に首を仰け反らせたら、思ったより頭を持ってかれ慌てて腹筋に力を入れる。危うく服の中の扇風機を抱いてセルフジャーマンスープレックスをかますところだった。
「流石に冷凍庫開けて涼むなんつー時代錯誤な暴挙には出られないよ」
「いやー店長のアレはホント無いですよね」
まったくだと頷きながら独占状態だった涼風を解放。そんな私に引け目を感じてか、うっかり直ってたりしないですかね、と言ってリモコンを手に取ったアシスタントの女の子。
が、期待虚しく壁のエアコンは見飽きたエラーの赤を表示するだけ。ご多忙らしい修理業者が訪れるまであと2日、先ほど私も同じ落胆を味わったばかりだ。
フロアのものでなかっただけ幸いと言いたいところだが、業務用の空調業者は即時対応が基本。換気扇と間に合わせの扇風機で凌ぐこの苦行はスタッフルームが為だ。
ほんと機械って呆気なくて、味気ない。
たかだかエアコンの故障ひとつにしみじみそんな風に思うのも今だからこそ、か――
テーブルの上の携帯を手に取った私は、依然として変化の無いそれをなぞり再度ため息を落とした。
from:ひよ里ちゃん
07/09 10:23
sub :Re2:Re2:Re:
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無理
-END-
二文字。そっか、と言う他ないこのバッサリメールを頂戴したのは、今日で2回目。
ここ1ヵ月ほど彼女とは会っていない。元よりメールは用件のみが基本ゆえ、自ずとやりとりそのものもグンと減った。それでも、バタついてると言うし色々あるんだろうと思ってあまり気に留めずにいたのだが。
いつものノリで、業者さんに新しいサンプルを貰ったので試しに来ないかと誘って返って来たそれに、眉をひそめた先月半ば。
流石にどうしてるだろうかと電話してみたのが先週。けれど応答は無く、また折り返しも無く、そして今日。
ごくシンプルに、遊びに来ない? と誘って再び返ってきた『無理』の二文字。いや、別に無理なら無理でしょうがないし、構わないのだけど。
ただ、少なくとも私の知る彼女は「行く・行かん」の人なのだ。同じ断るでも、気が乗らない時も「行かん」都合で行けない時も「行かん」。
一体、何が無理と言わせている?
いよいよ分からない。だがたった二文字だろうと反応はある。そのことがかえって私を不安にさせる。心配を、淋しさを募らせる。
何の利害もしがらみも無く、それでも自分と向き合おうとやって来てくれたあの小さな彼女の存在も、真子と同じくらい私には大切だった。
――ねえ、どうしたよ? ひよ里ちゃん
蒸し風呂のようなスタッフルームで摂った昼食をエネルギーに閉店までをこなし、今日も一日の業務が終了。
身支度を終え、夏仕様に解放したサンルームで紫煙を燻らせている背中にお疲れさまですと声を掛ければ、ぬるい風と一緒に「おーお疲れー」と平坦な声が返ってきた。
思考停止しそうな昼の暑さから解放してくれる、夏特有の湿った柔らかい夜風。
ふと、ドライブでもしたいなーなんて気に駆られるも、今から母の家へ行くことの億劫さを思って即座に断念。やっぱり私にはチャリだぁねと自分に言い聞かせたところで――
「軽く湾岸線でも流しに行くかな」
むかつく……!
お門違いな僻みは百も承知ながら、この人との波長リンクも大概腹いっぱいだと心の中でぶつりぶつり悪態を吐きながら私は店を後にした。
今夜、真子はHolyの飲み会。アケミさんの店へ行こうかとも思ったが今日は月曜、そこそこ荷物もあるし朝までコースはなーとこれまた断念。
歳相応と言えるかは疑問だが、それなりの経験値から自己調整意識が働く程度には大人になったということなのかもしれない。否が応にも。
せめてもの自分へのご褒美とばかりに奮発したプレミアムビールの入った袋をハンドルに提げ、バランスを考慮しつついざ発進! という時に携帯が鳴った。
「おーお疲れサン。んお、外か?」
コンビニのドアの開閉音が聞こえたのか、何やら意外そうな声が届く。いつもんとこだよと告げれば、オマエも飯でも行くんか思とったわ、と真子。
「大人気過ぎるメントンが重いから断念した次第にございます」
「何や、そないにようさん頼みよったアホがいてるんか〜? どこのどいつやぁ? オマエにそない大変な思いさせよる男前は〜」
……。
「えーと……松田くんのさ、あっ、松田くん分かる?」
「おー前髪パックリ松田クンやろ? ちゅーかオマエぼちぼち切ったりやー、まぁたぬぼーなってきてもうてんでアイツ。ほんで松田の?」
「上の上の斉藤さんていう人の上の矢吹さんっていう人の上の――」
「あー、何や俺かぁ〜!」
「隣の部屋で私を待ってるシュッとした男前」
「キスケやないかい! ……って、まーそれはええとして。ちゅーかスマンなぁ、ほんま。皆なあの爽快さにヤミツキやねんて」
うちの店で夏季限定で扱っているメンソール配合のシャンプー。肌に安心な成分でいてスーっとする清涼感が大好評。真子のお仲間にも大好評。
とはいえ直帰を決めた今、言うほど苦でもないし、気に入って貰えたのは純粋に嬉しい。強いて言うなら、スースーし隊増えまくりじゃねぇかと店長に笑われたぐらい。
「ま、お父チャン適当に切り上げて帰るから。ええ子にして待っとき」
「あはは、はいよー」
あれから真子の様子にこれといった変化は感じられない。時折 疲れた顔を見はするし、先月同様アパートに戻らない日もチラホラあるけれど。
最近は弦つながりで興味を持ったのか、私がいない時間に張さんのところへ行ったりもしている様子。アコギと古琴のセッションもおもろいかもなーと楽しそう。
“まだ不機嫌モード抜けてへん感じはあるけどな、まー大丈夫やろ”
あの日の真子の言葉を思い返しながら携帯から顔を上げる。鞄にしまい、ひとつ息を吐いてからグッとペダルを踏み込んだ。
やめよう。
どのみち次の日曜には顔を合わせるのだ。自分が今アレコレ考えたところで何がどうなるわけでもないだろう。
「あれ?」
「ああ、お帰り」
アパートに着き、郵便受けから取った葉書やら何やらを確認しながら階段に足をかけたところで、目の前のドアがガチャと開いて意外な人物が姿を現した。
「……お疲れさまです、夏希さん」
次いでヒョコと覗いたその顔を見て、あー確かにそろそろ切った方がいいや、と思う。
「ひよ里が借りてたゲーム返しに寄ったんよ。ほなね、また何かええのあったら借してや」
はい探しときますと返したその顔を、わざとじーっと、じーっと凝視してみる。と、なんですか、とでも言いたげな流し目を頂いた後すぐにバタンと扉を閉められた。やばい、面白い。
「プルモルの5号缶? 何かええことでもあったん?」
「やー何となく。飲んでく?」
彼とのアイコンタクトを気にかける様子もなく数段下の私の元へ降りて来た彼女を、今夜の酒の共に誘ってみる。
「ええの?」
「ふふ、帰り気を付けてくれるんなら」
「アホ、補導なんかさせへんよ」
そう言うなり先に階段を上り始めた彼女の後に続きながら、やっぱりいつ見ても素晴らしいなーと、その短いプリーツスカートの下に覗く美脚を変態のように眺めてしまった。
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