動き出す過去 7
――1週間後の午後。
お色直しのセットの仕上げに、優し気な色味の生花をあしらえて完成。新婦本人に合わせ鏡でバックを確認して貰う。可愛らしい顔立ちだけあって、先のふわっとしたダウンスタイルでの白ドレス、淡いオーロラピンクのドレスを纏った今も、溜め息が出るほど可憐。
けれどそんな装いになれど友は友。頑張ってご飯食べてくる! とガッツポーズをして見せる彼女を「頑張れー!」と笑って送り出す。
「ふー……」
控え室にてひとり、暫し感慨深い心地に浸った私は、ついと窓の向こうに広がる青空に目を遣り、しかし晴れ女だよなーと思わず笑った。
先週、言い難そうに事情を打ち明けてきた上で「でも夏希には私の友達として堂々来て貰うんだ!」と何やら鼻息荒めで意気込んでいた彼女。
気持ちは嬉しいし、逆の立場だったらきっと同じような想いを抱く。それが分かるからこそ、主役たる花嫁に私のことでそんな風に気負わせたくはなかった。
――結果、やはりこれで良かったと思う。
“ま、ぶっちゃけ俺がオマエやっても辞退した思うわ。オマエにはオマエにしか出来へんことがあんねやしな”
真子が言ってくれたように、裏方から華を添える役として彼女の晴れ舞台に関われたことも勿論だけど。
泣いて謝るのは1回きり。いつもと変わらぬ明るさで私と話す彼女が心から幸せそうだったことが何より嬉しかった。
「さて、帰りますかー」
諸々の道具を詰め込んだ鞄を肩にエントランスをくぐり、眩しさに目を細めながら些か強い日差しを振り仰ぐ。晴れてなお湿った空気を鼻からたっぷりと吸い込めば、容赦なく猛暑が続いた去年を思い出して少しばかりウヘーとなる。なるのに、どうにも口元が緩みそうになる。
さして何があるってわけでもないのに、夏の気配に無駄に胸がざわついてしまうのはどうしてか。気を抜いたら最後、正しく怪しい人物になりそうな衝動を堪えながら、私は駅へと足を向けた。
冷房の効いた快適な車内、電車の揺れに合わせて閉じそうになる瞼の隙間から、膝の上に開いた手帳に視線を落とす。が、どうにも仲良くしたがる上瞼と下瞼。独占状態の三人掛けの端っこにてひとり、ぐーっと伸びをして外を流れる景色に目を向ける。
“ちゅーても頼むから無理はしなや? 出来たらでええねん出来たらで”
何だか妙に改まった真子から、来月か再来月あたり土日のどっか1日休めへんかと言われたのは数日前のこと。理由を聞いた私が一もニもなく「何とかする」と答えれば、瞬時に苦い顔になって無理はしなやーと繰り返された。
怪訝に思い、本当は私に来て欲しくないのかと問うも「ちゃうちゃう、ちゃうわ何言うてねんアホ!」と何やら今度は大慌て。
そうかと思えば「大丈夫だと思うよ?」と私が言った途端ガシっと両のニの腕を掴んでおおきにーと深々安堵の息を漏らすという忙しさ。
けれど実際、今週や来週といった急な話でも、ましてや日にち指定でもなければ、都合をつけられる余地はある。案の定、まだ予約が午前に1件のみだった7月半ばの日曜、半休下さいという私の願い出には難なくOKが降りた。寧ろ「うちに来て初めてじゃねぇか?」と珍しがる店長に、ヒーローショーに食いつかれまくって素晴らしく面倒だったぐらいだ。
でも私自身、以前から話に聞いていた久南白ちゃんに会えるのみならず、その勇姿を真子やひよ里ちゃんたちと見に行く楽しみで今からワクワクだ。
どんな人だろ、早く来月にならないかなぁ……。
あれこれ想像に胸を膨らませながら、15時を回った日差しを浴びて尚、煌々と照り輝いている街並を見送り続けた。
何だか良い気分だった私は、今日は戻ってすぐビールを開けちまおう! というささやかな目論見を胸にアパートへ帰還した。
が、何と肝心のビールが切れているという由々しき事態が発覚。
こりゃイカンとすぐにその辺にあった小さい鞄に財布と携帯を放り、玄関でミュールをつっかけたところで携帯が振動。通話を押すと同時に、背後のリビングからはピーンポーンとドアホンの音。
「もしもし張さん? ごめんちょっと待って誰か来た。――はーい!」
口早に伝え、応答を待たずにドアの向こうへ声を張れば思い掛けない人物の声が返ってきた。
「矢吹ですけどー!」
「……?」
平日の夕方に一体? と首を傾げつつパカと開ければ、まさに『たった今濡れました』というスーツ姿の矢吹さんが立っていた。え? と思うが早いか私の耳にザー! という尋常じゃない音が届く。ハッとなった直後、私は矢吹さんと口を揃えて「洗濯物!」と発していた。
そうそう、とばかりに頷く矢吹さんに「ありがとうございます!」と告げ、慌てて体を翻しながら携帯を耳に当てる。
「もしもし? ひょっとして張さんも雨を知らせてくれたの?」
「ハイ! 凄い夕立ちね!」
満を持しての快晴にここぞと大量に洗濯したのは、うちだけでは無かったらしい。「雨雨!」と皆なで知らせ合っている状況に何だか笑ってしまう。
真子が干しておいてくれたそれを急ぎ取り込みながら、このまるで天候の読めない感じが夏とも言えるよなーなんて思う。
けれどその真子はまもなくバイトを上がる時間。まーたこない中に集まり行かなアカンのかい! とゲンナリしてるだろう姿が目に浮かぶ。
「すぐ止むといいけど……」
ピーンポーン
シーツやら何やらを抱えたまま雲の流れを追い、またしても気の毒なこのタイミングを案じていると、再びドアホンが私を呼ぶ。何だか忙しないな。
とりあえずソファの上にぼふっと洗濯物を放り、手にした子機の通話を押せば、これまた再び矢吹さんだった。
「どうしたんですか?」
玄関先で二度目に顔を合わせた彼は、先と同じ半濡れのいでたちながら何やら少し焦った様子でこう言った。
「あの! 急でほんと申し訳ないんですけど、コレで俺の髪切って貰えませんかっ?」
はい……?
突拍子もない依頼に放心しかけたが、ぺらんと差し出された『コレ』に目を合わせた途端、私の内側は複雑な思いでいっぱいになった。
「すみません、実は――」
何でも矢吹さんは、たまたまこの近くの客先から会社へ戻る途中で夕立ちに降られ、立ち寄りついでに洗濯物が翻っている部屋に声を掛けたそう。それから自宅で自分の分を取り込んでいる最中、夜に控えた大手との商談にお前も同行しろ、という上司からの急な連絡があって。
千円カットかなんかで髪切って戻ってこいと言われ、部屋にいた私に頼んでみようと思い立って再び訪れたのだとか。こうして、万券一枚を手に。
どうしよう。
私は矢吹さんに、こちらの事情について何の説明もしてなければ了承も得ていない。だけどこれは非常時で、夕立ちを知らせてくれた彼は今、急いで髪を切らねばならない状況にある。
たまたま矢吹さんが髪を切りたい時に、たまたま美容師の私が同じアパートにいた、それだけのこと。
――それだけのこと、だけど。
「……ごめんなさい、出かけるとこだったんです」
「うわーそうでしたかぁ……いや、こっちこそ突然無理言ってすみませんでした」
最寄り駅の反対出口からちょっと行ったあたりに、年中無休でやってるチェーンのスピードカットがある。そう伝えれば「ありがとうございます!」と笑顔を残して去った彼。
見送って閉めた扉を背に、私は何か途方もなく荒涼とした気持ちのままにズルズルとへたり込んだ。
……何様なんだよ、私。
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