動き出す過去 1
今日も今日とて飽きもせず、出窓の外は見るからに重たそうな雨雲が延々広がっている。何だってカレンダーめくった途端キッチリ梅雨入りするかなコンニャロウてな気分で、変わり映えしない空模様を眺めては嘆息を零す。
傘を差しながらの徒歩通勤、いつもと違う新鮮さを覚えて楽しかったのは最初の2日だけだった。仕事には行かなきゃだし行きたい、不便な住まいを選択しているのは自分だと言い聞かせて、更に3日。
……しかし、流石に6日目ともなると。
「キスケさーん、代わりに髪切ってきてー……」
てな無茶苦茶を口走りたくもなる。おまけに梅雨特有の蒸し暑さも相まって、何となく眠りも浅い。
再びぼすんとベッドに大の字になり、後ろ足立ちでハサミを持つ愛猫の姿を想像して、ちょっと和んでみたりもしたけれど。
こうしてめいっぱいスペースを使った日まで安眠できないなんてつくづく皮肉だ、とまたも憂鬱な思考が頭をもたげてしまう。
どこでもドアは何世紀になったら開発されるんだろう、などと子供染みたことを考えながら、私は気力を奮い立たせて重い体を起こした。
「なんだ、肌ツヤ悪ぃな。ご無沙汰か?」
「……どのくらい空いたらご無沙汰なんですか、ドリアン店長」
「くく、確かにあの破壊力は凄かったな」
「冗談抜きで大事件でしたから、鼻が」
飯休憩一番手となった私がスタッフルームで弁当をつついていると、手が空いたのか、恒例のセクハラ発言と共に店長が現れた。
先日の外飲みの際、この人は自分の買ったドリアン羊羹なるタイ土産を持参してきて、大したことねーだろのひと言で強行開封。だって真空パックですよ! という必死の説得も虚しく、私たちは有無を言わさず過激な悶絶体験を味わわされるはめになった。店長タイ舐めすぎ。
「そういやHolyで平子くんにも、アジールも大概ネタ好きですやんなーって笑われちまったわ」
「つーか要らん情報言いすぎです。リバースしたんやてなーって大笑いされましたよ……」
苦い顔で訴えれば、「仲良さそうだよなーお前ら」と愉快そうに笑いながら向かいの椅子に腰掛ける店長。
言われてみれば、確かに仲は良いかもしれない。今月は集まりが増えるとも聞いているし、実際一緒に過ごす時間はそう多くはないんだけれど。
それでも、アホだなんだとふざけ合うことはザラながら、これといって喧嘩らしい喧嘩もしないし、言うほどご無沙汰でもない。多分。
ただ、引っ掛かっていることがまるで無いわけでもない。
それは一週間前の5月末日、今もって長々停滞している梅雨前線が東日本上空にかかる前夜のこと。ちょうど、いつものように私の部屋で晩酌しながら他愛もなく二人で話していた時、真子に一本の電話がかかってきた。
「おー何やーどないしてーん。――そうかい、分かった」
これまたいつもの間延びした声で出たかと思えば、いきなりすっと真顔になり、すぐに電話を切って。
「悪い、ちょお出てくるわ。先寝ときや」
何事かと見つめていた私に、いつになく険しい顔でそう言い残すと、何やら慌しく真子は出て行った。
ひよ里ちゃんからゲームしに行っても良いかというメールがきたのは、それからおよそ30分後。月曜だからって気ぃ遣うことないのになー真子もいないし、などとぼやきながらすぐに私はOKの返信をした。けれどいつもなら十数分で来るはずが、いくら待っても来る気配が無く、てっきり私は寝ちゃったものと思っていた。
「……アホウ、寝とけ言うたやろが」
真子から電話があったのはそれから更に数時間後。リビングでひとり、ウィッグと向き合ってあれこれ模索していた真夜中のことだった。
夢中になっちゃってたと笑えば、熱心で何よりやなーしゃーけどぼちぼちお歳を自覚した方がええんちゃいますかー肌的に、だそうな。
「年長者の助言は為になるねぇ」
「せやろ? って誰がジーサンやねん!」
そんないつもの掛け合いの後、徐ろに真子は大きな溜め息を吐いて。
内輪でちょお揉めてもうたやんか、と告げたその声は、日頃の小競り合いレベルではないと私でも分かるほど、ひどく疲れているものだった。
「……帰ってもええか、オマエんとこ」
風呂ためとこうか? という私の返事に否を唱えてから十数分後、顔を見るなりがっつりなだれ掛かってきた真子。その背にゆるく手を回しながら、ひよ里ちゃんには連絡が遅れちゃったのかな、とそんな風に私は思っていた。
けれど。
「あ゛ーけったくそ悪! 最っ悪やわ!」
翌日、疲れきった真子が未だ寝室で眠りこけている午前中、ひよ里ちゃんから昨晩の弁明という名の鬱憤晴らしコールがあって。
まさにいつぞやの真子と同じに徐々にセルフエキサイト。付け加えるならばボリュームの上がり方はひよ里ちゃんの方が甚大。耳から携帯を浮かせながら、ははは、と引き気味に笑っていた私だったが、途中であれ? と思うことに気付いてしまった。
「大体なぁ! 最初にバカや何や言うて吹っかけてきよったん拳西の方やんけ! そら、ウチかてちょびっとは熱なってもうたけど……せやかて言い方っちゅーもんがあるやろ、言い方が!」
原因については分からなかったけれど、喧嘩自体はひよ里ちゃんと拳西さんのふたりを発火点に拡大したように聞こえてならない。
となると真子にかかってきたあれは、揉め事を知らせる電話ではなかった……?
「昨日は――」
何時頃に集まったの?
喉まで出かかった問いにハッとなって咄嗟に飲み下し「本当に大変だったんだね」と取って付けた私。真子の言動を裏で探るような真似をしかけていた自分に気付き、心の底から嫌気が差した。
――簡単だな、損の素を作るのは。
「憂鬱な顔は憂鬱を呼ぶぞー夏希ー」
聞き慣れてても苦手な棒読みに、わっ! と顔を上げれば、カラーの色味表に目を落としている店長の姿。どんだけ酷い顔してたのかと焦って思い巡らせながら、すみません、と小さく謝る。
と、そこでコンコンというノックと共に顔を覗かせた画伯くんから、夏希の例のお客さんきたぞーのひと声。慌てて食べかけの弁当を冷蔵庫に突っ込み、久方ぶりのお客さんとの対面に今一度気を引き締める。しかしえらい美人だなー! と色めく画伯くんの言葉に店長の顔が上がった。なんなんだこの人。
微妙に気が抜けたものの、空いてる方がいいとの希望で2階の席に通したと聞いた私はわくわくした心地でエレベーターに乗った。
「おー夏希! 久しぶりじゃのー」
辞める間際のロイヤルで担当したこのお客さんから、何でも良いからトリートメントとやらをくれと、バイト先の夜の店に電話があった時は心底驚いた。番号を教えたその時から、手入れしたらどうだとツレがうるさいのじゃ、と1年に1度程度ながらリピートの電話がある。固定電話らしきから。
が、ここ1年ちょっと無いなぁと思っていたところへ、店まで行くから軽く整えてくれんかの、という先月の電話にまた吃驚。
「ふふっ、相変わらず伸ばし放題ですね、夜一さん」
「いっそ昔のように短くしてしまいたいんじゃがのー唯一の女らしさを勿体ない! やらうるさいのじゃ――」
「ツレが?」
「ああ、まったく口うるさくてかなわん」
お名前のわりに気さくでサッパリしたこの褐色美人さんが、当初から私はとても好きだった。
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