充電と放電 7
ほな後でな、という台詞を最後に通話を終え、んーっ! と伸びをしながら目を向けた窓の外には、雲ひとつない晴天が広がっていた。のそのそとベッドから足を下ろし左右に首を傾けてみれば、いっそ気持ち良いくらいのゴキゴキ音が響く。
次いで足元で口を開けているナイロンの旅行バッグに目が行き、よっしゃ支度するか! と腿を叩いて腰を上げるも、そこからも容赦のないバキバキ音。やっぱ無理して欲張り過ぎたかね? と、すぐそこにちょこんと座して見上げているキスケさんに苦笑いを送った。
諸々のお世話をして少し遊んでから、ざっとシャワーを浴びて軽くメイクを済ませ、残りの荷物を詰めてチャックを閉じる。そうして未だやや重たい体を屈めて持ち手を掴み、よっこいせと肩に担ぎ上げて私は玄関へ向かった。
ガチャ ガチャ
「あ…………おはよ」
レバーを引いて扉を押し開けると、同じように開いた扉のレバーに手をかけている、向かいの真子と目が合った。が、これでもかと顰められたやたら青白いその顔を前に、私は2、3秒ほど遅れて何とか反応。
「……見てん通りのザマやねん」
「……お疲れ」
「しっかし年末と言い今日と言い、思うよう行かんもんやなぁ〜」
特急列車を待つホームの端、手にしたウコンパワーのアルミボトルを捨てるべく、椅子から立ち上がりながら真子が漏らす。
まー急ぐ何かがあるわけじゃないしと笑った私に、大口開けた欠伸交じりでま〜な〜と返したその顔は、既にいつもの色に戻りつつある。
「ほんでどやったん、バリカンアートの講習は」
「〜ぁふ……うん友達にも会えたし楽しかったけど、やっぱキツかった……」
つられて込み上げた欠伸を噛み殺して答えると、横にどかりと座り直した真子が、次いで気恥ずかしさを含んだような苦笑いを浮かべて言った。
「何や、悪かったのぉ……」
「や、私が無理しただけだって」
プレゼントを渡した直後、私を無言でぎゅうぎゅう抱きこんだ真子は、何処かあの新月の夜に似た空気を纏っており、いつになく熱っぽい気迫を露にした彼との濃密な夜の終わりに、私はほとほと疲労困憊だった。
にも拘らず突発的に講習の参加を決め、そこでばったり再会した他店の友達と夕食を共にまですることにしたのは、他でもない私自身。
そんなこんなで昨夜、予想以上にしこたま飲まされたらしい真子がベロベロで電話してきた時には、既に私は寝落ちた後で。
お互いそれぞれの部屋で寝て、起きて支度して顔を合わせた時には、事前に予定していた出発を2時間ほどオーバーしていた。
それから二日酔いの真子とのんびり歩いて最寄り駅に着くと、何やら線路に人が立ち入ったとかで30分近く待つことに。
やっと来たそれに乗り、いくつもの路線が乗り入れる大きな駅に着いてみれば、今度は私たちの乗る特急列車が行ったばかり。今回は渋滞の心配要らずと安心し切っていた私たちは、更に40分弱の待ち時間を余儀なくされ今に至っている。
いくら早くから予定を立てていようとも想定外なことは起こるし、心身共に万全で臨めるとも限らず、その上――。
「こない天気も、へーのにふぁ〜……」
「んんー! ……ほーだねぇ」
足元まで延びている午後の日差し。スニーカーの中、指先からじわんと伝わるそれがやたらと眠気を誘ってくれる。瞼はとろんと重たくなり、もへ〜と口が勝手に開きかけたところへ、真子からとんでもない提案がされた。
「……夏希、カクテルん名前で山の手線ゲームすんで。負けたら1シッペな」
「は……? え、ちょ、どんないやがらせ!?」
「アホ、今落ちたらマジでアウトやんけギブソン」
ポン酒、焼酎、ビール愛飲のオヤジな私と知っていながら、真子のフェアじゃなさすぎる眠気覚ましゲームは有無を言わさずスタート。
こうしたゲームの勝負事に真子が容赦ないことを知っている私は、バリエーションの豊富そうなカシスを盾に慌てて返す――が、あっさりカシス返しを展開される。
ソーダ、オレンジ、グレープフルーツ、パイン、ミルク、ウーロンと続き、もはやカシス以外に転んだら負け的な空気に。
「カシス、カシスー……コラーダ?」
「……テキトー当て始めよったな。あるからビビるわキール」
「……カシースサンライ――」
「ええからさっさと腕出さんかい」
言うが早いか掴まれた右袖がシュッと上げられ、わ! と思った瞬間には真子の綺麗に揃えられた2本の指がペチンと降りていた。
いって! ちょ、ハーぐらいしようよ! という私の抗議は電車到着のアナウンスにかぶり、聞こえへんなぁ、と艶やかな白い歯が笑った。
やっぱり、こういう方がいい。
忙しなく脈打つ心音、苦し気に寄せられた眉、真っ直ぐに見下ろしてくる捕食者のように鋭く眇められた瞳。真子の唇から、夏希、と掠れた低い声が落ちる度、私は息を詰めてその瞳を見つめ返すことしか出来なかった。
「……重い」
人にあんな出来レースを仕向けといて、電車に揺られひと駅も過ぎれば真子は人の右肩を枕にあっさりご就寝。しかもいい感じに回復してか、昨日について斉藤さんのように喋り倒したその後、ひよ里ちゃんみたいな電池の切れ方をした。
拳西からはモコモコが付いとるフライトジャケットやろ? アイツは今何月を生きとんねん! だの。羅武のジャージて空気読みすぎやし、白は勉三サンみたいなゴーグル寄越しよるし、リサの『今年の1本』は年々エスカレートしとって何やちょっと心配なるし、だの。
極めつけにひよ里の『今年の1本』なんか一面ラバーダッキーやで!? あんのボケ、誰がまだまだひよっ子やねん! とひとしきり吠えて――
“しゃーけどまさかのハッチがめっちゃカッコええヘッドホンくれよるわ、ローズが例のアコギくれよるわで、ぶっちゃけちょっと泣くか思たわ”
窓から差す陽に煌く黄金色。5月の紫外線を見くびんなやとニ人掛けシートの通路側に私を座らせたその人は、穏やかな顔で寝息を立てている。
真子がいて良かった。
ペールブルーのハンチングの上にコテンと頭を乗せ、自分もゆっくりと瞼を閉じた。
あんな表情をさせる何かを抱えている真子が、昨日という日に仲間みんなに愛されて。
――こうして私の肩に頭を預けてくれることの幸福を噛み締めながら。
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