充電と放電 5
「すみません。なんか俺、知らぬ間に気遣わせちゃってたみたいで……」
気まずそうに眉を寄せた矢吹さんを、背後にいる真子がハァ? という顔で上から下、そしてまた上へと視線を往復させている。それを見て、私が張さんに告げたのは間違っても矢吹さんの為ではないと、真子は分かってるんだなと思った。
けれどてっきり私も、矢吹さんは直接自分で言うのがイヤで、誰かにそれとなく伝えて貰う流れを作るべく触れ回るもなかなか功を奏さず、業を煮やして頼みに来たものと思っていた。故に一貫して自分の思考を疑うことをしない矢吹さんには、正直こちらの予想の斜め上すぎて感心さえ覚えてしまう。
しかしそうは言っても、慌しく人が行き交う朝の道中、通りすがりに手助けに入ってくれた親切な彼を忘れたわけではない。
――地球は自分を軸に回っていると、ものっそいナチュラルに思える人なのかも。
「いえ……全くもって遣ってないんで気にしないで下さい」
気心知れてるからこそ言いやすいことと言い難いこと、その両方の可能性に想像が及ばない、というのも凄いけれど。
問題をすり替えていると真子に指摘され、自らの潜在意識に気付いて尚、そんな自分の気持ちを汲んでくれたと迷いなく私に謝罪する。
それでいて私の言葉は後半部分しか耳に届かなかったのか――
「そうですか、良かったぁー……いや、本当にありがとうございました! これからもひとつ、よろしくお願いします!」
そう言って心からホッとした顔を見せた矢吹さんは、夜分にホントすみませんでした、と私と真子にペコリとして階段を降りて行った。
「……」
「……」
「あらほんまモンやな……」
「うん本物だ……」
あまりのことに二人揃って呆然と彼を見送っていた。そう気付いたのは階下からバタンと響いたドアの閉まる音の後、気取られたままに交わし合ったひと言。
ハッと正面の人に顔を戻すとパチと視線が絡んで、同時にすぐさま高速回転した頭が咄嗟に『ヤバイ』という顔を私にさせてしまった。
まんまとそれを見て取ったらしい真子の薄茶の瞳がすーっと据わり、ゆっくりと不敵に上がった片口にいよいよ怒られることを確信する。
「あっ……!? ちょお待たんかいコラァー!」
無駄だと分かっていながらくるっと自分の部屋へ体を翻した私は、最後の悪あがきで一目散に作業部屋へ駆け込んだ。
知ってて口にしないでいたことはお互い様にしても、恐らく私の取った行動は真子にとって相当な『何でやねん』だろうし。
でなくとも私は、矢吹さんを絶賛説教中だった真子の、話の腰を折るかのように口を挟んでしまったのだ。
「……よぉ、なっちゃん。オマエ、いたずらがバレたガキみたぁな顔しくさりよったけどな。ここに逃げ込むあたりしっっっかり汚い大人やねんで」
「し、知ってます……」
すぐさま凄い勢いで追い掛けてきたものの入り口でピタと止まった真子。その恨めしげなジト目に部屋の奥から引き攣り笑いを返す。私が今いるここは、まさしく真子が容易には『お仕置き』を展開出来ないだろう最後の砦。
「分かっとるやろうけど申し開きするんやったら今の内やで」
「えっと、や、色々とごめん……でもあの、ひょっとして真子さん、誤解してないかなぁ〜? なんて……」
「ほぉ〜誤解、ねぇ……?」
入り口に寄りかかって腕を組み、くいと顎先を持ち上げての細目を容赦なく投げてくる真子。獲物を追い詰めたみたいな薄笑いが怖い。のちの自分に待ち受けているだろう制裁が容易に想像出来るだけに、おのずとこっちも必死にならざるを得ない。
「うんうんうん。その、ね? 張さんの為! とかそんなんじゃないわけよ」
けれどあたふたと私が言葉を紡ぐや否や、はたと何かに気付いたようにその顎を下げた真子がすっと真っ直ぐにこちらを見てきた。
「……夏希、オマエまた自分が嫌やっただけとか言う気やろ」
「え……うん……」
思いがけず申し開きのメイン部分を言い当てられ、戸惑いに俯きながら歯切れの悪い肯定を返す。
と、そこで自分が着ているチュニックの七分袖から覗く腕時計に目が留まった私は、それが告げる重大な事実にガバッ! と顔を上げた。
「ごめん真子! 大人しく『こそばしの刑』受けるから、ちょっとそっち行っていいかな!?」
「ハァ!? 何を言うてんねん。オマ、自分でそっち逃げ込んだんやろが」
「え? あーと……そう、なんだけど事態は一刻を争うのでありますよ!」
「あぁ? たく、何やねんオマエは……まー何や知らんけど好きにせえ」
ちゅーか何をそないテンパっとんねん、とぼやく真子の言葉を待たずに入り口へと進んだ私は、そのまま彼のいる脇をそそくさと抜けて寝室へ。
そうして慌しく目的の物を手にリビングへ戻り、作業部屋を出た辺りから凄まじく怪訝な目でこちらを覗っている彼をソファへと手招きした。
が、一連の不可解な行動を訝しんでか、片眉を上げハの字に口を開いたまま真子は動く気配が無い。焦って壁に目を遣ると、いよいよもうキワッキワ。
それを見て慌てて真子の元へ駆け寄った私は多分、彼や周りの人が思ってるよりずっとずっと自己中な人間なのだ。
さっきの件についても、張さんが古琴を奏でる意味や事情を知らない矢吹さん、或いは自分が張さんの立場だったらなど、散々あれこれ思い巡らせたものだけど。
結局のところ私は、本当にただ、単純に張さんという人物が好きで。
本人だけが知らない状況が水面下で進行して行くことも、自分が『実は知っていたひとり』になるのも嫌だという結論に至っただけ。事実を告げた上で、だけど私はあなたが弾く古琴の音色が大好きだと、そう、あの人に伝えたかっただけ。
そして、まさに今も。
数日前に漸く「コレだ」と見つけた物。すぐにでも渡したくてウズウズする想いを今日この瞬間まで堪えていた私。けれど、日が変わる前に帰ることが出来てひとり浮かれていたところ、思わぬ事態が待っていて。
その話だってまだ終わってなくて、もっと、ちゃんと真子に謝らなきゃいけないはずで、だけど。
こうして今この時に一緒にいる以上。
「し、真子、誕生日おめでとう!」
例えばそれが、劇的な感動やムードの欠片も無い、変に焦ったカミカミながらの格好の付かないものになったって。
「夏希、オマエ……」
――1番に言いたかったんだ。
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