充電と放電 2
「ええやろキスケぇ〜」
部屋に入ってもゴキゲンテンションが冷め遣らないらしい真子は、寝室から現れたキスケさんにまで優待券を自慢していた。
ひらひらするそれに反応して、後ろ足立ちになって両手でぱしんぱしん挟もうとしてるキスケさん。掴む寸でのとこでヒョイと頭上高く掲げる、を繰り返しながらほれほれ言ってる真子。双方めちゃくちゃ楽しそうだ。
一週間分の力を抜いてソファに沈んだ私は、和むなぁ〜と笑みを漏らしながらぼんやりその光景を眺めていた。
「せや、俺らいてない間コイツどないするん?」
「え? あー……張さんが来てくれるって」
「おぉほーか、そら安心やなぁ」
ほなしっかり留守番頼むでぇと真子に頭を撫でくりまわされるキスケさんを見て、本当に私は恵まれてるなと改めて思った。散歩の必要が無いとは言え、飼い主の私が安心して不在に出来るのも全ては信頼のおける人たちの存在あってのこと。これが身近に誰もいない環境だったなら、どんなに飼いたくても里親を探す他に無かっただろう。
中でも張さんは本当にキスケさんを可愛がってくれており、普段からマメに様子を見に来てくれている。
「しかし、お世話になりまくりだよなぁ……」
みるみる申し訳なさに苛まれ、う〜んと唸って額をさすると、隣にぼすんと真子が座ってきて。
「何か美味いモンでも買うてきたろな」
そう言って淡く笑うと、アップにして左に垂れている私の髪の毛にゆっくりと手櫛を通し始めた。宥めあやされるようなそれに身を委ねながら、うんそうだね、と返す。
“遠回しに言ってたけど不愉快って意味だと思うのよねぇ……”
私がそんな真子の心遣いにいつもにも増してホッとしたのは、斉藤さんから聞いた話が引っ掛かっていた所為かもしれない。
一昨日の夜、駐輪場へ戻った私を見つけた斉藤さんが、帰りついでにちょっと寄ってくれるー? と窓から声を掛けてきた。
こうして斉藤さんに何かのついででお喋りに誘われるのは、日頃からままあること。故にこの日も私は、淀みなく展開される弾丸トークを楽しむ気満々で3階の彼女の部屋にいそいそと立ち寄った。
が、いつになく複雑の色を滲ませた斉藤さんの口から告げられたのは、正直、私には思ってもみないことだった。
“ちょっと気になるんですよね、あの音”
あれ何の楽器なんですかという問いに答えた斉藤さんに、矢吹さんは苦笑しながらに、やんわりと言ったそうだ。絶句した私を見た斉藤さんは、隣ともなるとうるさく聞こえちゃうのかしらねーでも私に言われても……と、明らかな困り顔。そりゃそうだ。
週末が山場で火曜休みの私に対し、OA機器の営業マンをしているらしい矢吹さんは平日フルで土日休みの人。時間帯が合わない為か、彼の引越しにまつわる色々が落ち着いて以降はほとんど顔を合わせていない。故にそういった情報も、ばったり会ったという真子や他の住人の口から耳にしたに過ぎないんだけど。
『明るい』 『爽やか』 『感じが良い』
皆なが口にする彼のプラス印象は勿論、何より私自身、通りすがりの彼に親切にして貰ったひとり。かと言って張さんが非常識な時間に演奏してるでもなし、となると。
結局のところ、ガラスを引っ掻く音は無理だけど黒板は平気、といった類の個人的な得手不得手や快不快に尽きるのだろう。
“ココに来てから私全然淋しくないね!”
松田くんのちょっと後にここへ越してきた張さんは、当初から底抜けに明るく、カタコトながら会う度ハキハキ挨拶してくれる人だった。そんな張さんが古琴を弾くことには、早くに亡くした奥さんを偲ぶ意味もある。
それでも同じ条件の下に住む者同士、矢吹さんだけが我慢しなきゃならないはずも無ければ、逆もまた然り。時間をずらすとか、上手いことすり合わせる以外に無いんだろうなぁ……。
複雑な心持ちで自宅へ戻った私は、けれど昨日に至って全く同じことを今度は2階の人からも聞くことになって。
しかし、その直後に会った張さんの口からその件について語られることは無く、それどころか全く違うことでひどくしょんぼりしていた。
“ごめなさい夏希サン、私嬉しくてつい言ちゃたデス……”
たまたま踊り場で会った矢吹さんに、ちょっと前に私が切った髪についてサッパリしましたね、と声を掛けられたらしい。いつものノリで私がカッコ良くしてくれたのだと言ってしまい、川村さんって美容師さんなんですか!? と驚かれたそうだ。
とはいえ真子と出会った時同様、聞かれないから言ってないだけで、取り立てて私に隠したい気持ちがあるわけでもない。なので私は、全然構わないですよと笑ってそれに返してから、キスケさんのお世話をお願い出来るかという本題に入った。
だが何か漠然と不穏な予感を覚えた私は、また別の人から同じ話を聞くことにならないよう心のどこかで願っていた。
「せや夏希、言い忘れてんけどさっき下でジョーに会うてな」
「……!」
風呂上がりに洗面台に向かって化粧水をパシャパシャやっていると、脱衣所にひょこと顔を覗かせた真子の姿が鏡に登場。
まさかと不安に襲われつつ鏡越しに目を合わせ「うん?」と先を促すように聞けば、「オマエ仕事んことジョーに聞かれたんか?」と真子。曰く、平子さんも私に髪切ってもらってるのか、というようなことを聞かれたらしい。予想が外れたことに密かに胸を撫で下ろしながら、私は事の経緯を真子に説明した。
「あーさよか。いや、とりあえずな? せやでーは言うたったやんか。ほんならアイツ、俺に何言うた思う?」
鏡越しに首を傾げて見せると、その空いた方の肩に顎を乗せてきた真子が、思いっきり口角を下げてハァーと嘆息を零す。
「……オマエんとこ出入りしとるひとりや思て聞いてんやろな。平子サンは川村サンの彼氏見たことあります? やと」
ぶっ!!
「くくっ、ひーっ……あはははは!」
「あんのボケぇ、ほんま何でそこ俺とイコールいう可能性ドスルーやねん! ちゅーか引き笑いすなアホ!」
横からペーン! と頭をはたかれるも、その時の真子の表情を思い浮かべて完全にツボってしまった私の揺れは止まらない。
更には、素で一瞬フリーズしたらしい真子がワンコンマ置いて彼に言ったという台詞を聞き、いよいよ私は呼吸困難に陥った。
“あー川村サンの彼氏? せやなぁ〜最低でも1日5回は見とるんちゃうかー? まず朝のうんこやろー? 洗面に服選びやろー? ちょいちょい放尿行って、日によっちゃもっぺんうんこやな〜。ほんで何やかんや夜ん風呂でぇ〜……って、俺じゃボケぇ!”
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