充電と放電 1
ゴールデンウィーク間近の月曜、アジールの2階サンルームでは連休明けに控えた社員旅行について事前談義が開かれていた。
けれど私は、心地良い爽やかな風の吹くその席にいながら、ひとり参加することなく全く違うことに頭を巡らせている。
帽子、舌ピ、ネクタイ、服、レコード……
しかしながらマニアックな拘りがあり過ぎる相手ってのも困りもんだ。どうにも自信が無さ過ぎる。真剣にどうしたもんかと思いながら、ほんのり薫る若葉の香りをたっぷりと鼻から吸い込み、フーン、と出す。
「夏希さんは、何かお土産の希望あります?」
「店長が選ぶもの以外」
留学帰りの彼女から聞かれた質問に半分上の空で、だがそこだけは譲れないとばかりに即答。間違いないと皆なが笑う。だが事実私は、例の笑みを浮かべた店長が捨てるに捨てられない土産チョイスをする姿を嫌というほど見てきている。
王道で言えば2年前、都合で来られなかった画伯くんの顔を引き攣らせた木彫りの熊(鮭付き)。しかも敢えての諭吉クラス。嫌がらせにも程がある。
今回がタイということを踏まえると、インテリアには些かアグレッシブな表情の人形、最悪ゲテモノ珍味という可能性とて大いにあり得る。
「あ、ハーブ系の良いシャンプーとかあったら、それがいいなー」
「おーし分かった。オニ辛い本場のグリーンカレーな」
「……聞く気ゼロですね」
腕を組み飄々と聞いていた店長の狙ったようなタイミング。ゲテモノ買って来た暁には目の前で棄ててやる! と心に誓った。
「おーお疲れサン!」
「あれ、どしたの?」
その夜アパートに戻ると、部屋でゲームしてるだろうと思っていた真子が、久々にゴールの段で私を待っていた。帽子の下でニィーと歯列を覗かせたその顔はゴキゲンそのもので、ちょっと可愛い。
「俺な、今日チーフにめっっっちゃええモン貰てもうたわ」
そう言ってますます笑みを濃くする真子の元へ「なになに?」と言いながら残りの階段を上る。と、ゴール手前まで来た私の眼前にビシッと何やら紙のようなものを突きつけ「ほれよう見ぃ」と言うものの、いかんせん近すぎる。ぐっと寄り目にして、そこに書かれている漢字に焦点を合わせる。
「株、主……株主優待券!?」
「せや、何とコレが1泊半額なるんやと!」
大手ホテルのそれならオークションでもちょくちょく見掛けるものの、私たちが予約したそこは源泉掛け流しの温泉旅館。降って湧いた大ラッキーに私のテンションも急上昇。そこへ更に真子から素敵な提案がされた。
「せっかくや。ここはいっちょ部屋ぁグレードアップと行こうやないかい、のぉ? 夏希サン」
「ひょっとして、まさかの客室露天ですか真子さん!」
「ふ、そっち泊まったった方がオマエのオトンも喜ぶやろしな」
“そらぁ俺は願ったりやけど……ほんまに行かんでええのんか?”
俺ん方が融通が利くやんけと言う真子には、日頃から何かある度に私が合わせて貰ってばかり。
休みにしか出来ないこと、付き合い、ひとりの時間。
口にこそしないが、お互いのそのバランスを取って真子が月曜休みにしていることも分かっている。故に真子は、一番一緒にゆっくり出来る月曜の夜に自分の用事が入ることをひどく嫌がる。それでいて休前日の私の付き合い事に口を出すことは勿論、難色を示すこともしない。
“何や朝来るん早ないか……”
“ね……”
だけどこの間の花見などイレギュラーで休みがかぶった翌朝なんかに、何となくぽつぽつ零し合うことがあるのも事実。そこで、アシスタント時代の店で一度タイへ行っている私は、今回の社員旅行を辞退することにした。
このタイミングを逃すと夏と年末ぐらいしか連休らしい連休は無く、当前ながらどこも混んでいるし、それに――。
爛漫と桜が咲き誇るふわふわした時を過ぎ、大型連休を越えて。過ごしやすい陽気の中、誰もが日常のリズムへと戻る時にひっそりと喧騒から離れ、ただただゆっくり、のんびりと。
“時々は放電もせんとな”
初めは気にしていた真子も、店長もゆっくりして来いって、と告げると安堵の表情を見せてくれた。
私の休みは真子の誕生日でもある火曜を含めた4日。当日の夜にひよ里ちゃんたち仲間の皆なと飲む彼は、翌水曜から3日。よって旅行そのものは2泊が限界。でも常の私たちの日常からすれば立派に『されど2泊』。
ほなどこ行って何しよかーと旅行雑誌を広げている時、ふと目に留まったとある老舗の温泉旅館。住まい設計に拘る父にしては珍しく、そこのはなれの客室リニューアルに関与したと、何年か前に聞いたことがあった。
真子にそのことを告げると、ええ親孝行なるやんけ、と一も二もなく温泉旅行が決定した……はいいものの。現実問題2泊するに、当のはなれの料金はあまりに刺激的すぎたので、見るだけでも意味はあるさねと本館の部屋を予約。
ガチで温泉卓球勝負やな、近くにワニのいる植物園もあるみたい、と普通にワクワクしていたところへ思い掛けない棚ボタ。
何気なく過ぎる毎日の中には、時々こんなラッキーが舞い込んでくる。それは、時にひとりでは見過ごしてしまうようなことだったり、こんな風に誰かといなければ手に出来ないものだったりもする。
「ほなオマエ、町娘練習しとかなアカンな」
「えー私お代官様がいい」
「何でやねん! まさかオマエ、この俺を『あーれー』さす気でおるんちゃうやろな!?」
「ちゃんと、ええか? ええのんか? って言うよ?」
「ドアホ! 何で俺が師匠に犯されなアカンねん!」
相も変わらずアホで下世話な掛け合いをしながら、密かに私はこのタイミングで日常から離脱出来ることに、別の意味でもホッとしていた。
見えない何か、でもゆっくりと確実に変化し始めている気がしてならない、このアパートの生態系――ただの私の錯覚であればいいんだけど。
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