春の憂鬱 10
ピンポーン!
夏希が昼間会うた時に言われた通り、ひよ里と3人で夜飯食うとった頃合でジョーが挨拶に来よった。ちょうど俺も知った顔やったいう話を聞いたとこで、しっかしまたえらい偶然やなぁーなんか言うててんけど。
「あーはい……ちょっと待って下さい」
……あ?
子機を手にした夏希が、耳にそれ当てつつひよ里と何や妙な目くばせしよったやんか。しゃーけど「何や?」思た俺が箸ぃ咥えたまま片眉上げたった時には、夏希は立ち上がってリビングの入り口に向うてた。
「どうにか上手いこと言うたり、夏希」
まーええわ思て目の前の鮭に意識戻した途端、そっちは見もせんと、皿ん脇にちまちま骨ぇよけながらひよ里が何や淡々と言い放ちよった。振り返って「うん」て気持ち重ために言うた夏希と、しれっと米かっこみ出しよったひよ里を、交互に見遣る。
「何の話やってん」
夏希の姿が見えなくなったんを見計らって俺が切り出すと、口に茶碗つけとったひよ里がピタて静止しよって。そのまんま瞳だけでジロて俺んこと見てきよったもんで、何やねん言いかけたら箸先をビシィ! 人ん顔に向けて言いよった。
「オマエ。シャンとしとかな知らんで、ほんま」
「ハァ?」
ええ加減じれてきてもうた俺が、しゃあから何やねん言おうとしたら、玄関ん方からコンバンハー! いうジョーの声が聞こえた。……何や今日の俺えらい間ぁ悪いな。
暫くは普通に「どーもー」的な会話が聞こえとって、まー夏希が戻ったら聞いたったらええか思て、俺はグラスに茶ぁなんか足しててん。
ほんなら何や、お客サンですか? いうジョーん声が聞こえてきよって。
あー玄関の靴にでも気ぃ付きよったんか思いながら持ったグラスに口つけた瞬間、夏希が言うたやんか。
「あー昼間の彼女と……『彼氏』が……」
「っ!?」
「オマっ……何さらしとんねんハゲコラァ!」
かんっぜんにノーガードやったとこへ、アイツん口から聞いたこともあらへん単語が飛び出よったもんで俺は口に含んだ茶ぁ思っきしブー噴いてもうた。
「うぇぇ、ウチん味噌汁が、ウチん味噌汁がハゲ菌まみれや〜……って、何ボーッとしくさってんねん! さっさと布巾でも持ってこんかいハゲェ!」
「あ? あーすまん……」
ヤイヤイ言われるまま立ち上がってキッチン向かいながらも、どうにも玄関ん方が気になってしゃあない。
例えば俺んこと知らん友達なんかに『彼氏』やらは、そらぁ言うたりすることもあるやろうけどもや。アジール、Holyの人たちも顔見知りやし、俺らん仲間内でも夏希は夏希。俺かて真子や。端から男と女やったワケやなし、なんぼ好き合うてる言うても普段からそないな括りで意識なんかしてへんねん。しゃあから何ちゅーか……微妙にこそばゆい気分なってもうたやんか。
「すみません、ワイワイ食事してたもんで……」
ギャーギャー言いよるひよ里ん声や、バタバタしとる音なんかが丸聞こえやってんやろな。ははは、いう夏希の誤魔化し笑いが聞こえた。
「川村さん、彼氏いるんですか……」
「あ、はい。います」
……ああ、何やそういうことかいな。
「どない感じやってん、ジョーは」
心なし気落ちしたよなジョーの声で状況を悟った俺は、テーブル戻って楊枝でシーシーしとるひよ里に聞いてみてん。ほんなら、フン! なんか鼻ぁ鳴らして、キスケがいてる方に視線そらしながらボソて核心を言いよったやんか。
「……デレッデレや」
確かに、シャンとしとかなアカンな。
あれ以降も、日が落ちるまで延々走りたおして遊んだ為か、私がシャワーから出るとひよ里ちゃんはソファで寝落ちてしまっていた。
「ふふ、久々だねぇ」
別に構やしないのに彼女なりに気を遣ってか、最近は遊びに来てもきっちり帰ってばかりだった。気持ち良さげな半開きの口ににやにやしつつ寝室から毛布を持って来れば、戸棚から出した徳利掲げて「ちょっとだけ呑まんか」と真子。
嬉しいお誘いに快諾して手にしたそれで彼女をくるむと、トレーと日本酒の瓶を手にした彼に顎でくいと窓の方をしゃくられた。
「ええ風やで、こっちで呑もや」
言われるままに見ると、少しだけ開けておいたその脇でゆるうくカーテンがたなびいている。それは良いとテーブルにあるニ種類の煙草と灰皿、ライターを手に、私はいそいそとそっちへ向かった。
少し前まで靴下越しにもひやりとした窓際のフローリング。トレーを挟み、ふたりで胡坐を掻いてコツンと乾杯。程よく湿気を含んだ風が心地良い。
「オマエ後でちゃんと乾かしや。まぁた風邪引くで」
そう言って真子は、スエットにバスタオルを引っ掛けた私の濡れ髪をざっくりと梳き流した。んー気持ちが良い。
「オマエのフェロモンは、空中散布型やんな」
「はっ!?」
突然の、それも何だかテロリストのようなわけの分からない言われ様に、思わず声が裏返る。いや何も撒いてないですけど?
「ぶっちゃけ会うた頃から思とったわ、特に化粧しとる時な」
何だ何だ? 発情モード絶賛継続中か?
特別エロいカッコもせえへんのになぁ、と些か不思議そうに続けた真子を、若干の心配を滲ませてこれでもかと凝視。
「ふっ……ま、喋ると色々と残念やけどな」
にやりと口角を上げて言われたそれには「いやそれ多分お互い様」と呆れ笑いと一緒に返す。けれどやかましわと笑うかと思いきや、その薄茶の瞳はただじっとこちらを見つめて来た。
「ええ彼氏でおれとるか、俺」
「あー……はは、聞こえてたんだ。でもどしたの? モテ街道一本の平子ちゃんらしからぬ発言」
「いや、オマエがあないはっきしジョーを牽制しよったもんで、ちょっとな」
そう言って淡く苦笑する真子の様子は、でも自信が無いだとか不安になったという風でもなく。正直、何を思ってそんなことを聞いてきたのか、私にはまるで汲み取ることが出来なかった。けど。
「私さ、実はあんまキャパシティ広くないんだよね」
「あ? 何の?」
「全部。前に店で言ったじゃん? ソケット全部埋まってるって」
好きなものは沢山ある、大事な人も。
違う人生ならやってみたい仕事はあっても、今まさに自分が歩んでる道には現状ありえない。家族や友達ひとりひとりに対する想いがひとつずつなら、私が真子に向けている感情もまたひとつしかない。
仮に今後矢吹さんと同じアパートの住人として、或いは友達として仲良くなれたならそれはそれ。つまりは結果に過ぎない。
「ね、来月のゴールデンウィーク明け、連休取れる?」
「んあ? そらぁ今から言うといたら問題無いやろうけど……何やねんいきなし」
「どっか行かない? 真子のお祝い兼ねて」
今あるものを、傍にいる人を、自分の想いに等しく大事にすることさえ、まだ私には出来ていない。大切なものは、そんなに多くなくていい。
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