春の憂鬱 9
「うわぁーかっこいい!」
火曜の午後。到着したとの連絡を受け、ふわふわした春風に吹かれながら私はひよ里ちゃんの待つ河川敷へと向かった。
そして、そこで私は想像よりずっと本格的なゴーペッドを目の当たりにすることになった。オフロードでもガンガン走れそうなぶ厚いブロックタイヤ、馬力のありそうなごっついエンジン、めちゃくちゃ高そうだ。
「せやろー?」
得意気な彼女にそれとなく聞いてみると、定価21万チョイのものをオークションで15万で落として手に入れたという。真子が。
簡単に操作方法を教えて貰ったあと、夏希はこれ被り、と言ってぐいとメットを押し渡される。
「ハゲほど心配しとらんけどアンタ一応初心者やからな。先にウチが走って見せたるからよう見とき」
「あ、うん。って速っ!」
言うなりデッキに立ち即発進。バイクとそう変わらないブーンというけたたましい音と共に、その小さな後ろ姿はみるみる彼方へ。普通に50キロは越しているだろうスピードに呆ける私の視線の先では、豆粒ほどになったひよ里ちゃんが早くも華麗なUターンを披露。そうして私の脇をビュンとすり抜けたかと思えば、後方できゅっと停止する音が。
……なんか、前にもこんな勢いで視界を横切られたような。
「ほな乗ってみ」
「えっ? あ、うん」
ふと覚えたデジャヴに頭を巡らしていた私は、デッキから降りたひよ里ちゃんの一声で目前の乗り物に意識を戻した。メットを被ってハンドルを持ち、再度操作を反復してから、いざ発進!
「うぉーーーっ! なにこれ凄いー!」
幅の狭い原付に立って乗っているような感覚、思ったより安定感はある。速度とバランスの感触を確かめながら徐々に加速をかけてみれば、Tシャツの中を風が泳いでバタバタと靡き出す。素晴らしく爽快。
そうしてひよ里ちゃんがUターンした辺りの少し手前から減速。慎重にハンドルを傾け気持ち大きめに半円を描いて再び直線へ。
「めちゃくちゃ楽しいねこれ!」
ブレーキのかかりの良さも相まって、私は止まるや否や興奮のままに感想を伝えた。
「何や、へっぴり腰でふらつくとこでも笑うたろ思とったんにフッツーに乗れとるやんけ……」
そう言うひよ里ちゃんは、どうも誰かさんと同じく私をバシバシしごく気満々だったようで、あからさまに『つまらん』という顔で。それを見て苦笑した私は、実はお父さんの影響でサーフィンをかじったことがあることを告げた。
「上手くはないんだけどね、波が無い日はロングのスケボーで練習してたりもしてて……」
だからバランス感覚はそこそこ養われてるかも、と続ければ、何や意外とアクティブやってんやなーと驚かれた。
それからしばらく交代で乗り続け、感覚が体に馴染み始めるとさほど意識せずともUターン出来るように。次いで直線走行だけでなく蛇行を入れてみたり、ほんの少しでこぼこのある土の上での走行にも挑戦。うーん楽しい!
片やひよ里ちゃんはと言うと、小さな彼女にはハンドルの位置も高く機体そのものすら重いだろうに、軽々ウィリーをしたり、ほんの少し跳ねて見せたりと見事なまでに乗りこなしていた。
「ふー走った走った! ちょお休憩しよや。ウチ自販行って来るわ」
私にリアクションひとつ取る間も与えず、アンタはコーヒーでええよなーと言いながらタタタと駆け出すひよ里ちゃん。揺れながら遠のくツインテールの愛らしさに笑みを漏らしつつ、こういう遊びをしたのは本当に久しぶりだなと改めて思った。
サーフィンもスケボーも、専門に入ってからはとんと手をつけてなかった。車に乗る機会は今のアパートに越してから激減。今となっては16から活躍していた原付にすら乗っていない。
とはいえ原付を除いては、別に『手を怪我したらマズイ』なんていう意識で離れたわけでも何でもなく。より夢中になるものができ、当たり前にすぐそこにあった海も遠くなって。遊べる時間が限られて行くにつれダーツやビリヤード、クラブなど、場当たり的な遊びに移行した。ただそれだけ。
故にそうした変化にも特に何の惜しみも憂いも無いんだけど、ただ、ふっと素朴な疑問が過ぎる時はある。
――美容師を志してなかったら、今ごろ私はどうしてただろう。
元より俗に言う真面目とは程遠い性分。或いは私も弟のようにあちこちを放浪でもしてたかもしれない。しかしそれはそれで悪くない気もする。……でも、例えば人生が二度味わえるなら、制服姿で財布片手にランチを食べに行くようなOLさんにもなってみたいなぁ。
ありがちな妄想に浸りつつ、普段用に降格させたシザーケースから煙草と携帯灰皿を取り出す。と、そこで残った携帯が鞄の中で振動。取り出して見れば松田くんからの着信だった。
「はいはい、どした?」
「いま下で矢吹さんに会ったんですけど、夏希さん、ひよ里さんと河川敷ですか?」
携帯を耳に当てながら堤防を振り仰ぐと、ちょうど戻ってきたひよ里ちゃんの頭がひょこっと覗いたところだった。
「えーと、うん。そうだけど誰? 矢吹さんて」
「……4階に新しく入った人ですよ、聞いてないんですか?」
またしてもこってり忘れていた私は、松田くんの呆れ返った声で一昨日の夜に真子とした会話を思い出した。
“ちゅーことやから火曜ん夜あたり来よるんちゃう? ジョー”
“ジョー?”
……はいはいはい。
その矢吹さんという人は、ひよ里ちゃんが戻ってものの数分、私が煙草に火を点けた頃に現れた――のだが。
「川村さーん……って、えっ?」
「えっ? ……あー!」
降ってきた声に振り返れば、そこには少し前に見たことのある顔が。
驚きのあまり続ける言葉も忘れた私は、その人が脇の階段からパタパタ降りてくる姿をただただぼんやりと追った。
「川村さんて、あなただったんですかー!」
「あ……っと、その節は朝っぱらからありがとうございました」
まさかの再会に気持ち高揚した様子の彼。その満面の笑みを目前にわたわたと頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。あ、今夜はご在宅ですか? 川村さんにだけ渡せてないんですよ、粗品」
曰く、ネットの開通の立会いがあって外回りついでに寄ったものの、もう戻らなきゃならないのだとか。とはいえこっちとしても、今タオルを渡されるのは微妙だ。
「あーはい、いると思います」
「いやーでも嬉しいなぁ! 実は、また会えたらいいなーなんて思ってたんですよ」
「あー……ははは」
えーっと、後頭部をを掻きながら薄っすらはにかむその態は……。
そこで脇からただならぬオーラを放っているひよ里ちゃんの気配を感じ、ちらりと目線を合わせてみる。しっかりと片眉が上げられ、その下の据わった目が物語っているのは訝しさMAXの「誰やねん」。
「こないだチャリのチェーン、直してくれた人……」
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