こわかねえ
「何ちゅーかなぁ……簡単に言うてまうと俺だけの問題ちゃうやんか」
それが自分の素性等について話せない理由なのだと真子は言った。渋い顔で首をさするその様子からは、言えないなりに懸命に言葉を尽くしてくれていることがありありと分かって、不謹慎にも私は少し笑ってしまった。
「ちょお何やねんコラ」
「ふっ、ごめ、ちょっと気が抜けちゃって」
気にならないと言えば嘘になるけれど、だからと言って真子といることに不安を覚えたことは無かった。今この瞬間を含め、真子がどんな風に私と向き合ってきてくれたかを思えば、何が大事かなんて明白で。
だからこそ、不確かなタブーに対する自分のスタンスの在り方に困惑していた、というのが正直なところだった。
けれどこの、うちと同じ造りでいて何もかもが違う部屋に入れて貰い、こうしてそれを真子の口から明らかにして貰えただけで、胸につかえていたものはすっと溶けてしまったようだ。
「ね、お願いがあるんだけど」
「……ん、何や」
私が切り出すと、真子は膝を立てていた体勢から両の足裏を合わせて座り直し、穏やかに先を促した。
「今後、万一私が『言えないこと』にかすっちゃったりした場合、それは言えないってはっきり言って欲しい」
「あー、オマエにしたら何がどっからアカンことか分からんもんなぁ……」
「うん。でも理由は言わなくていいし、勝手言うようだけど出来れば罪悪感も感じないで欲しい、かな」
「あー、俺が微妙な反応してもうたら毎回気まずいことなんもんなぁ……」
……何だこのエスパー。
再び笑ってしまった私は真子から刺すような視線を頂き、慌ててごめんと言うように手を合わせる。と、心底呆れた顔になった真子にハァーと大きな溜め息を吐かれた。
「オマエほんーま人の気ぃ削ぐん上手いよなぁ、会うた頃からずっとそうや」
「え! あたっ」
思い掛けない指摘に焦って横を向いた途端、待ち構えていたかのように額に衝撃が走った。
「悪い意味ちゃうわ、アホ」
腑に落ちず片眉を上げて見遣れば、私の手の内にあるマグにその手が伸ばされる。
「片して向こう行くで。ええ加減戻らんとオマエん旦那フテッてまうやろ」
そう言って真子は、先程と同じように自分のマグと空になった皿をささっとそれぞれの手に持ってベッドを降りた。その取っ手に通された長い指を目で追い、やっぱり綺麗だな、などと思いながら、うん、と生返事を返す。
そのまま、再びレコードの海を器用に進む真子をぼーっと見送っていたら、その背が寝室の入り口でピタと止まった。
「……夏希オマエ、少しもこわないんか」
「えっ?」
ピアノとアコーディオンが奏でる音をバックに、思いの外よく響いたトーンの下がった真子の声。
――こわい、こわいって何が。
「どこの馬んホネとも分からんねんぞ、俺」
正面を向いたまま言い放ち、入り口で立ち尽くしている真子。その無駄の無いしなやかな背中が、とても好きだと思う。
「なら真子は、周りが気をつけろなんて言う女といて怖くないの?」
首だけで振り返った真子は、自嘲気味な苦笑いを浮かべて見せた私を一瞥すると、にやりと口端を上げた。
「抜かせアホウ」
そう言って前に向き直ろうとした真子を見て「あ、ねぇ!」と呼び止めれば、お決まりの、んあ、という反応が帰って来た。
歯がゆい もどかしい じれったい
未だ言い足りない想いは渦巻くけれど、やっぱり私にはこの五文字に込める他に伝えようがない。
「ありがとう、話してくれて」
「…………チッ!」
ややあってから、わざとだよね? みたいな大きな舌打ちが聞こえて。
手にあるそれらをゴトン! と足元に置いたかと思えば、くるりと振り返った苦々しい顔がズンズンこちらへ近付いてくる。
「は、え、なになになに!?」
心当たりのない剣幕にたじろぐ私をガバァッと抱き込み、絶対狙っただろと言いたくなる低い声が耳元で不満を述べた。
「出来ん時に煽んなや、ボケが」
「え、あー……と、なんかごめん」
思てへんやろコラ、とツッコまれると同時に左耳上のピアスごと生温い感触が這い、金属のぶつかる音がした。
真子に電話があったのは、紐付きネズミでキスケさんのゴキゲンを取って程なくのことだった。
「んお、チーフからや」
こない時間に何やろ。訝しげに言うと、真子はソファの上で煙草を咥えて携帯を耳に当てる。特に気に留めず、私は手帳を見ながら明日の予約内容の確認を続行。また新たな一週間、でも昨日今日と色々ありすぎて何だか疲れが抜けてないなぁ……。
「――いや、知らせて貰てどうもです……あーはい、ほなお疲れサンです」
電話を終えたらしい真子は、またしてもハァ〜〜と溜め息を吐いてソファから降り、
「ったく、ほんーまに狭い町っちゅーんはめんどいのう!」
と零しながら、気持ち荒々しく煙草を灰皿に押し付け、目の前でびたんとテーブルに突っ伏した。何となく、分かってしまった。
「ひょっとして、バレちゃった……?」
「……オマエがあないメール寄越したほんまの理由、ようやっと分かったわ」
「……ごめ――」
「アホボケ謝んな原因は俺や」
もしかしたら、とは思っていた。あれから、焦った相手方のツレが彼女を連れて行って事なきを得たはいいが、その一部始終を目の当たりにしていたツレもまた、Holyで見たことのある人だったのだ。
「ハァ〜ア、こないしてオマエん話は勝手に入ってきよねんもんなぁ……ほんまフェアやあらへんわ」
私の過去が変わるわけもなければ、彼女の気持ちをどうこう出来るでもない。それは多分、真子自身が一番よく分かっていることだろう。
だったら。
「フェアになんかなるわけないっしょ? 見た目はちんちくりんだけど、これでも業界ではそこそこ有名人だったんだよ?」
今現在、真子の耳に入る話はおよそ楽しくないものばかりだろうけれど。
ここまで禍根を残すに至ったのは、相応に評価されたからこそだという事実ぐらい、私が押し売ろう。
「……ふっ、アホくさ。ちんちくりんの言う栄光自慢なんか信憑性薄いっちゅーねん」
「あっ、言うけどねー結構な大物に誘われることも多かったんだって」
それなりにいい思いだってしてきた過去を知って貰うことで、少しでも真子が気に病まずに済むのなら、いくらでも。
――けれどやっぱり。
「おーおー今度はモテ期自慢かいな。生まれてこのかたモテ街道一本の俺ん言わせりゃ何や痛々しゅうて涙出そうやでぇ〜」
すかさずムッとするふりなんかをして見せれば、怒んなやぁ、なんて言いながら隣に来た真子にぎゅっとされて。
「……アホやなぁ、なっちゃんは」
悔しいかなお見通しなんだ、この人は。
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