聞いちゃいねえ
あのアケミさんが、私の予想通りの言葉なんか投げて来ないだろうことは分かっていたけれど。
「アンタも大概しょっぱい女ねぇー」
「……」
言うに事欠いて『しょっぱい女』呼ばわりされるとは思わなんだ。流石は『人生は甘くてしょっぱい』をテーマに昭和を愛するアケミさん、というとこか……。
リアクションひとつ取れず素で半目になってしまった私に、あら? みたいな顔をしたアケミさんは、続けて意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
「あらやだ、随分と不服そうね? お望みとあらばいっくらでも慰めてあげるわよー?」
即座に嫌な予感がして慌ててぶんぶんぶん! と首を振ったものの、遅かった。
「そんな女に『みっともないヤキモチ』なんて焼いてないで早く元気になってよね? ガーンバッ!」
「……っ」
ギャー! ウーゼェーー!!
思いっきり頬を引き攣らせてイーッ! と歯噛んで頭を掻く私の頭上からは、容赦なくしてやったりな高笑いが降って来た。
「んふふっ。まぁね、いつの間にか物分かり良くなり過ぎちゃて。イヤなもんよね、歳喰うって」
「……ほんと」
「まぁま、呑んでなさいよ」
そう言ってアケミさんは、カウンターに突っ伏した私のグラスに酒を足し、他のお客さんの席へ向かった。
こんな風に向ける先の無い感情を抱えた時、私以外の人はどうやって消化しているんだろうか。誰も悪くなんかないということは分かるのに、自分の感情の処理の仕方ひとつ満足に分からない。
いっそこの氷みたいに溶けてしまえとばかりに、私はロックグラスの氷を指先でくるくる回し続けた。
夜更けの冷たい風が頭を冷やすのに丁度良く、いつもよりペダルの進みも調子が良い。
まぁそんな情けない自分も自分だ、と半ば開き直ることで気を取り直して店を後にした私。同時に、こんな風に折り合いを付け切り替えるというルーチンが出来上がっている自分も如何なものか、と何処かで思ってる自分。
あーやだやだ! この不毛スパイラル! さっさと寝てしまおう!
そう思いながらアパートの敷地内に進入したや否や、駐輪場の向こうに長く伸びる紫煙が目に入って心臓が跳ねた。出来れば今日は、会いたくなかった。
降りて所定の位置まで引いて行くと、それに合わせたように煙草を揉み消す真子の姿が見えた。
「遅かったな、呑みにでも行っててんか」
……ん?
妙に淡々とした声音。どことなく威圧感すら覚えるそれに、立てかけたスタンドから視線を上げた。
「あー、うん。真子は早かったんだね?」
3月とはいえ夜にそのハーフコートは寒そうだ、電話くれたら早く帰ったのにな。
そんなことを思っていたら、漸く消し終わったらしい真子の顔がすっとこちらへ向き、帽子下の瞳と視線を交わして、確信した。
「オマエに聞きたいことあってな」
ひとつ息を吐き、どうやら店長の言う通り、やっぱり今日はとびっきりツイてないらしい、と心でゴチた。
――何だか知らんが、えらくご立腹みたいだ。
何やら重たい空気の中、何かしただろうかと思い巡らしながら、前を上る真子の肩に担がれた鞄を見つめる。無言で持たれたそれが休み前でいつもより重たいことを、彼は知っている。
5階に着き、当然のように私の部屋の方を向いて立ち止まる真子。やっぱそうかと思いつつ、鍵を開けていつも通り先に入るよう促し、自分もそれに続いて鍵を閉める。
――が、前の人はなかなか上がる気配がない。
「真子……?」
「夏希、オマエ俺んこと信用しとるなんか嘘やろ」
……は?
そう言われる理由について瞬時に脳を総動員させるも、皆目意味が分からない。その唐突な難問に私が気を取られている内に、いつの間にか真子は靴を脱いですたすたリビングへ向かっていた。
なんだなんだなんだ?
首を傾げつつ自分も靴を脱いで後に続くと、真子はそっと私の鞄を床に下ろしてから、キスケさんのご飯と水の器を確認。それからドサッ! とソファに腰掛け、帽子を取って腕組みしたと思ったら、入り口で立ち尽くす私に射抜くような目を向けてきた。
優しいんだか、怖いんだか。
いずれにしろ、先の謎台詞に対して自分はまだ何も発してない。そう思った私は、向かいのラグの上に胡坐を掻き、その鋭い目を見ながらゆっくりと口を開いた。
「信用、してるよ」
「せやったら何で今日オマエ逃げたん」
「っ!」
……まさか、気付かれてたなんて夢にも思わなかったけど。にしても、それと信用はどう繋がるんだ?
「誰に何言われてもオマエとのこと誤魔化す気ぃ無いて、俺言うたよな?」
こめかみに手を沿えながら続けられた言葉を反芻するも、その真意はまるで読めない。けれど確かに言われた、の意味でとりあえずコクリと頷く。
「俺かてオマエんことであることないこと言われるんはええ気なんかせえへんわ!」
は?
「ちょ、待っ――」
「オマエがHolyに来んくなったんかて、なるべく波風立たんよう思うてのことやて分かっとる!」
「や、だか――」
「オマエん立場でいちいち否定するんが逆効果なってまうっちゅーんも分かっとる!」
「あの、真――」
「せやかてバッタリ街中で会うた時までオマエが逃げる必要がどこにある言うとんじゃボケ! 大体オマエは――」
「……チッ」
ぼふーん!
「うをっ! な、何やねん!?」
あまりに埒があかない状況にいい加減我慢の限界がきた私は、横にあったクッションを、でやっ! とわりと肩を入れて投じて。
あからさまに目を白黒させて呆けた真子をずいっと見据え、努めて静かに言葉を紡いだ。
「……セルフエキサイトすんな」
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