新しい隣人 1
―1年2ヶ月前―
湿気を含んだ、生ぬるい夏の夜風が髪を撫で行く。信号待ちの際に感じたベタつきは、お世辞にも心地良いものではなかった。
それでも夏の夜特有の匂いが好きな私は、深夜、いつもよりのんびり自転車を漕いで自宅を目指していた。腕時計を見れば、既に1時を回っている。
とは言え明日は休みだし、何より私はとても気分が良かった。
今日の昼過ぎ、休憩中に折り返した電話で、昔のバイト先の店長から1、2時間だけでもと臨時のバイトを頼まれた。何でもヘアメイクのひとりが病欠な上、今夜は人気嬢の誕生日だとかで。お客さんは勿論、女の子の出勤人数もべらぼうに多いんだ! と、半ば悲鳴に近い声で懇願された。
そうして閉店作業を終えた私は、そのまま夜のネオン街へ。頑張った甲斐あって店長は通常のバイト代に色を付けてくれた上、とびきり良い香りのする桃を沢山くれた。フルーツ盛用の桃だろうに、こんなに袋いっぱい貰っちゃって良かったのかな?
申し訳程度に思いつつ、袋の入り口を顔で塞ぎ、これでもかとくんくんしながら私はアパートの階段を上った。
古いだけあって、このアパートにはエレベーターが無い。
昼より幾分マシとはいえ、流石に重い荷物を持って5階分を上るのはなかなかしんどいものがある。3階も過ぎれば匂いを堪能する余裕など当たり前に消え失せ、額から伝い落ちそうな汗の気配に眉根が寄る。
冷蔵庫、桃、シャワー
冷蔵庫、桃、シャ……
「ん……?」
帰宅後の工程を反復していた頭を、上階からする賑やかな男女の声が遮断した。階段を上るにつれ、徐々にその声も近くなる。
最後の踊り場で立ち止まった私は、これから自分が向かう階をぼうっと見上げた。
「……わー良かったじゃん、おばちゃーん」
- 4 -
[*前] | [次#]
しおり
ページ:
章:
Main | Long | Menu