重ねる日々 4
『アジール』とは、聖域、解放区、自由領域といった特殊エリアのことを意味する、社会的概念の強い言葉らしい。
その広義の意味を以ってして、要するに『どんな人も気兼ねなく来られる場所』という比較的ありがちなコンセプトなのだが、店長が店長なだけに、実際にはお客さん側にもそれを要求する、一歩踏み込んだ感のあるスタイルになっている。
このモデルの彼で言うなら、テレビや雑誌に出てようと、うちの店で特別な待遇はされない。その代わり他のお客さんは、サインや写真をせがんだり、騒ぎ立てたりといった行為を自重するのが暗黙のルール。
日頃からわりと色々なタイプの人と付き合いのある私としても、そういったスタンスには迷いなく賛成なんだけれど。
ロイヤルからのお客さんで、今なお私の元へ通ってくれる奇特なひとりながら、未だ私はこのクォーターの彼が好きになれないでいる。
日本人離れした彫りの深い、どちらかというと甘いマスクに、スラリとしたモデルならではの長身。大層な自信家だが、それが嫌味にならないレベルの万人受けする容姿を前に、私とて眼福だなぁとは思う。
そんな彼の何がイヤかと言えば、何かにつけて自分と私を重ねるところ。一番困るのは、店という場所を弁えずに明け透けにそれを口にすること。
「最近つくづく自分が着せ替え人形みたく思えるんだ。なっちゃんなら分かるでしょ?」
――私 な ら ?
……つまりは、こういう言い様にいちいちモヤっとしてしまうわけで。
彼は、自分にモデルの道しかなかったように、私を(名の知れた)美容師になる宿命を背負った同胞か何かと勘違いしている。
「あはは、私は着る側じゃないですから」
その身を置く環境が華やかであればあるほど、ひずみもまた大きく深いものになる。そのことを、多少なり理解出来る私ではあるけれど。
そもそも、限られた枠内でひずみの共有者を求める姿勢が、『一般人には分からないだろ』という排他的なものにも映り得るわけで。それが更に自分を着せ替え人形に近付けることだと、何故気付かないんだろう。
話を聞くだけならいい。
私の中に都合の良いひずみを見出し、共有した気になんかならないで欲しい。闇で闇を消すことは出来ない。自分のひずみは自分で引き受けるしかない。
“何も聞かんといてくれて、ありがとうな”
2日目のすき焼きを食べながらぼそりと真子に言われたそれは、前日のことなのか。或いは未だ不透明な素性についてなのかは、やっぱり分からなかったけど。
愛川さんたちの言うように真子と私が似ているのだとすれば、適当なところで慰め合うような関係は望まない、という価値観かもしれない。
「いやぁ、でも表現者としてツラくない? オーダーに応えるだけの毎日は」
……つーか、いつの間に私は技術者から表現者に転向したんだろ。
「まだヘアショーとかに出る気にはなれないの?」
私が望んで美容師になったとは思わないくせに、そういう場に出てこそ完全な復活と信じて疑わない。その矛盾に気付かない彼に、私が本心を告げる義理なんか無い。
「んー……今、私のソケット全部埋まってるんですよね」
「ソケット……?」
「私の体に100個ソケットがあったとしたら、その100個全部にプラグがささってる状態なんですよ」
ふと、ブローして貰いながら最近の私の愛読書『ご近系』を黙々と読むフリをしていた真子を盗み見ると、案の定、薄っすらその口角を上げていた。やっぱり耳はダンボだったか。
「そっかぁ……まだ、挑戦するだけの余裕が持ててないんだね」
「そうなんですよねぇ〜」
うっかりトーン高めな声が出てしまった代わりに、これでもかと神妙な顔を作って見せる。視界の隅の真子が、遂ぞ口元を雑誌で覆ってそっぽを向いた。
けれど私が盛り込んだ含みになど気付くはずもない彼は、今日もありがとう、とその甘いマスクを綻ばせて満足気に店を後にした。
それでいい。
私の仕事は、希望通りに髪を仕上げながら心地良い時間を提供するよう努めること。
「はし」
「ちゃう。はし、や」
「はし」
「はし、やて!」
「いてててて!」
その夜、マッサージをしてくれるという真子の好意に甘えるも、「もうちょい端」と言ったばかりにベタに『はし』のイントネーション講義と相なって。
「ふくくっ、しっかしええ性格しとんなぁ〜なっちゃんは。まーお客サンやし、しゃーないわな」
何とか私の『端』にOKが出てほどなく、奇妙な思い出し笑いと共に始まったのはやはり昼間の私についてだった。
「しゃーけど、ぶっちゃけむっちゃおもろかったわ、夏希のA面。ま、オマエん場合は素ぅのB面もワケわからんけどな」
「そーかなぁ……」
だけど真子は、彼のどこがイケ好かないのかも聞かないし、自分の印象を口にもしなかった。単純に関心が無いのか、そういう内容を普段口にしない私への配慮か、或いは偏ったイメージを抱きたくないのか。
何れにせよ、真子とそういう話をしたくなかった私は心底ホッとした。
「しゃーけど、ええ店やんな。皆な楽しそに働いとったし」
「わ、何か嬉しい」
ほなおっ終い! と私の両肩をポンとした真子に礼を言い、ポカポカと熱を持った肩に手をやりながら首をコキコキさせていると、
「キゲンようなって肩もほぐれたっちゅーこって、女王サマ。ほなラウンド1としけこんどこかー」
隣に肩肘を付いて寝そべった真子が、ニヤリとしながら私の顔を見上げてきた。横目にそんな真子を捉えた私も、そのまま肩をぐるぐる回しながら意思表示をする。
「ご覚悟あれ」
「望むところや」
仕事、恋愛、友達、家族、遊び、生活。
100のプラグが私の動力源ならば、それが全てささっている時点でフルチャージ。ヘアショーに出るなんていう要素を差し挟まずとも今、私は充分満たされている。
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